伊弉諾大神終焉の地に建つ日本最古の神社:伊弉諾神宮(Izanagi Shrine | The shrine connected to the myth of the birth of Japan)

▼チャプターリスト(目次)
0:00 オープニング
0:21 社号碑、参道
1:23 神池周辺、手水舎
2:43 陽の道しるべ
3:15 正門
3:58 拝殿
5:28 本殿・祓殿
6:24 本殿周辺摂末社
6:50 夫婦大楠
7:44 伊勢神宮遥拝所周辺
8:19 茶室「明日庵」
8:36 境外摂末社

どうも、管理人のヒロリンです。

今回は、兵庫県淡路島に鎮座し、淡路国一宮として知られる伊弉諾神宮(いざなぎじんぐう)を紹介します。

淡路国一宮である伊弉諾神宮は日本最古の神社の一つ。祀られている神様は男の伊弉諾大神(いざなぎのおおかみ)、女の伊弉冉大神(いざなみのおおかみ)。

日本神話を記した『古事記』によると、淤能碁呂島(おのごろじま:現在の淡路島周辺に存在する島)に降り立った伊弉諾大神、伊弉冉大神は「天の御柱」と「八尋殿」と呼ばれる殿舎を立て、やがて夫婦の契りを結ぶ。そしてまず淡路島を生み、その後八州(おおやしま)国をつくられ、海、山、土、水、木の神々を生みます。

しかし、火の神である火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ)を生んだことで伊弉冉大神は火傷を負い、亡くなってしまいます。嘆き悲しんだ伊弉諾大神は黄泉国へ伊弉冉大神を訪ねるが変わり果てた伊弉冉大神の姿を見て逃げ出してしまう。

ようやく地上に戻った伊弉諾大神は、日向(現在の宮崎県)の「橘の小門の阿波岐原」で禊を行い多くの神々を生み、最後に天照大神、月読尊、素戔嗚尊の三貴神を生んだ。これで自分の使命は終わったと感じた伊弉諾大神は故郷の淡路島へ戻り、多賀の社に「幽宮(かくりのみや)」を建て、余生を過ごしたといいます。その御陵の跡に建つのが伊弉諾神宮です。

伊弉諾大神が余生を過ごした場所は神陵と伝わり、明治時代初期に至るまでは禁足地とされていました。その神陵の上に明治時代に建てられたのが伊弉諾神宮の本殿です。

境内地は玉砂利が白く平坦に敷かれており、非常に歩きやすいのが特徴。照葉樹を中心とした社叢の緑と、神陵地を囲む壕の名残である神池に囲まれて、社殿が営まれています。

中を歩むと清々しい空気に触れられるとともに、厳かでありながらも、どこか柔和な表情で佇んでいることが分かります。

そんな同社の様子を是非ご視聴ください。

Izanagi Jingū is a Shinto shrine in the Taga neighborhood of the city of Awaji in Hyōgo Prefecture, Japan. It is the ichinomiya of former Awaji Province.

Per Japanese mythology as outlined in the Kojiki and Nihon Shoki, the Japanese archipelago (starting with Awaji Island), the kami, and all living things were created by the progenitor gods Izanagi and Izanami. After this work was completed, Izanagi retired into seclusion on Awaji Island where his tomb was located on the site of his palace. The documentary history, mention of a shrine to Izanagi in Awaji is made in an entry in the Nihon Shoki under the reigns of Emperor Richu and Emperor Ingyō and the shrine appears in the Nihon Sandai Jitsuroku in an entry dated 859. In the 927 Engishiki, it is listed a Myōjin Taisha, and as the ichinomiya of the province. According to the records of nearby Myokyo-ji, Tamura Nakazane, a descendant of Sakanoue no Tamuramaro, rebuilt the shrine in 1280. The Tamura clan served as hereditary kannushi and as local feudal lords into the Sengoku period. In 1581, Oda Nobunaga ordered Tamura Tsuneharu to take the lead in a battle against Takeda Katsuyori, but he was defeated and the Tamura clan were destroyed. During the Edo period, the shrine was supported by the Hachitsuka clan, daimyō of Tokushima Domain.

During the Meiji period era of State Shinto, the shrine was designated as a National shrine, 2nd rank (Kokuhei Chūsha) in 1871 under the Modern system of ranked Shinto Shrines. It was promoted to an Imperial shrine, 1st rank (Kanpei Taisha) in 1885.

8 Comments

  1. まさか、ここが登場するとは思ってませんでした✨
    淡路島の神社といえばここです。やっぱり有名なのですね⛩
    淡路島に行ったら、また参拝してきますね😊

  2. 今、ある姿が
    時代をさかのぼっても在ったこと
    これからも在ること

    奇跡、そして軌跡ですね✨

  3. ひょっとしたら、淡路島は、日本発祥の地と言われていますね!そこの神社ですから、色んな資料などがあるのでしょうね!貴重な映像を有り難うございました。

  4. 綺麗に造営された神社ですね。かなり癒されたのでは?歩き回るよりじっと佇みたくなりそうです。
    狛犬の布あまり見ないですね。ふんどしかと思ってしまいました。

  5. どんなに有名な神社でも無人の神社⛩️
    そしてドローン映像にも車1台動いていない徹底ぶり。凄すぎます。
    いつも、素晴らしい動画の紹介ありがとうございました。

  6. おはようございます😊またまた完璧な 映像 素晴らしいです 軸がぶれない 回転 映像 私は何度トライしても駄目です 一度 撮影風景を見てみたいものです アップしていただきありがとうございます🙇🙇🙏🩵💙🙋

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