百済と越前 繊維のお話
越前市朽飯町に鎮座する「朽飯八幡神社」
創建は古いようで1500年前ともいわれている。
十九代允恭(いんぎょう)天皇(412~452)の時代、煩速日之命(ひはやひのみこと)の神孫にあたる
麻羅宿禰(まらのすくね)の後裔(こうえい)が織部司に任ぜられ
この地に赴き服部郷と命名し、煩速日之命を祀ったことに始まるものと伝えられる。
その後、百済国の人々が機織りに長じた織姫たちと共に渡来し
この地に養蚕と絹織りの技術を教え、生産された絹織物は貢物として
朝廷に上納された。
拝殿の横には 織物の御祭神「天萬栲幡千幡比売命」を祀る
小さな境内社 「幡生神社」をみることができる。
その付近に 注連縄を施された岩がある。
この岩にはこんな言い伝えが
今から千三百年前 百済の娘がこの地で老夫婦に助けられた。
そのお礼か 娘は 機織りを始めたところ、それは見事な織物でとても高く売れた。
その後も娘は毎日機織りを続けたが、百済が恋しいのか、時折りこの岩に腰掛けて西の空を眺めていたという。
しばらくすると、娘は突然姿を消した。
老夫婦は嘆き悲しみ娘を探したが、何の手がかりも無かった。
ある日、山仕事に来た村の若者が岩の上で休んでいると、
岩の中からはた織りの音が聞こえてきた。
その話を聞いて駆けつけた老夫婦が岩に耳をあてると、
それは聞き覚えのある娘がはたを織る音だったという。
「朽飯八幡神社」は今では繊維のを祀る神社として
参詣する人が多いという