白蓮寺(はくれんじ) 淡嶋大明神(あわしまだいみょうじんじゃ) 広島新四国八十八ヶ所霊場の第33番霊場で真言宗のお寺 広島市安芸区船越1丁目51−2 #広島 #広島市 #神社 #真言宗 #寺院
本堂内は仏教と神道が混在していました。本尊は、十一面観世音菩薩で厨子の中に秘仏として保管されていました。
弘法大師空海が開祖の高野山真言宗の寺院にあたります。 1957年4月8日 妙華法尼により創建。御本尊は子安觀世音菩薩。ご利益は安産・子育て。
白蓮寺(はくれんじ) 淡嶋大明神(あわしまだいみょうじんじゃ) 広島新四国八十八ヶ所霊場の第33番霊場で真言宗のお寺 広島市安芸区船越1丁目51−2 #広島 #広島市 #神社 #真言宗 #寺院 20250128
@akibingo
第三十三番 御法山 蓮華王院 白蓮寺(高野山真言宗)
白蓮寺
御本尊 子安観世音菩薩
御真言 おん あろりきゃ そわか
御詠歌 ありがたや 登りて見れば 瑠璃の山 白きはちすに みのるうれしさ
縁起
御法山白蓮寺は、昭和三十二年に妙華尼に依り創建されました。現在、本堂、淡島堂、鐘楼堂、信徒会館が整備されおります。
本尊子安観音様の二大誓願は、一、子授け安産/無事育成、二、人望の高楊であります。当寺では、この二大誓願に添うべく日々一切の子供、一切の求子懐妊婦の安穏無事を祈念申し上げております。特に、毎月八日を「子供の日」「子授けの日」/毎月いぬの日を「安産の日」と定めて精進いたしております。大祭は十一月八日
本堂には、不動明王/地蔵菩薩/釈迦誕生仏/弘法大師の四尊、淡島堂には、女性救済守護の淡島大明神/お清め日天王/種銭毘沙門天/三宝荒神の四尊がそれぞの御誓願に依り参拝者に御利益を授けられております。 白蓮寺の特徴あるお祭り
一、星祭り (願主の年間の悪日を占星法により摘出祈願) 二月三日
一、破地獄マンダラ供養 (両彼岸会) 三月二十一日/九月二十六日
一、淡島大祭 (十三羽折り鶴祈願/女性祭) 七月二十三日
一、塩祭り (日天王尊) 六月六日
一、三鎮祈祷 (方位/土地/家を鎮める)八月二十八日
弘法大師空海が開祖の高野山真言宗の寺院にあたります。
1957年4月8日 妙華法尼により創建。御本尊は子安觀世音菩薩。ご利益は安産・子育て。
創建にあたり「何よりも先にお子たちを守護するべし」と当山に子安觀世音菩薩をお迎え致した日が1957年11月8日。
その云われから当山御本尊の大祭にあたる<菊まつり>が毎年11月8日に執り行われ、お子様の守護にまつわるあらゆる願意をご祈願する法要となります。
また、1966年11月8日、御自ら御降臨なされた淡島大明神をお祀りしております。
心願成就後、お礼の意を忘れず、感謝とともに継続した信仰をした者には永遠に成就させると言われ、大きく2つの御誓願(お約束)をなされました。
(一)一切女性の救済
強く強く願った者には願いを成就。すべての女性を救う
(二)一(いつ)にして、二にあら
・女性守護の唯一絶対の存在である。
・一番を願う者には一番を与え、決して二番に下げることはない
(二)にまつわり、女性だけではなく、会社経営者の方々のご信心が多く見受けられます。
男女問わず、日々黙々と淡島堂へ参拝される姿は変わらぬ信仰の証です。
毎年7月23日には<淡島大明神大祭>が執り行われます。
四国八十八ヶ所霊場 お砂踏み戒壇 三健の尊 落慶:2020年10月10日
戒壇の中央に、智恵(脳健)にあたる虚空藏菩薩、足腰(足健)にあたる韋駄天尊、財運(財健)にあたる走り大黒天の三尊をお祀りしております。そして三尊を囲むように、お砂踏み戒壇があり、さまざまな高さの石柱の下には、四国八十八ヶ所の各札所のお砂を埋め込み、石柱の高さは各札所のある標高を表しております。
合掌しながら「お大師様の御宝号 南無大師遍照金剛」と唱え、お大師様と共に自分は在ると観じ、ご巡拝ください。
淡島神(あわしまのかみ)は、日本の民間信仰の神である。
概要
日本書紀ならびに古事記に於いて、伊弉諾神と伊弉冉神が国産みを行った際に、両神の2番目の子として淡島が登場する。しかし、最初の子である蛭子神と同じく、不具の子であったために葦船に乗せて流され、子の数には数えないとしている。なお、「淡島」という島ならびに地名は日本各地に存在しており、記紀に記された淡島がどこにあたるかは比定ならびに特定されておらず、不明となっている。
和歌山県和歌山市加太の淡嶋神社を総本社とする全国の淡島神社や淡路神社の祭神であるが、多くの神社では明治の神仏分離などにより少彦名神等に置き変えられている。淡島神を祀る淡島堂という寺も各地にある。
婦人病治癒を始めとして安産・子授け、裁縫の上達、人形供養など、女性に関するあらゆることに霊験のある神とされ、江戸時代には淡島願人(あわしまがんにん)と呼ばれる人々が淡島神の人形を祀った厨子を背負い、淡島明神の神徳を説いて廻った事から信仰が全国に広がった。
淡島神の本体
淡島神(淡島明神)の本体については以下の様に様々な伝承がある。
前述の伊弉諾神と伊弉冉神の子とする説。
少彦名神とする説。少彦名神が医薬の神とされていることや、『日本書紀』や『伯耆国風土記』に、国造りを終えた少彦名神が粟島(あわしま・伯耆国粟島に比定)から常世の国へ渡って行ったとする記述があることによる。加太淡島神社を始めとする多くの淡島神社がこの説を採っており、祭神を少彦名神、および、ともに出雲の国造りをした大国主神としている。
住吉明神の后神であるとする説。淡島神は天照大神の6番目の御子神で住吉明神に嫁いだが、婦人病にかかったことにより粟島に流されてしまったため、そこで婦人病の人々を救うという誓いを立てたという[1]。これは和歌山市加太と対岸の友ヶ島が住吉神社の社領であったことから後世に附会されたものと考えられる[2]。
婆利塞女(ばりさいじょ)説。第3の説とも関係するが、俚俗に婆利塞女は16歳の3月3日に歯を染めて住吉明神に嫁いだが(その際に紀伊国の紀の岬から摂津国の住吉浦まで干潟と化したのでそこを通行したという)、その後婦人病を患ったために夫婦の仲に障りを来す事を嘆き、形代を作ってその障りを除いたといい、加太の淡嶋神社に女子から人形が奉納されるのはそれに縁るという[2]。なお、同名の神女に頗梨采女がおり、その頗梨采女は牛頭天王の后神とされている。
1番目と3番目の説は、「舟に乗せて流された」という点が共通し、2番目の説も少彦名神が舟に乗って海の彼方から来たと伝えられるので、舟でやって来るという点は共通している。また3番目と4番目の説は女神で婦人病に神験ありという点が共通し、淡島神は女神だから女性を守るという信仰も根強い。ただ、加太淡嶋神社では神功皇后が祀られており、神功皇后自体にも安産や病気平癒の御利益があるため、2番目の説が男神だから女性を守らないということにはならない。
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