(61)【第42日】沖縄戦と米軍基地を知る 那覇から1日バス旅行│Field Study on”Battle of Okinawa” 《夏休み日本一周の旅 県庁北口~ひめゆりの塔》9/20-101
あくまで旅行記であるため、沖縄戦と直接関係なく、道中に起こったことも多少意図的に含めてありますのでよろしくお願いします。疑念等あれば積極的に共有お願いします。
2019年9月20日
夏休み日本一周の旅 42日目
全ての動画一覧→https://www.youtube.com/playlist?list=PL5iby-DCjd3zuM4v7eyvu1Q9y5B9qfy8r
初めてご視聴の方は、以下をすべてお読みいただけると幸いです。
この動画は、視聴者の再生数に応じて予算を決定し、2019年8月1日出発、北海道稚内市を起点として日本一周をするというもので、期間の定めは特にありませんが、主に大学の夏休み期間を利用しています。
詳細は初回の動画をご覧ください。
→https://youtu.be/k-O-x-OOFzg
基本的に1日1本の動画を投稿し、翌日10時までの再生数に応じて予算を決定します。基礎交通費2000円+再生数×0.1円をその額とし、3万再生であれば1日の予算は5000円となります。この5000円で、宿泊費、交通費、食費、観光地見学にかかる費用等を全て支出することになります。ただし、医療費・寄付金等は除外します。最低限度の生活に必要な資金(最低限の食事代、飲料水代、洗濯代等)も予算から除外する方針ですが、再生数が低迷しまともに生活できなくなった時に備えた非常の措置とし、現在のところ全ての食費、通信に係る費用、文房具代等も予算から支出しています。今後、ルール変更があった場合は、悪しからずご了承ください。
応援していただける方は、【翌朝10時まで】に再生して頂けると大変助かります。
スーツ公式サイト
http://www.su-tudouga.com
スーツブログ(執筆は私でない場合があります)
https://suit-travel-blog.com/
情報の正確性について
多くの動画に複数の誤った情報が盛り込まれています。そして大抵、視聴者から訂正いただいています。こちらではそのような有益な情報が判別しやすいようハートマークをつけています。
31 Comments
残念ですが、事実と異なる沖縄戦の話しを聞くと悲しくなる。日本軍によって取り上げられ、戦後、譜天間基地が出来、Aサインバーが建ち並び、その後住宅街になった。防空壕に先に入っていたうちなーんちゅを追い出し、日本兵が隠れたり。片言の日本語ではなく、日系の米軍人の説得に応じなかったのは、日本兵。言葉が違うからと、お年寄りをスパイ容疑で、防空壕から追い出した日本兵達もいたそうだ。そのお陰で助かったって言っていた大伯母。授乳をしていた女性を家族の前で***した偉大な兵隊さんもいたそうだ。戦争は、人を狂わす。二度とあってはいけない。事実を正確に伝えるべきだ。
追加です。最初の投稿は、動画の途中で投稿させていただきました。スーツさんがおっしゃっていたように、日本兵が率先して、防空壕から出て、住民を助けた例もあるそうです。
間違いの多い内容です。発言する前にもっときちんと調べるべきです。間違った情報を信じる方もいるのでは?
米軍人の趣味の家庭菜園なんて、無知にも程があります。基地内の畑は日本人の地主さんのものです。
自分の土地を勝手に取られ自分の畑も簡単に行き来できない中での唯一の抵抗です。
米軍基地のおかげで経済的に潤う県民はほんのわずかです。
いきなり行ったところでビビった!
渡具知ビーチww
嘉手納基地周辺はYナンバーが多いですね!
まってww
道の駅かでなも行ったし笑
少し胸が苦しくなる回でしたが、スーツさんの一生懸命が伝わり、良い動画でした。是非多くの方に見て頂きたいです。
破防法適応団体共産党ですから💥
でも、戦ってくれた先祖がいるから彼らがいたから、今があるんだな。世界最強のパスポートをもち、あっちこっち行けるのも….日本を守らなくては次につなぐために。
若いスーツ君、沖縄のこと紹介してくださりありがとうございます。
この一か月後ぐらいに首里城が炎上するんだね。
動画の内容とは、全然関係ないですが、スーツさんは、多分、コメント欄は、全くチェックして無いと思います、、、どうでも良いのですが、、、、
日本人が説明してくれる沖縄戦、益になりました。ひめゆりの塔は私も行ったことがあります。
悲しかったです。戦争の残酷さに同感です。 私もこんなことが二度と起こってはいけないと思います。 でも、そもそもなぜ戦争が起きたのかについては、あまり深く考えはしていない気がしました。 戦争の原因を正確に把握して反省してこそ次にまた悲劇が起きることを防ぐことができると思います。
米軍基地の詳しい情報と上手なめぐり方としては、次の書籍が参考になります。
『本土の人間は知らないが、沖縄の人はみんな知っていること』(書籍情報社、矢部宏治著)
写真も豊富にあり、米軍基地の訪れ方、米軍関係者も通い日本人も入れるカフェー、なども載ってます。
もしよろしければ、ご一読のうえ再訪され、その結果のレポを聞かせてくれたらうれしいな😀
空腹時の砂糖天ぷら(サーターアンダギーの事だよー)とさんぴん茶は合うよねー😋
全部ひっくるめて「素晴らしい」の一言に尽きる動画
2022年4月
ロシアとウクライナの戦争で一般の人が殺されたり、他国に逃げ急ぐのをテレビで観ている現在、1945年沖縄に米軍が上陸したことを思うと
とても怖い。本当に恐ろしい。
戦争はしてはいけないと思うが、どんどん巻き込まれていくようで怖い。
素晴らしいレポートでした。大手マスメディアの大金使って、特定の意図を埋め込んだ一見ドキュメンタリー風の特集番組より遥かに良質の動画です。一人の才能と意欲のある若者が成し遂げることのできるレベルが大手のマスコミのありきたりの番組よりいかに優れているかを示してますね。
沖縄県民として、ありがとう!!
カッパを着て下さい。
しっかり調べて自分の言葉で伝える。尊敬しかない。
本当この沖縄の動画、日本一周のシリーズが大好きで、3年以上経っても定期的に観てます。
こういう視点の動画は初めて。素晴らしい作品です。ありがとう。
いまさら見ていますが、なかなかすごいところまでお話されていてびっくり。
こういうのがあるからスーツ君支持されるんだろうなあ。。。
神風特攻隊という作戦の是非は兎も角として、米軍に与えたその損害の大きさが米軍に本土上陸作戦を躊躇させ、原爆投下を急がせたそうです。
特攻隊といえば、義烈空挺隊という飛行場強襲作戦もあり、そこには台湾人の兵士も参加して戦死されました。
民間人の犠牲者と共に知るべき事だと思います
7:28 和歌山
分かりやすいし、本当に素晴らしい動画でした。台風の中、お疲れさまでした。
沖縄戦のお話は2023年になって初めてこんなに詳しい真実を知りました
「沖縄戦は勝つ目的ではなく本土戦を遅らせことが目的だった」
衝撃でした。
ひどい戦略だと思います。
沖縄戦で犠牲になられた方たちの憤怒の情はいかばかりかと推察して、なんともいえない言葉で表すことできない重苦しい気持ちになりました。
自決を強いられた人々を思うと胸が痛みます。
風化しそうなお話を伝えてくださり本当に知れてよかった。
京都から沖縄戦に出征されて戦死された方たちの慰霊碑が心に残りました。
旧制中学生は生き残ったは違います。
鉄血勤王隊14歳から16歳を招集 学校ぐるみの招集⇒志願ではなく事実上の招集⇒当時の内務
省も問題視
wiki鉄血勤王隊
沖縄戦で捕虜となった少年兵
鉄血勤皇隊(てっけつきんのうたい、旧字体: 鐵血勤󠄁皇隊󠄁)は、第二次世界大戦末期の日本の沖縄県において、防衛召集により動員された日本軍史上初の14 – 16歳の学徒による少年兵部隊である。
沖縄戦において正規部隊に併合され、実際に戦闘に参加し多くの戦死者を出した。
概要
太平洋戦争末期になると、戦況悪化、長期化により兵士の不足が深刻となった。そこで陸軍省は、つぎつぎと陸軍省令を発して、施行規則を改正していった。そうしたなかで連合国軍上陸のせまる沖縄では14歳以上の少年を鉄血勤皇隊として防衛召集した[1][2][3]。
防衛召集は、17歳以上の男子が召集対象であったが、1944年12月の陸軍省令第59号「陸軍召集規則」改正および第58号「防衛召集規則」改正で、一部地域のみ防衛召集の対象年齢が引き下げられた。「前縁地帯」と呼ばれる帝国本土とは区別された地域(沖縄県、奄美諸島、小笠原諸島、千島列島、台湾など)に限り、17歳未満(14歳以上)であっても、志願して第2国民兵役に編入された者は防衛召集できるとされたのである[4]。
これらの陸軍省令について、内務省は、「事実上徴兵年齢の引き下げにあたるので法的には法律である兵役法の改正によってなされるべき」であるとして、憲法違反の疑いもあることを指摘していた。また、「志願」は「事実上の強制」になりうることへの懸念も示していた[5](法律形式による法整備は、ようやく1945年6月23日に制定施行された義勇兵役法で行われた。それまでは鉄血勤皇隊も含め陸軍省令で改正する規則のみが法的根拠であった)。
実際の手続きにおいても、17歳未満の少年を鉄血勤皇隊として防衛召集するには「志願」して第2国民兵役に編入された者でなければならないが、「学校ぐるみ」での編成ということ自体が強制の契機をはらむ。さらに学校や配属将校が同意なく印鑑をつくり「志願」のために必要な親権者の承諾書を偽造するなど、「事実上の強制」であったような例も多々見受けられた[6]。内務省の懸念は現実のものとなっていたわけである。なお、県立第二中学校のように配属将校が食糧がないことを理由に生徒たちを家に帰したり、沖縄県立農林学校では引率教師が銃殺処刑される覚悟で生徒を家に帰したという例もあった[7]。
これらの点は戦後にも問題となり、遺族援護に関連して厚生省は、鉄血勤皇隊における17歳の少年の防衛召集には法的手続きに問題があり、無効な防衛召集であったとして、鉄血勤皇隊の少年たちの軍籍を認めなかった(結局、政治的配慮から「事実に基いて、軍人として処理すること」とした)[8]。ことに第2国民兵役に編入するための「志願」について任意性が担保されていない点が問題とされた[9]。
沖縄戦では、憲法違反の疑いもあるこれらの陸軍省令(改正規則)を根拠として、「事実上の強制」すらあった手続きにより、1945年3月に第32軍の命令で、防衛召集された旧制中学生ら1780人による鉄血勤皇隊が編成され、戦闘行為に動員されて、約半数が戦死した(17歳未満の戦死者は567名[9])
★死者数
学校名 部隊名 動員数 戦死数 死亡率
沖縄師範学校 師範鉄血勤皇隊 386人 224人 58.0%
県立第一中学校 一中鉄血勤皇隊・通信隊 371人 210人 56.0%
県立第二中学校 二中鉄血勤皇隊・通信隊 144人 127人 88.2%
県立第三中学校 三中鉄血勤皇隊・通信隊 363人 37人 10.2%
県立工業学校 工業鉄血勤皇隊・通信隊 94人 85人 90.4%
県立農林学校 農林鉄血勤皇隊 173人 41人 23.7%
県立水産学校 水産鉄血勤皇隊・通信隊 49人 23人 46.9%
那覇市立商工学校 商工鉄血勤皇隊・通信隊 99人 72人 72.7%
開南中学校 開南鉄血勤皇隊・通信隊 81人 70人 86.4%
県立宮古中学校 宮古中鉄血勤皇隊 不明 0人 0.0%
県立八重山中学校 八重山中鉄血勤皇隊 20人 1人 5.0%
県立八重山農学校(男子) 八重農鉄血勤皇隊 不明 不明 不明
合計 1780人 890人 50.0%
出典:『歩く・みる・考える沖縄』より
ひめゆり学徒隊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ひめゆり学徒隊(ひめゆりがくとたい)とは、1944年12月に沖縄県で日本軍が中心となって行った看護訓練によって作られた女子学徒隊のうち、沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校の教師・生徒で構成されたものの名称である。通称としてひめゆり部隊やひめゆり隊[1]と呼ばれることもある。(一般的にはひめゆり学徒隊)他に白梅学徒隊・なごらん学徒隊・瑞泉学徒隊・積徳学徒隊・悌梧学徒隊・宮古高女学徒隊・八重山高女学徒隊・八重農学徒隊の8つの学徒隊が存在した。
由来
那覇市大道小学校の脇に設置された「ひめゆり学園跡」を示すモニュメント。大道小学校は沖縄師範学校女子部の付属小学校だった。
母体となった沖縄県女子師範学校(女師/1943年4月に師範学校教育令の改正に伴って沖縄師範学校女子部へ改組)と沖縄県立第一高等女学校(一高女)は、設立当時の沖縄県の財政事情から併設校とされ、校長および一部の教師は兼任であった(西岡一義師範学校女子部長は一高校長)[2]。そのため、校名は異なるものの、実質的には一つの学校に近いものであったという。
名前の「ひめゆり」とは花の「ひめゆり」ではなく、沖縄県立第一高等女学校(一高女)の学校広報誌の名前「乙姫」と沖縄師範学校女子部の学校広報誌の名前「白百合」を併せて「姫百合」という名称が由来である。学徒隊の名称は「ひめゆり学徒隊」である。
元々は安里川にかかる粗末な橋から転落死した一高女生徒を悼み、昭和初期に安全な橋に掛け替えられた橋に「姫百合橋」と名付けたことが起源で[注釈 1]、1940年代には女師および一高女の学舎が「ひめゆり学舎」と呼ばれるなど、両校の通称として「姫百合」の名が定着していたようである。
経緯
ひめゆり学徒隊が勤務した病院壕跡(南風原町の沖縄陸軍病院南風原壕)
ひめゆりの塔(2018年)
米軍の沖縄上陸を目前に控えた1945年3月23日、両校の女子生徒222人と引率教師18名の合計240名からなる学徒隊は、沖縄陸軍病院(通称・南風原陸軍病院)に看護要員として動員された。沖縄陸軍病院は沖縄守備軍(第32軍)の直轄で、本部、内科、外科、伝染病科に分かれており、40近くの横穴壕の土壁に2段ベッドを備え付けて患者を収容した。米軍が上陸して前線の負傷兵が増加するのに伴い、内科は第二外科に、伝染病科は第三外科に変更され、那覇近郊の一日橋、識名、知念半島近くの糸数に分室がおかれた。学徒隊は全員が分散配置された[2]。
しかし、敗色濃厚となった6月18日に突然解散命令が出され、翌日の6月19日をはじめとする約1週間の間に多数の犠牲を出した(死亡者のうち実に80%がこの間に集中している)。最終的には教師・学徒240人のうち136人が死亡。そのうちの10人(教師の平良松四郎と9名の生徒)は荒崎海岸で集団自決(強制集団死)している(自決の強制性については論争あり。当該項目を参照)。また隣の洞窟でも米軍の銃乱射で3名が死亡、3名が重傷を負った。
戦後、最大の犠牲を出した伊原第三外科壕跡に慰霊塔である「ひめゆりの塔」が建立された[3]。これは、ひめゆり学徒隊を祀り、平和を願うものである。
なお、敷地の入口近くに建つ「ひめゆりの塔の記」では、動員数を297名、合祀した戦没者を224名としている。一方、ひめゆり平和祈念資料館が刊行している資料ではひめゆり学徒隊の動員数を240名、うち戦没者を136名としている(それ以外の戦没者が90名・戦没者の合計は226名)。この相違は、「ひめゆりの塔の記」では学徒隊以外の戦没者数を含んでいることによる。また、以前に戦没者の合計が219名とされていた時期もあったが、これは2003年7月の調査で判明した7名を含んでいないため。なお、「その他の戦没者」には沖縄戦開始以前の死者[4]が含まれているが、これはいずれも「原因が戦争に関連している」との判断によるものだという。なお靖国神社に、彼女たちの御霊が合祀されている。
犠牲者の詳細
2022年現在、沖縄戦で亡くなった女師・一高女の人数の内訳は以下のとおりとされている。なお、<その他>は沖縄戦開始後に陸軍病院動員以外で亡くなった人(他の部隊に協力中、学徒隊への参加途上、家族と共に避難中など)を指す。
理由 人数 累計
沖縄陸軍病院動員 136 136
対馬丸事件 1 137
弾薬輸送列車で爆死 2 139
その他 80 219
対馬丸事件[注釈 2] 1 220
その他[注釈 2] 6 226
沖縄県内では犠牲者を慰霊する〇〇の慰霊碑が無数にある
※各職業ごとの慰霊碑が多数
鉄血勤王隊やひめゆり学徒隊のような17歳以下の違法な招集がされたものの慰霊碑
鉄血勤王隊とひめゆり学徒隊には事実上の自決圧力もあった
★各県の軍人の慰霊碑も多数あり(あなたの県の慰霊碑があるかも、調べて沖縄県に来られた折には慰霊に行ってあげてください)
なお、自決に関して慶良間諸島では軍が命令したとかしてないとかもめていますが、戦中では国民全体で自決しないといけないという同調圧力が強く、暗黙の了解で軍が自決用の手りゅう弾を渡した結果大量の住民の自決(赤子も含む)があった。
日本人も大正時代には自決と言う発想がなかったが、軍のやり方を妄信している間に世間にそんな同調圧力が生じ、信託統治していた南洋諸島でも民間人の自決のバンザイクリフなどがあり、沖縄島南部でもカラー映像で米軍が撮影した民間人の飛び降り映像がある。
かつて、「兵隊さんのおかげです」と礼賛する歌があったが、極端に偏った思想がいかに危険かと言うことです。
フェンスの中の畑は黙認耕作地というヤツではないでしょうか、地主が元の畑を耕しているようです。
これと言った被害もないので米軍側もほっといてくれてます。
「沖縄戦で戦った兵隊さん達に比べりゃ1500m走などなんのその」
こんな言葉が出てくるところが本当に好き
初っ端から水釜は北谷じゃなくて嘉手納だし米軍が上陸した泊城公園(渡具知ビーチ)は読谷村だし何だこの動画。コメント欄も長々と長文で戦争について熱く語ってるけどその程度の人しか居ないのか。どうせ誰もこの訂正コメントに気が付かないだろうけど只々悲しいです俺は。