感動!2024長岡花火はすごかった! 混雑は?ホテルは?2025年は土日開催!対策は?  #長岡花火 #花火 #Niigata

日本人なら誰でも一度は見たい長岡花火。
私も人生初、長岡花火を見に行って来ました!

毎年新潟の主人の実家で過ごしてはいるものの
混雑を避けて足を運ぶことがなかったのですが、
これはもう、何度でも見たい花火です。

Vlogですが少しでも花火の楽しさを感じていただけたら、
幸いです。

ホテルグリーンプラザ上越
https://jkokusai.co.jp/

上田の郷
https://uedanosato.com/

当日ライブ配信されたノーカット版

2025年の長岡花火攻略TIPS
※確実に見たい方はバスツアーがおススメ
※宿泊は越後湯沢がおススメ
※日傘は便利!無くしたけど。。
※帰りの新幹線自由席の場合は新潟方面より東京方面が空いてる

6 Comments

  1. ひろこさん。ありがとうございました!!記憶と記録に残る作品ですねー
    💯

  2. 日本スキー発祥の地は、上越は上越でも上越市で北陸新幹線上越妙高駅が新幹線最寄り駅の所なので、今回行かれた所ではありません。

  3. ホテルグリーンプラザ上越
    上越国際スキー場内にある老舗ホテル。開業日が昭和43年(1968年)12月20日です。
    ※上越地方とは全く関係ありません。上越新幹線と同じ由来かと。

    赤い三角屋根が特徴の巨大リゾートホテルである。このスキー場のシンボル的存在。
    昔、1度だけ宿泊した事があります。おしゃれなホテルですよね。
    ただ、見たところ…大きな改装をしていない様子。難しいのかな。

    こごみと筍。
    郷土料理というより季節限定料理だなぁ。下処理して保存しておくのかな。こごみ。
    山菜取りは恒例行事みたいなものだし、筍も旬の時は10本近く貰うからなぁ。

    釜炊きごはん
    藁炊きなのかな??

    長岡駅の大混雑
    あはは、ヤッパリそうなるね。

    観覧席へ向かう人々
    始まる前は、皆さんゆっくりと移動されるので、ぎちぎちにはなり難いです。
    凄いのは「帰り」
    途中で帰る方もいらっしゃいます。(ご存知だと思いますが)が、8割方残っています。
    それが一斉に動き出すので、始まる前より激混み状態へ。
    慣れていらっしゃるようなので、安心しました。
    新幹線って、日をまたぐ運転はしない様になっているんです。
    なので、東京駅に0時までに着かないといけないので、長岡発が早いのです。
    ちゃんと原因があるので、了承願う限りです。

    観覧数17万人
    今年増やしたんですがねぇ。足りないって…。どんだけ…。
    転売やーが…ちゃんと正規価格で皆さんに渡って欲しいな。

    長岡花火の始まり
    ※長岡花火公式Webサイト/歴史年表より一部引用
    それ、全く違います。大掛かりな花火大会に変化したのは
    明治12年(1879年)です。145年間続いています。
    ※きっかけはもっと古く天保11年(1840)です。
    代表的な花火の1つ・正三尺玉の初お目見えは、大正15年(1926年)です。
    が、戦争の気配が色濃くなり、遂に昭和13年(1938年)中止となる。
    その7年後…あの日が来ます。
    昭和20年(1945)8月1日の22時30分。原爆の投下テストの為に始まった大規模空襲。
    実際に模擬原爆が投下されました。落下地点に碑があります。長崎の原爆と同じ型だとの事。
    125機のB29編隊が来襲し、焼夷弾による大規模なじゅうたん爆撃が始まり
    街は焦土と化して、約1500名の犠牲が伴いました。
    駅に近い場所に「戦災資料館」がありますので、次回は立ち寄って頂ければ
    もっと「長岡まつり」の意味が分かるかと。
    エンタメみたいになっていますけど、心の中では合掌しながら見ています。
    で、歴史に戻ります。
    空襲の1年後、昭和21年(1946年)に、まず先に「まつり」が「長岡市戦災復興祭」の名で復活。
    その1年後、昭和22年(1947年)に、花火が追いつく。長岡花火が復活。復興祭の1・2日に上げました。
    が、その翌年、昭和22年(1947年)に、
    今の長岡まつりの形・1日に「戦災殉難者の慰霊」のまつりを。2日、3日に慰霊の花火を上げる形になる。
    ※昭和25年(1950年)…山下清画伯・名作「長岡の花火」を発表。
    ※昨日まで、対岸にある新潟県立近代美術館で、山下清展~百年目の大回想が開催されてました。
    ※代表作「長岡の花火」が、本当に間近で見れていたのに…
    昭和26年(1951年)に、戦後初の「正三尺玉」の打ち上げに成功する。
    製作は嘉瀬煙火工業。父、嘉瀬誠喜氏・子、嘉瀬誠次氏の手によって復活。
    そして…中越地震へと向かいます。
    此処まで来れば、ご存知ですよね。
    ※嘉瀬誠次氏は、この後ナイヤガラ大瀑布や長岡花火の始まりを告げる1番手・白菊を製作した方。

  4. 長岡花火の集客数は、有料席の販売数で集計されているそうなので恐らくはその倍以上の人々が集まっていますね。集客数を誇張してるような花火大会とは別次元だと思います。
    それだけの自信があるのでしょう。

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