二・二六事件の東京を歩く【昭和】

ナシを頼むとダンボールが届きまして中 からお弁当が出てきますこれをレンジで 温めるだけです買い出し調理片付けも不要 今回皆さんにはクーポンを配布しています 1回目の購入で2000円引き2回目は 引かれず3回目で3000円引きという クーポンです初回は1食あたり365 thesで購入可能時間短縮になるナシュ がおすすめ です226事件と言いますと2月26日に 起こった事件という情報を知っている人は 多いと思いますがま詳細を知っている人は 少ないと思いますここで簡単に確認して おきますと2月26日から2月29日 つまり約3日間にかけて発生した日本の クーデター未遂事件が226事件です 226事件という事件の名前は有名で知っ ている人は結構多いですがその事件の詳細 を知っているという人は結構少ないですと いうことで今回の動画では226事件が 起こった当初どのようなことがこの現在地 東京で起こっていたのかというのを現場を 巡りながら確認していきます向こうに見え ていますのが現場の1つである警視庁後 から行きますこちらWikipediaの 226事件のページですがまこの中に結構 まとめられていましてですがね多分一般の 方々がこんなの見てもよくわかんない言葉 がいっぱい並んでいて全然理解できないん じゃないかなと思いますこちら主な関係者 といったところを見てみますと陸軍の歩兵 隊そしてこちらも陸軍歩兵隊陸軍歩兵隊と いった感でこの226事件を起こしたのは 陸軍の関係者ということが分かるかと思い ます彼らのことを青年症候とまとめて呼ぶ ことがありますがそのような陸軍の青年 商工たちが約1500名の兵を使いクデタ を起こしますそれが226事件ですじゃあ その1500名の兵というのはどこから やってきたのかという話になるんですが それはですね小江歩兵第3連隊そして歩兵 第1連隊歩兵第3連隊の兵を使っています そんなこと言ってもねよくわかんないと 思いますのでここでで野江 歩兵という風に入れてみるとこちら古江 歩兵第3連体があった跡地が出てきます とりあえずはこの場所に向かっていき ましょうえ公共交通機関で行けばあ ちょうどいいですねこちら千代田線で 向かえるようですじゃあ駅の方に向かって いき ますれでは千田乗って移動を開始現在地が 20橋前といった駅なんですが向かって いきますのがこちら赤坂 です次は赤坂ですこの電車は各駅停車成 学ということで到着しましたのが赤坂駅 ですこの赤坂の周辺に僕が現向かっている 第3連があったんですがの地名で言います と赤坂サカスもしくはTBSがある場所と いう風に言ったら分かるかなと思います ここに昔この江兵第3連隊がありました こちらWikipediaの小野江歩兵第 3連隊のページを見てみるとその歴史が 載っていましてこちらですね1番最初は 明治時代に始まっています明治時代にこの 手団が創設されその当初は霞ヶ関にあり ましたおそらくご覧になっている人の中に は東京の地名がわかんないという方もいる と思いますのでちょっと簡単に確認してみ ますとこちらですね中央にありますのが 江戸城高居ですでこの高居のえっと南東の 方角この辺りですねこの辺りが霞ヶ関です で現在地赤坂はこの辺りということでま 移転したのはまそれなりに近い距離であっ たというのが分かるかと思います実際に 地図で確認してみると現在見えてるこちら が高居そして南の方この黄色く囲っている 辺りがえ霞ヶ関になっています実際に見て みたらここに古江と書いてあったり他にも 陸軍の総連場かなこれはいろんな陸軍に 関連する施設がこの周辺にあったことが 分かりますその後小江歩兵第3連隊は 霞ヶ関から赤坂に移転して日清戦争日代 戦争に従軍しそして226事件を迎えます Googleでこのように小江歩兵第3 連体と検索してみると画像でですね いろんな画像が出てくるんですがま現在地 から見ては分かりやすいのはこれかなと 思いますちょっとね坂道の上に弊社がある のが分かるでしょう現在建物はもう なくなっていますがこのように坂道が登っ ていっている様子が見えてかつての地形が 現在も忍ばれます見た感じこの写真は現在 僕が見ている南の方角から北の方角を見た ものだと思いますのでこの坂道を登って いきましょうこの周辺はTBSがあったり こちらは赤坂と書いてあったり反対から 読みにくいですねねあとはハリーポッター 関連のものがあります今周辺を見ても当時 の軍関連のものはないかなと思うんですが このレガも多分違いますよねということで 坂道を登っていきますと大体この辺りに 弊社があったんじゃないかなという位置に 出てきます実際に昭和時代の航空写真が 残っておりましてこれがですね226事件 が起きた当初のものですので現在地と比べ てみるとこの辺りに弊社があったのが 分かるかと思います地図を見てみたらどう やらこちらの方に小江歩兵第3連体跡と いった出席ま多分看板があるくらい でしょうけれどそういったものがあるので その方向に向かっていきますこっちの方 です ねなかなかこの周辺はね坂道ま赤坂って 名前ですから当然ですけれ坂道が多いので 大変です赤坂の赤というのはですね確か 関東ローム草の赤い土から赤い坂がある から赤坂みたいなそんな話だったと思い ます現在のこの坂道を登った周辺に多分 石碑があるんでしょうね右側だ なおそらくこっちかなと思うんですが本当 にあんのと思って歩いていったらありまし たねこちらが小江歩兵第3連体の後です 小江歩兵第3連体と書かれた横には 記念費に添えてと書かれたまこれは分 でしょうねそういったものがありましたえ この歩兵第3連体はえ最初は霞ヶ関にあっ たんですが赤坂に移動してきましたという ことが書いてありますでえ赤レンガの3階 建て兵車2等が立つこれが結構ね有名だっ たんです先ほどの画像でもこのように赤 レンガの兵車が2等立っている様子が 見えると思います他にも別の角度から見 たらこのような感じ手前にでっかいのが ありまして奥にちっちゃく見えているのが 2投目この兵というのは天皇を守る優秀な 兵ですので全国から選ばれた優秀な人々が ここで49年間鍛錬に励みましたと書かれ ていますそして先を見てみると日進戦争 日代戦争に出世してそこで手柄を立てまし たとも書かれていますでこの後を見てみた んですが突然ね品字編と書いてありまして これ現在の言葉で言いますと日中戦争なん ですがえ226事件というのはこのえ日 戦争と日中戦争のちょうど真ん中ですので ここら辺で起きています多分うん226 事件はあまり名誉な出来事ではありません のでここには書いていないんでしょう何 にせよこの赤坂周辺にこの第3連体があり 当時の建物はこのような建物だったという ことが分かりますそして別の写真で角度を 変えて見てみたら先ほど見えていた2つの 建物がここに12と並んでいるのが見え まして手前には門がありますこの門という のもですね写真が残っていましてこちらの 画像ですつまりまこの周辺歩い たらこのような景色を見れる場所がある はずですということで先ほどの航空写真を 見てみるとここにありますコ歩兵第3連体 の北星の位置に現在僕はいるようですで見 てみたらですねここに12といった感じで 赤レンガの弊が見えていますで多分先ほど の門はここでしょうねじゃあちょっと南の 方向に行けばいいのか現在の地図で確認し てみるとおそらく弊社はこの辺り12と いった感じで立っていたはずなので多分門 はここの交差点ありでしょうかねじゃあ この交差点に向かっていきましょうさて 先ほど見ていた交差点がこちらの交差点 ですま小地図や小写真を見て推測するに この写真が撮られた場所とというのは現在 のこの位置だったんでしょう実際にこの 交差点に立って小地図でGPS機能を使っ てみると現在地に門があったことが分かる でしょう226事件が起こった当時この小 歩兵第3連体にいたのが中橋元明といった 人物この人物なんですが下の方を見ていき ますと226事件というページがありまし てえ26日は午前4時だから真夜中ですね 真夜中に非常古を そしてここから同体が出発向かう先は午前 5時に高橋がいる指定です高橋強というの は内閣総理大臣を務めたこともある人物で 日本の政治家ですこの自系列を確認して みると集合がかかって20分後にはここを 出発しそしてそのさらに20分後にはもう 高橋堀の邸宅についています20分後に ついているということはそんなに離れてい ない場所だったことが分かるかなと思うん ですがここにありますね高公園ここに かつて高橋堀の卓がありましたということ で高橋小強があった指定まで歩いてみると ま7分間ですので結構余裕がありますね ここで集合した後にかつてこの歩兵第3 連隊は向こうに歩いていったわけ ですということで陸軍青年商工になった つもりでこちら高橋小町の卓に向かって 歩いていきますちなみにこちらがえ表で まとまっている226事件の詳細なんです が高橋堀予定を襲撃したのは小江歩兵第3 連体の中橋中尉が引きいる部隊約60名と 書かれています226事件が起こる2月 26日の数日前確か3日前くらいだったの で23日くらいかなそのくらいに東京には 大雪が降っておりましておそらくこの周辺 はまだ雪が残っていたでしょうあそこに 見えている信号が先ほど門があったと言っ ていた交差点の信号ですそこからずっと北 の方向に歩いていきますと こちら野元坂といった坂道がありますここ から坂道を下っていっていますのでま赤坂 と呼ばれていた坂道がえここからえ下の方 に降りていくそんな場所ですでこの坂道を 降りていった陸軍青年商工はおそらくです があの交差点かなあそこを左に曲がるよう ですねということで坂道を下っていくん ですがもうねここまで歩いてみて分かり ます通り結構近いですごめんなさい多分 間違っていましたさっきこの道を左に 曲がったんだろうという風な話をしました がその手前に1個ね交差点がありましたで 地図を見てみたらおそらくですがこの道 ですねこっちの方を通っていったっぽいな という風に感じます実際に現在の地図で 聞いてみても最短距離はこの交差点なので ここを曲がりましょう かああ見えてきますね多分もうここの 向こうに見えている白いあちらがすでに 高橋の指定があった場所だと思います僕の 記憶が正しければ中橋注意はこの周辺まで 兵60名を連れてきて一時停車しますで ここで我々がここまでやってきた目的は実 は高橋これを殺すことだという風に兵に 言うわけですということで先ほど見えてい た白い壁まで着いたんですけれどあこの壁 の向こう側ではないですねごめんなさい あっちです向こう に柵があるのが分かるかなと思いますこの 柵の向こう側が高橋小強のお家でした現在 この柵の向こう側は公園になっていまして あここ見えますねちょっと日本庭園がある んですよで多分今からだったらこっちから 入れるんですが当時はこっちからは入って いません当時の航空写真で現在地を確認し てみるとこんな感じ高橋小強の邸宅の ちょうど東側ですねここにいますで東側の 平を乗り越える隊とこの辺りに正面玄関が あったんですが正面玄関から入る部隊2つ に分かりますつまり東側の兵を乗り越える 部隊というのはおそらくこの辺りにあった 兵なんでしょうね結構段差あるんだけど ここ登ったのかすごい なそして兵を乗り越える部隊とはまた別に 正面から突破する部隊もいました正面玄関 はこっちの方角この交差点を曲がりまして 左側ですね大体この辺りに正玄関があった と言われていますこちらの写真が確かね 226事件が起きた当日の写真だったかな と思うんですが今僕が向かってきた道が ここですねこの道がありましてそこを左に 曲がったらすぐに門があったそのような 状況ですということで僕が通ってきたのは この道で左に曲がってすぐここに正門が ありましたちなみにこの場所は現在高橋小 記念公園となっていますということで Googleで高橋地図という風に索して みますとおそらくこれが当時の定の地図 です分かりますかね僕が今先通ってきた道 はこの灰色の部分を北の方向にずっと進ん でいきまして正門がありますで正門を 曲がって右側 に玄関があったんですねということで こちら左に曲がってすぐに玄関があった 場所そしてこの玄関を入って右側ですね 右側の にあっちかなちょっと今は建物があります ので昔のようには歩けないようになってい ますがおそらくこの辺りに玄関があったん でしょう地図を見ながら推察するとあの 辺りに正面玄関というか門がありまして中 に入ってきてこの周辺に玄関がありました そしてその向こう側にはですねえ台所が ありそしてその奥に今がありますこの今の 2階ですね2階の部分で高橋こきは殺され てしまいましたで地図を見てみますと えっと正門はこの辺りで正門から入って左 の方に玄関がありこんな感じかなあ台所 じゃないか食堂かえ玄関から入って左側に 食堂があってそしてさらに奥にぶつがあり この2階で高橋こきが殺されていますでね ちょっと面白かったのはこの玄関があった であろう場所をですねしっかり見てみると 見えますかここの地面ですねなんか石が あるんですよ 多分これあの玄関の目の前にあった石畳が 現在も残っているんじゃないかなと思うん ですがちょっとね正確には分かりませんが 多分そうでしょうね実際にこの地図を見て みると玄関の目の前は車寄せがありますの でここが石でできていたとしても不思議で はありません高橋強が眺めていた日本庭園 が現在も残っているんでしょう公園の奥の 方に歩いていきますとこちらに は高橋像と書かれまして銅像があります 226事件で命を落とした人物というのは 何人もいますがその中でも特に有名なのが この高橋こきでしょうちなみに現在この 周辺に高橋こきの邸宅の後は残っていませ んが現在もその建物は一されて保存されて いますちょっと地理的な関係で今すぐ行く ことはしませんが今日の1番最後に向かい ますので楽しみにしておいてくださいこれ である程度今回の動画の趣旨は分かったか なと思いますこのように陸軍の青年商工 たちがたどった道のりというのを実際に 歩いていくそのような動画ですさてこの江 歩兵大3連体の道のりというのは見てきた んですが他にもね陸軍の青年商工たちが 関連していますえ歩兵え第3連体えこう ですねで検索してみるんですがあ検索の 結果は出てこないかということで Googleで検索してみましたが歩兵第 3連隊というのはどこにあったかというと 駐屯地は第2次世界大戦後の東京大学生産 技術研究所があった場所現在の国立新美術 館という風に書かれていますということで 国立新美術館で検索してみるとまこの辺り からそんなに離れてないかなという位置に ありますので自転車で行こうかな途中まで はこちらの自転車を借りて移動することに しますそれでは高橋の屋敷があった場所を 出発現在通っていますのが青山通り右側に 木が並んで見えていますがこちらは赤坂球 ですある程度進んでいきますと赤坂郵便局 前といった交差点が出てきますのでこの 交差点を左に曲がりますあとはこの道を南 の方向に進んでいきますと茂坂に到着し ます今回レンタルしたこの自転車ですが 電動自転車なんですが電池切れになってい まして結構きつい思いをしながらぽいで 生きている様子 ですということで到着しましたのが乃木坂 です現在ではアイドルグループの名前とし て知られるようになったこの乃木坂ですが 元々は乃木稀といった人物が住んでいた 場所だから乃木坂という風に呼ばれるよう になったという経緯があります現在向かっ ている国立新美術館という美術館はこの 乃木坂駅の南側にありますこの辺りは かつて陸軍施設がたくさんあって陸軍の町 として発展した場所でした現在はですね 戦後に入った後の大規模開発によってま あんまり残っているものはないんですが それでもしっかりと探していけばまだその 影を見ることができる場所は残っています ということで到着しましたこちらが国立新 美術館ですこの奥に立っている ぐにゃぐにゃと曲がっている建物がその 美術館です226次件当時の航空写真を見 てみるとこの近くにま漢字の日本の日 みたいなねそんな感じの建物があったん ですがこれがかつての歩兵第3連体で 先ほど歩いてきた小江歩兵第3連体の場所 の確認をするとここですねまちょっと離れ てはいますが結構近い位置にあったのが 分かるかと思います中に入っていきますと こんな感じでねぐにゃぐにゃしたま珍しい 形の建物があるんですが注目すべきは今回 はこちらではなくその反対側にあるこの ガラス張りになっている建物ですこちら側 から見てもこの建物が一体何かは分から ないですがこの裏に回っていくと分かり ます反対側に回ってきましたこの白い建物 が先ほど見えていたガラス張りの建物の 反対側ここはかつて歩兵第3連体の建物と して使われていたそんな建築物ですこの目 の前の入り口の上の方にはま平らな場所に ちょっとポコっとね上がっている部分が あるそういった特徴がある入り口なんです がその左側を見てみるとちょっとぐーっと ねこんな感じで曲がっていっているのが 分かるかと思いますここで歩兵第3連体と という風に検索して画像を見てみるとこれ とか分かりやすいんじゃないかなこれが かつての歩平第3連体なんですが今見えて いる入口がここですちょっと平らなところ にポコっと山みたいなものがあってその 左側がぐっと曲がっているそのような建物 が現在いるこの場所ですさっき見ていた 写真が撮られた場所はおそらくこの辺りな んじゃないかなという場所まで移動して いきます かつてはこの右側の方に正面入り口があっ たんですね現在は国立新美術館の入口に なっていますかつての航空写真で確認して みてもこの目の前に建物があったことが 分かります実際に航空写真を見て当時と今 を比較してもぴったりと場所が重なって いることが分かります近くにはこんな感じ で看板がありまして国立新美術館別館建物 という風な名前がついいるそうですその 建物はえかつて陸軍第1士団の歩兵第3 連隊ま通称保ですねその弊社として建設さ れましたえそれがですね現在残っているん ですがこの漢字の日の字を偏り配置された 建築構造とかがま特徴で他にもですねま アデ5町のデザインを取り入れた外壁など いろんなことで近代的な建物として注目さ れていましたこの建物が建てられる前には ですねの弊社があったんですがそれは関東 大震災で燃えてしまいましてその後に建て られたのが現在ここに残っている弊社です ちゃんとかつての弊社がねこういう風に 写真で残っていて今残ってるのは大体この 辺りなんですが地図を重ねてくれています ねえ残っている部分がこちらそして正面の 入り口だったのがこのポコっと出ている 部分なんで現在のこの灰色の方のラインで 見てみると丸い部分があるこの辺りから ちょうど正面に入っていくような構造だっ たことが分かりますつまりこの丸い部分の 辺りに正面玄関があったようですこっから 入っていったんですねちなみにこの国立新 美術館の中にもかつての弊社の模型がある ようです入り口入りまして右に曲がった 突当たりの階段の周辺ありましたこれです ねここに書いている文章としましては 先ほど読んだものとほぼ変わらないかなと いう感じです がこのように実際に ね形が分かるような模型を作ってくれてる のはすごく嬉しい先ほど見ていたのが大体 この辺りですねでその右側には正面玄関が ありあもしかしてここにはやっぱそうか菊 のご問が ほおでああちょっと反射で分かりにくいな こんな感じで奥の方に伸びていっていまし た陸軍青年小向というのはですねこんな 感じで兵の中でもま兵隊の体調みたいな そういった立位にいたんですけれどまその 部下となるような人々がいるわけですそう いった人々はですね大体農民でした農民が 徴兵されてこのように平出と呼ばれるお 部屋で生活をしていたわけですつまり陸軍 青年症候というのは農民たちと一緒に生活 をしていましたこの模型の中庭にはこんな 感じで兵たちが更新の練習をしてい たりまた反対側の中庭には成立の練習をし ている様子が描かれていますこの四官と いった人物が陸軍の青年症候そして並んで いる人物が兵ですねこの兵というのは大体 農民でした当時日本国内はもものすごい 貧困層が生まれていましたその教皇に拍車 をかけたのがアメリカから発生した世界 教皇です農民たちは生活が本当に苦しく なりましてこんな感じでね娘の身売りと いうことも行われました娘身売りの場合は 当相談所へおいでくださいという風に書か れていましてまこんな感じで普通にね自分 の子供を売ってそして生活をしていく みたいなそんなことが行われるくらいに 貧困層は大変な思いをしていたです当時 この歩兵第3連隊にいたのが安藤テルゾ そしてその安藤の影響を強く受けた酒井 直しそして226事件で最も多い兵を引い た野中史郎がいましたまもちろんですね他 にもいっぱいいるんですけれど今回の動画 では3人しか取り扱いませんま理由とし ましてはですね人数増やしたら増やした だけ複雑になってしまって内容が意味が 分からなくなるからです国立新美術館を 知らない人でもこの景を知っている人は 多いと思います映画でこの光景が使われた ことによりまして世界的に有名になった 日本の場所の1つですこの保から出発した 安藤大ですが彼はその人柄から部下に絶大 的な信頼を置かれており安藤が立てば保が 立つとして226事件の成功を大きく左右 すると思われていた人物です彼は確信派症 校たちの中でも最も血気に消極的で次期層 だという立場を取っていたんですけ 最終には他のたに説得され寸前の2月22 日になってやっと血を決します半道たちが 狙ったのは鈴木神太郎といった人物でして 当時はですね自重長と言って天皇の即金の ような役割をしていた人物ですということ で安藤はこの保から鈴木自重長がいる邸宅 を襲撃しに行きますでそのがどこにあった のかという話ですが 内町のになっていますここまで向かって いきますということでえ経路を確認して みるとま大体こんな感じあこれは車の経路 ですねおそらく歩いていったでしょうから ま大体こんな感じだろうなと思うんですが ちょっとねこれ結構僕調べたんですがどの 道を通っていったかというのはですね わかんなかったんですよなので今回は地下 鉄を使って移動していこうと思います そして安藤から影響を受けてこの226 事件に参加した酒直といった人物ですが彼 もこの保を出発しますそんな酒井が狙い ましたのはこの斎藤誠といった人物で彼は 当時内大人をしていましたま内大臣も天皇 の側近みたいなそんな感じのえ役職と思っ てくれればいいと思いますその斎藤誠の 邸宅があったのは現在四谷と呼ばれる辺り ですねえっとどこだっけなここに赤坂球が あって赤坂球のすぐ近くのあここですね ここに斎藤誠のお家がありましたという ことで今から向かっていきますのがですね 2人の道のを辿っていきますまず1人目が 安藤ですね安藤はこちらの方鈴木神太郎 自重長を倒しに行ったそして酒井がですね こちら斎藤誠内大人を倒しに行ったその 2人のルートを辿っていきますまず最初に 安藤の方から向かいましょうか安藤はここ を出発する段階では鈴木神太郎を襲撃する という風には兵たちに伝えておらず安国 神社に向かって出発するという風に伝えて いましたこちらの写真はここに書いてある 説明を見る限りでは226事件が終わった 後にここに帰ってきたそんな保の舞台なん ですが門がありましてその奥に建物があり その中に兵隊さんたちが入っていくその ような状況です角度的に考えると僕が現在 いるこの正面の入口ありから見た写真なの で大体この辺りでしょうねということで この辺りにあった正面入り口から出発し 安国神社に向かっていったわけです雪が 降り積もっている中兵士たちはここを通っ ていき安国神社へと向かっていったんです とはいえ先ほども言った通り正確な道のり が分かりませんので安国までは地下鉄を 使って移動していき ます 表参道で半蔵門線に乗り換えです銀線 都営大江戸線はお乗り換えですさて半蔵門 駅に到着しました安藤はこの赤い部分から 出発しまして現在地の辺りまで進んできた ということはですね分かるんですが正確な 道のりは先ほども言った通り分かってい ません実際にえ安に参拝したのかもね ちょっとよくわかんなかったので今回は安 には参拝せずにこちらのえ内町 のここですね内町の文調車まで向かって いきます現在見えていますのが江戸城の 内堀おそらく安藤たちはここにあります 内堀通りを通って襲撃地点に向かっていっ たはずですなので現在地から横にあります 交差点をまっすぐ進んでいきそして右に 曲がるとこの交差点をまっすぐ進んでいき そして途中で右に曲がれば安藤が歩いた道 だと思いますさてある程度歩いていきます とこのようにTジに出ますこのTジを右に 曲がった方向にかつて鈴木神太郎自由長が 住んでいました坂道を下っていくと ちょっとなんか偉い人たちが解合してそう なんであんまり映したらいけないかな とにかくこの右側にある建物ここにかつて 鈴木神太郎が住んでいたといった場所です 現在でこそ名前の役職が変わりまして区内 長長官という風になっていますがまあ自重 長が名前を変えたといえばそう言えない こともないかなといった役職その後この ように鈴木神太郎は兵たちに囲まれまして あなたが鈴木神太郎閣下でございますかと いう風に聞かれた後はそうだ私が鈴木 神太郎だという風にねもうそのまま名乗っ ちゃうわけですでそうなりますとこの陸軍 の兵たちも閣下頂戴いたしますという風な 話になりそして鈴木神太郎はピストルで 打たれ倒れてしまいますそのすぐ横には ですね妻の高といった人物がいるんですが ここに女の人が映ってるの分かりますかね このように夫人はじっと正座したまま一部 指示を見ておりで最後はですね安藤がとど を刺そうとするんですがこの妻の高がもう これ以上のことはしてなくてもよろしい でしょうそれだけはどうかおやめください という風に頼んだので安藤はもってここ から引き上げていきますここで命拾いをし た鈴木神太郎はその後総理大臣となり軍部 を説得しポツダム選言を自宅終戦へと導い ていきますつまりもしもこの時殺されてい たら後の日本の終戦もどうなっていたのか は分かりませんでしたその後鈴木神太郎 襲撃を終えた安藤はここを出発しまして 現在の国会技術党がある周辺に移動して いきますここで他の陸軍青年商たちと合流 するんですということでテルゾのお話は 一旦ここで終了し次は安藤の影響を受けて 226事件に加わった酒井の同行を確認し ていきましょう酒はこの赤いピンですね 国立新美術館なんですがここから出発した 後にどこに向かったかと言いますと斎藤誠 の指定ですねなのでちょっといつも分かい にくくなるんだえっとここですね この赤坂球の西側の辺りに向かいましたと いうことで今から この場所を離れて移動していきますそれで は再び自転車に乗って口周辺を出発この 辺りは別に青年商号たちが歩いた道では ありませんので簡単にしか説明しません ある程度道を進んでいきますと現在進んで いるこの道の真下に神町駅があるといった 場所に出てきますこの交差点を右折した後 にずっと西の方角に進んでいくつまりは ですね東京の中心部からどんどん言って いるそのような様子ですそして見えてき ましたのが四谷駅当のちがわかんない人で も四谷という地名を聞いたことがある人は 多いでしょう現在向かっている斎藤誠の 屋敷があった場所の最寄駅というのがこの 四谷駅ですということで赤坂まで移動して きました向こうには赤坂球が見えています 斎藤ま内代人定があったのはこの学習院 初島の裏側ですそのようにな方々が住んで いるような場所だったのでたくさんの舞台 がこの周辺で警戒体制に入ったようです さて見えてきましたこちら左側のこの建物 ですねここがかつて斎藤誠が住んでいた 内台人定があった場所でしたこんな感じで 斎藤誠正門という風に検索しますとかつて この周辺にあった斎藤誠内大人手の正門の 写真が見えますこれですねこの正門があっ たのが大体この辺りです正門から舞台が 突入していった物事に気づいた斎藤誠は 寝室から出てきたところをピストルと機関 銃で謝されますその夫人は殺すなら私を 殺してくださいと言って斎藤の体に 覆いかぶさりましたが青年商工たちはそれ を引き離して一斉射撃全身の47箇所に 弾丸が打ち込まれ数十箇所に切り込まれる という残酷な殺し方でしたおそらく226 事件の中で1番残酷な死に方をした人物で はないでしょうかその殺害現場の目撃者が いました有馬緑地といった人物でえクメ班 の阪有馬の第16代投手という風に書いて あるんですがこの方はですねなんとここに 書いてありますねちょっと難しいんですが ま結局何かと言いますとこの襲撃現場の目 の前に止まっていたという風なことが書い てあるんですそんな場所に泊まっていた彼 は斎藤夫妻の殺害に遭遇したと書かれてい ますこの有馬緑地は後に226暗殺の目撃 者といった本を書き上げましたということ でこの周辺にあった正門から出て襲撃を 終えた部隊はこちらの方向に戻っていき ますつまり襲撃を終えた酒直したちはこの 橋の上を渡って赤坂球の方へと向かって いったんですこうして赤坂球に戻ってき ました斎藤誠襲撃を終えた酒直しは他の シコラと同じように現在国会技道がある 辺りこの辺りに戻っていきますしかし酒直 と一緒に斎藤誠を襲撃した2人の証拠は ここから別行動を取ります高橋太郎と安田 豊かです彼らの次の目標は渡承太郎でした つまり斎藤誠襲撃を終えた部隊の1人は ですねこっちの方のえ国会事事の方に 向かっていったんですが2人はですねまた 別の方向に向かっていきました渡辺承太郎 艇ですで結構それがね遠いんですがこの 荻久保の辺りにありますのでまずは荻久保 駅に向かっていきましょう高橋太郎と安田 豊の2人の商工たちはこの周辺にですね 軍用トラックを置いておいてそのトラック に乗って荻久保へと向かったようです当然 一般人の僕が軍用トラックを使えるわけが ありませんので僕は一般人らしく電車を 使って移動していき [音楽] ます さて荻久保駅に到着ですここから渡辺 承太郎が殺された現場まで歩いていきます 渡辺承太郎のお家があったのはこの駅の 北側そこの道をですねずっと西の方向に 進んでいけば到着できるんでこの駅の北側 にありますこちらの道ですねこの道を西の 方向に向かっていきます荻久保に到着した 高橋と安田はですね大体この辺りに車を 止めたという風に言われていますでここ車 というのがですねトラックなんですけ トラックを降りた後にすぐさまこの交差点 に景気間銃を設置してであっちの方にあり ますお屋敷を警戒したわけですこちら見て 分かります通り結構ですね新しいお家が 左側に並んでるんですよこれは常太郎艇が 壊された後に新しく建てられたものだから ですこのように渡辺承太郎艇という風な 検索をかけてみるとカラー写真なんで本当 につい最近まで残っていたのが分かります これが渡辺承太郎艇の玄関の画像なんです がこのように手前の扉は壊されたんですが その奥にあった扉がですね結構頑丈で なかなか壊れませんでしたということで 正面玄関が突破できないという話になり ますと裏側にぐるっと回ったらしいですで 裏側の方から中に入り込み渡辺承太郎と 銃撃戦になりましたその銃撃戦で渡辺 承太郎は命を落とすことになるのです いろんな地図やこの写真から推察するに 多分この辺りに渡城太郎艇の入口があった のでしょうこうして渡辺城太郎艇を襲撃し 殺害に成功した血部隊たちはこちらに止め ていたトラックに戻りましてそのトラック でまた東京の方に戻っていったわけです さて小久保駅に戻ってきました今日回って おきたいと思っていた襲撃場所はま全部ん ですけあと1か所回りたいと思っている 場所がありますそれが途中で地理的な要因 で後から回りますという風に予告しておい た高橋これ予定ですちょっとね東京の中心 地からは結構西に寄っていますのでまこの 荻久保に来たその延長線上で回っていこう という風に考えていましたので今から回っ ていきますのはこちら高橋小予定があり ます江戸東京建物園 です 次は武蔵小金武蔵小金お出口は右側 ですさて武蔵小金院に到着ですここから先 はバスに乗って移動していきます車内での 円1の替はできませ ん 事故公園西口といったバス停でおりました このバス停のちょうど目の前にあります この森の部分ですねここは小金井公園だと 思うんですけれどこの公園の中に今向かっ ている江戸東京建物園はあり ますあそこに見えているのが江戸東京建物 園の入り口なんですがえ工事中もしかして 中には入れるのか などうやら建物園は通常通り開園中だそう でよかったここまで来て開いてなかったら どうしようかと思いました僕はジフ会員な んで割引きが聞きましたさあ中に入って いきましたがここを右に曲がったところに 高橋堀の邸宅はあります入り口から入って きて右に曲がってすぐの場所ここにあり ますのが高橋こきが住んでいたお屋敷現在 まで保存されていますこの屋敷の2階で 226事件の当時高橋は寝ていたんですが ここでえバッとねえ布団を取られた後に 殺されていますこちらが高橋堀艇の案内 看板なんですが見て分かります通り今日の 朝見たものとは結構ね規模が違って ちっちゃいんですよこれが今日の朝に見て いた地図なんですがここに一部分という風 に書いてありまして色が違うのが分かるか と思います玄関と食堂とこの仏馬ですね ここだけ色が違うんですよでまこんな感じ で地図を見てみると えーま多分この形ですねで玄関がここに一 されていますの でこの玄関をここにぐっと持ってきてつげ ちゃったよとそして復元したよというのが 現在残っているこの高橋これ艇ですつまり 本来の形を見てみると玄関から入ってすぐ 畳廊下がありそこを左曲がったら食堂が あるという形なの でこの辺りに玄関があって畳の廊下があっ てここに食堂があるみたいなそんな感じの 作りをしていまし た入てすぐにはこのように高橋これ艇案内 図というものがありまして現在地はですね ここです玄関入ってすぐですがかつての 玄関はここではなくこの辺りについてい ましたので玄関入って畳廊下を曲がり そしてここの廊下を通ってくるという形 だったので青年証たちは向こうから歩いて き てここを曲がったわけ です今さっき案内版を見ていたのがここ ですねだからこっちから歩いてきた青年症 校がここまでやってきたで今から向かって いきますのが現在地はですねこの食堂にい ますので左を向いたらこの廊下が見えます でその廊下の手前の廊下を曲がると階段が ありその上に登っていった場所に高橋こき が寝ていましたでは食堂を出て目の前に 廊下が見えますこの廊下ではなく左に 曲がるとこちらに登り専用階段この階段を 登っていき ます右下に出ている地図ですがこれはです ね1階なので表示を2回の地図に変え ましょうすると階段を登って左側には高橋 小強艇の2階1番大きな部屋がありまして この部屋から入って左今見えていますね この場所が高橋の室でしたつまりこの部屋 が高橋が新だ部屋です高橋これの銅像が あった位置から見た光景はこのような光景 だったと思いますそれをこの江戸東京建物 園で同じくらいの方角から見てみるとま こんな感じで当時の建物が見えていたん だろうなという予想がつきますもしもここ 訪れたいなと思う方は建物が残っている今 のうちにぜひ訪れてみてください建物園の 中にありますのでおそらくずっと保存さ れるとは思うんですがやはり日本は地震が 多い国ですのでまそういった天才には勝て ませんからね今回のテーマは226事件な のでこの江戸東京建物園で高橋これ予定 以外を紹介することはありませんがま こんな感じで当時の江戸東京の建物が ずらっと並んでいますので歴史が好きな方 は結構楽しめる場所だと思います それでは本日の工程はこれにて終了また 明日も暗殺の現場を回っていこうと思い ますのでよろしくお願いし ますおはようございます日付が変わりまし た本日は2023年の12月2日時刻は8 時41分現在いる場所は新あ新じゃないか 国立新美術館です昨日お話ししました通り ここにはかつて歩兵第3連隊通称保があり ました昨日はこの保とそして小江歩兵第3 連隊ここからいろんな人が襲撃現場に 向かっていく様子を一緒に歩いていきまし たで一ですね簡単に振り返りをしておき ましょうか昨日まず1番最初に巡りました のは小江歩兵第3連隊の中橋中尉が高橋小 を出撃する様子そして次に見ましたのが保 3の安藤対が鈴木自重町官邸を襲撃する 様子そして他にもですねこの保からは襲撃 者が出ていまして酒注意が斎藤内大人の 指定をえ襲撃する様子を見ていきました そしてこの斎藤内大人手を襲撃した グループはですね堺注意はそのままえ東京 の中心部に帰って行ったんですが他に渡辺 教育総官邸えそこをですね襲撃した人々が 安田とえ高橋の両正位ですねそこまでが 昨日巡ってきた道のりの確認なんですが実 はこの保からはまた別に野中史郎といった 人物も襲撃に出ています彼は226事件で 約500名の貸官兵を率いて警視庁及び桜 ダモン付近を占拠した人物ですこの500 名というのはですね226事件で動いた 舞台のうち1番多い人数警視庁や桜田の 場所は今と全然変わっていませんのでこの 地図で確認しますと現在地がこちらでえ 向かっていったのがこの辺りですねここに 桜田がありそしてその向い側にありますの が警視町ですなんかこんな感じで現在の 地図があったんでちょっと分かりにくい ですね北が多分こっちの方角ですでえや ちょっと見てみると現在地ここですねえ 国立新美術館そして今から東の方向に 向かっていきましてここにね東京ミッド タウンといった場所があると思うんですが ここにはかつて歩兵第1連隊通称ホイが ありました結構近いんですね当時の航空 写真で見てみるとこの日本の日といった 感じの建物があるのがは保そしてその目の 前の道をまっすぐ行くともうすぐねここに 保があるわけですねそれを現在の地図で 確認してみるとここが保があった辺りで その目の前の道この道ですねここをずっと まっすぐ行きますとここにホイがある そんな感じの道のりになっていました本当 にすぐ近く多分23分でつきますねで実は ですねこの保3とホイのえ商工たちが 集まって226事件の会議をしていた場所 というのがですねこの近くちょうど中に あるんでそこもご紹介しますということで 保の目の前の道をずっとまっすぐ行きます ともうね見えてるんですがここにね建物が あるじゃないですかこの建物が保があった 場所ですなのでこの道をまっすぐ向かって いきましょうということで歩くこと大体1 分から2分くらいですかねこんな感じで まっすぐの道のちょうど中間地点あたりに 竜土県といったえフランス料理屋さんが かつてはありました現在はもうなくなっ なってしまっていてガラス張りの建物が 立っているんですが大体この辺りですねえ 右側に見えているこの建物がホイの建物ま ホイの建物というかホイがあった場所 そして後ろの方振り返って今来た道を見て みるとこの奥の方に保があった場所が見え ていますもう本当にすぐ近くかつて陸軍の 青年商工たちはこの場所に集まって226 事件の計画を立てていきましたさて向こう に見えている歩兵第3連体の後地から ずっとこの道をまっすぐ移動してきまして 竜土県の前を通り過ぎこの角を右に曲がっ た野中史郎は現在東京ミッドタウンがある この場所で歩平第1連隊と合流します現在 はこのように東京ミッドタウンになってい ますがこの東京ミッドタウンをですね検索 してみたらかつてここには防衛長の本庁者 があったその跡地の再開発としてここにえ 東京ミッドタウンが出来上がったという ことが書かれていますこちらが インターネット上で見つけた歩兵第1連隊 の正門の前の写真なんですがこの門の奥に 少し特徴的な建物があると思います三角形 の屋根をしていて左右に塔のようなものが ありそしてそのさらに左右にま建物が伸び ていっているそのような建物なんですが このような画像もインターネット上にあり ましたこれは防衛庁がかつてこの周辺に あった頃の航空写真ですねで今見ていた 建物というのがここにありますね三角形で 塔があり左右にさらに伸びているでこの 建物は一体どこにあるんだと思って確認し たんですが先ほど僕が通ってきた道がここ にね見えてるんですよこの道で右に曲がっ たらホイがありますとそんな感じなんです ねということで龍土県がこの辺りだから えっと交差点の右側にすぐ入って左側と いうこと はこっちの方にね龍土券があるんですよね あの辺りが龍土券そして右側に入って大体 この辺りでしょうねこの辺りに正門があっ たことが分かりますこちらもかつて防衛長 があった頃に取り壊される前に撮った写真 がインターネット上にあったんですが おそらくこの建物 がこの辺りにあっただろうということで まあ門はここでしょうねなので野中は 向こうからやってきてここで歩平第1連隊 と合流したわけです ごめんなさい今ここで合流したと言いまし たがここは表門でした合流したのは裏門 ですので裏門に向かっていきますちなみに 現在の位置を航空写真で確認してみると かつてこの辺りに先ほど見ていた建物が あったのが分かりますそんでね合流した 裏門というのはどこかと言いますとここが 表もですが裏門というのは多分ねこの辺り にあったんだろうなと思うんですよ おそらくここだと思うんですよねなので 今から向かっていくのがえ現在地ここから 進んで左に曲がるのかなそしたら裏門に 行けるでしょうということでこっちの方向 に進んで左に曲がります再開発が終わって いるので当然ですが歩兵第1連隊の陰は 全くありませ んさてある程度歩いていきますと交差点に 出ますこの交差点名前が東京ミッドタウン 前という風に言うそうですがこの交差点を 左に曲がったら裏の方向ですねということ で左に曲がっていき ますそしたらあ坂道になってるのか昔と道 はほぼ変わっていないっぽいですねここ まっすぐ歩いていって右に曲がりそして左 に曲がるそんな道を今から右に曲がって左 に曲がってそんな感じで奥の方に進んで いきます大切なのはね想像力です野中郎が この曲った道を下っていきながら後ろに 兵隊を引き連れて当時雪の中ですねそこを 更新していくそのような様子を思い浮かべ てくださいさてSに曲がっていた坂道を 下ってきますとですねこのような平らな道 に出ますでま左を見たらこれはんだホテル か なザパークレジデンスえホテルじゃないの もしかしてすごこれ住んでるんですかへえ で実はですねこの奥の方に何やら公園の ような空間があるんです よこの平の道を歩いてくると左側に公園の ような空間がありますこれは歩兵第1連隊 の敷地の中ですので実はねここに看板が あるんですちょっと分かりにくいんですが ここですねもう分かる人にしかわかんない ような感じでここにホイの跡という風に 書かれています現在この場所には池がある んですがどうもね当時の写真を見てみても ここに池っぽいものが見えるので昔から あったのかなと思ってちょっと色々地図を 見てみたらここにね萩班森家下屋敷跡と いう風に書いてあるんでもしかしたらその 頃の森家の屋敷の池がここに残ってんのか なこの歩兵第1連隊にいたのが栗原安秀で この人物です226事件で検索したらね こんな感じで1番最初にこの有名な写真が 出てくるんですがこの写真のちょうど 真ん中にいる人物が栗原ですねそして栗原 とは別にニ正田といった人物もこの保から 出動していますさっきの226事件の ページを下の方に進んでいくとまこの写真 も有名かなと思うんですがこの左側にいる 人物がニです2月26日の真中にこの保に た兵を叩き起こした栗原は今から演習を 行うと言ってま1日分の食料とそして実弾 とを渡してここから更新を始めていきます おそらく兵士たちは何が起こってるかよく 分からずついていったでしょうということ で保の裏門があったと思われる交差点に 到着しましたこの交差点から栗原そしてニ は出動していきましてここの坂道を右に 曲がり登っていきますホイの裏門はここに あったんでしょうけれどここから出てきて 右に曲がりそして坂道を登ってきてこの 交差点ここでおそらく野中と合流してい ますこの道を栗原の舞台そして仁の部隊 最後は野中の舞台で縦に並んで更新をして いきました結構移動してきたので場所を 確認しておくとここが保3ですねでこの目 の前の道で竜土県の目の前を通り過ぎえ カクっと曲がってカクっと曲がってえ現在 いたのがこの辺りここら辺がホイですで今 から向かっていきますのがこの北の方角な んですよ彼らは何をしたかったのかと言い ますとこの日本の政治の中心地長田町周辺 を占拠するといった任務を持っていました なので向かっていきますのがこちらの方角 ですここら辺を歩いたのは初めてなんです がねあの周りがものすごいお金持ちのお家 ばっかりでなんか不審者として通報され ないかヒヤヒヤしてるんですけれども とにかく進んでいきます 向こうの方から歩いてきて舞台はこちらに 向かっていったんですがここにねおそらく 氷川神社って読むんでしょうねそういった 神社がありますでまちょうどいいから看板 見てみたんですけれどここに徳川8台吉宗 光が将軍職をつに至り今方10年あ15年 か15年老樹水野た行に明治造影と書いて ありますつまりこの神社は江戸時代から ここにあるということになりますので昭和 時代のま226事件ですねその血気部隊は この神社を見ながらこちらの方向に歩いて いったのでしょうさて道を進んでいきます とこのような十字に出ます現在であれば この道をまっすぐ進んだ方が近道になり ますが当時の地図を見てみるとこれね10 次じゃなくてTジなんですよだからここの 道を右に曲がってで左に曲がってまっすぐ ということで右に曲がってああますね多分 あそこを左に曲がるんでしょう舞台を 引き連れて坂道を下りここを左に曲がっ たら日本の政治の中心部が見えてきます この道の目の前まっすぐ向こうに見えて いる木が生えているありあれが首相鑑定の 辺りですさて首相鑑定を目指してこのよう にまっすぐ進んできたんですが交差点の 名前がため池というそうですこのため池 交差点今車が進んでいますがまっすぐ 進めるようになっていますが今はねこう いう道があるけれど昔はなかったんですよ こんな感じだからえっと舞台はですね おそらく右に曲がってこの道を左に進んで いったんでしょうなのでまずはここの交差 点を目指して進んでいきますこっちの方右 ですね向こうに見えているなあの看板青い 看板がたくさん並んでいる交差点この青い 看板がたくさん並んでいる交差点特許町前 交差点と呼ぶそうですがこの交差点で血 部隊は2手に分かれますえこっちの方向に 行きますと首相鑑定がある方向向こうの方 に行きますとえ軽視長がある方向です今 まで栗原仁野中の順番で並んで更新をして きた血部隊ですがえ前の2つ栗原と野中は 首相鑑定がある方角に向かっていきますで 野中の方は警視所の方に向かっていくわけ ですということで1番前を歩いていた栗原 の舞台の足取りを追っていきます現在でも この周辺はね政治の中心地ですので いろんなところに警備の人がいてちょっと 不審な行動と思われないか心配だなえ何に を到着しましたこちらが首相官邸ですね 現在は木で覆われていて何も見えません この壁の向こう側に現在は首相皇帝といっ た旧鑑定ですねそれがあるんですがま全然 見ることはできません坂道て行きますと 向こうに少し屋根だけ見えてますねあちら が国会技道でこの左側が現在の首相鑑定 です当時の内閣総理大臣は岡田啓介といっ た人物でこの首相鑑定の中を逃げ回った末 に最終的にここから脱出することに成功し ていますというのも当時ここに泊まりに来 ていた松尾伝三という人物右側の人ですね この人が代わりに殺されたのでえ岡田介を 殺したという風に勘違いした血気商工たち はもうねこれでえ目的を達成したぞという 風に感じたそうですということで向こうの 方からですねえ栗原隊が向かってきまして でその後ろに入隊が並んでいるという状況 だったんですけど栗原隊はこちらの方の 首相観点の方にえ襲撃を行っていきで入隊 はですねおそらくこっちの方に曲がって いったんじゃないかなと思いますので 向こうの方に進んでいきますそれで体が どこに向かっていったかと言いますとこの 現在は国会議事道の敷地内になっています がこちらですね陸軍大臣鑑定跡といった 場所です今はこんな地図でカクっと曲がっ て進んでいくようになっていますが昔は ですねちょっと違いましてえっと現在地 ここなので斜めにまっすぐ行った後にもう 1回斜めに曲がるといった形でしたこの角 にあるのが陸軍大臣の鑑定ですとりあえず はまあ今の道しか通れないのでこっちの方 でカクカクと曲がって進んでいきましょう さてここにあった首相官邸からま入隊が どっちの道を通ってきたかてのはねわかん ないんですがこっちの道かなそれとも こっちの道かなっていうところですが とりあえずまここにですね陸軍省の鑑定 陸軍省じゃない陸軍大臣の鑑定があります のでまこの周辺大体現在地の左側辺りに 建物があったっぽいんで多分ここら辺 でしょうね現在はこのように左側はもうね 国会擬似の敷地内ですので中に入ることは できませんま一応ね入る方法はありまして この裏側から見学をしていいですかていう ことで見学ルートに入っていけば一応この 道はね歩くルートに入っています僕も1回 歩いたことがあります実際中を歩いてみる とこんな感じであれは山口県ですねなか 全部の都道府県の木が植えてあります おそらく陸軍大臣官邸と言いますとこの 角度の写真が有名かなと思います右奥の方 に国会議事道が見えているんですが分かり ますかね向こう側に国会技道が見えてい ますなのでま陸軍大臣官邸がこの辺りに あったというのも頷けるでしょうこの陸軍 大臣官邸のすぐ近くにありましたのが陸軍 省と陸軍三房本部です陸軍省は現在この 工事中の辺りにあったようですそれもこの 小写真で確認してみたら一目瞭然ですね ここが陸軍大臣の鑑定そしてこの建物が 陸軍省ですこの辺り現在地がね青いんで すごく分かりやすいと思いますもうね陸軍 賞の中にいると言ってもいいのではない でしょうかここが陸軍鑑定そしてここが 陸軍じゃあ3房本部はどれだという話に なるかと思いますが3房本部はですねこの 建物ですなのでじゃこっちの方向に向かっ ていきましょうかということでこの時計台 ですね確か3件分立を表現して3つになっ てるみたいなそんな感じだったと思うん ですがその時計台の場所までやってきまし たここがかつて陸軍の3本部があった場所 です入部隊は陸軍3本部陸軍の鑑定などが あるこの辺りを拠して以後この周辺が連絡 施設として疲れるようになっていきます 今回昔の地図を見ながら歩いたんでね 初めて気づいたんですがここねおそらく 陸軍山房本部の間取りが結構残っている ように見えますえ目の前のこのまっすぐの 噴水ですがおそらくここでしょうねこの道 に当たるんでしょうだから現在僕が立って いるこの階段はえ見たら分かりますかね こんな まっすぐ伸びていたんだと思います ちょっと現在はご覧の通り道路が 出来上がっていますのでま全部残っている わけではないんでしょうが大体の位置は 変わっていないはずですこれが当時の写真 ですこの目の前にあります銅像ですが こちらはアリス川の宮タヒ新王の銅像え 現在はですね確か公園に一されていますで 奥の方に見えているのが町ですね現在地 から見たらおそらくこんな感じ多分この 辺りに銅像があってで向こうに今も警視長 が見えていますとでこっちの方にあるのが 桜ダモですねさて先ほど撮影していた位置 から反対側に渡ってきました向こうに階段 があるの分かりますかねちょっと車が通り ましたけどえこの辺りちょっと見えにくい かなまここにさっき僕が立っていた階段が ありますでなんでここにやってきたかと 言いますとこれですね当時の写真が現在も 残っていまして真ん中には有川の宮の銅像 がありその奥にえ陸軍の山房本部の長者 って言うんですかね建物が見えていると いうことで大体この位置から撮った写真 でしょうさてまた移動してきました向こう に時計の塔が見えていますがこれ現在地は ですねえ塔の手前にはお堀がありまして 右側には江戸城があるそんな現在地右を見 たら桜ダモン街の変で有名な桜ダモがあり ますでここまでやってきたのもですねま 理由がちゃんとありましてこのように かつてこの場所で撮られた写真があるから です奥の方に見えているのが陸軍の三房 本部現在地と比較しても同じ角度で取られ ていることが分かるでしょうでこの左の方 を向いたらですね現在も警視長があります 現在の警視庁はこのような形をしています が226事件当時またこれも別の形をして いました場所は変わっていませんが当時の 警視庁はこのような形をしていますま地形 も同じだということはね多分こう比べてみ ても分かりやすいんじゃないかなと思い ます警視庁を襲撃したのは補3の野中史郎 でした226事件の説明をする際に絶対に 出てくるこの写真ですがこの写真が撮られ たのが警視長です確か中庭だったかな郎は 約500名の兵を率いてこの警視庁を占拠 し占拠された警視庁は外部との通信を遮断 され警察は一時麻痺状態になってしまい ますこうして各地で目的を達成した氾濫 部隊は三宅坂桜ダモン赤坂三月を結ぶ線の 内側すなわちですね館長街のほとんど全て を占拠してしまったんです陸軍の上層部は この後意見が分裂していきましてで ちゃんと鎮圧しようという風に言う人も いればいやこの機械にこの血商たちを利用 して自分の立場を上げようという風に 考える人もいたそうですそのように陸軍が 態度を決めかねている間この昭和天皇は ですねもう本当に激怒していたようです 自分自から兵を引いてその血部隊を鎮圧 するとまで言っていたそうでしたという ことで高居にやってきたんですがなんか ね色々とコーンが置いてあって人が いっぱい入っていくんですよでそういえば ね僕ちょっと前にインターネットで探し タモンから中に入れるようになってる みたいなそんな感じの記事を読んだんで 多分それにみんな集まってるんでしょうね せっかくだから入れるなら入ろうかな すごいですね予約なしで入れるのか僕は 結構この江戸城周辺を歩き回っていると いうことが多いんですがこのようにさし たもから中に入るというのは初めての経験 ですこちらに見えていますのが坂いつもは このは ここにあることは知っていたんですがいつ もね遠くから見ることしかできなかった 内町者ですこの庁舎が作られたのは226 事件が起きた時とほぼ同じ時期です事件 当時この周辺をたくさんの人々が慌しく 歩き回っていたことでしょう226事件に は全く関係ありませんがせっかくなんで 紹介しておきますとこちらが町側から見た 藤宮です江戸時代のので燃えてしまった後 に再建されたもの現在見えている藤宮は 再建されましたが元々あった天主は再建さ れずこの藤宮が天主の代わりとなったよう ですそれ以降もこのように紅葉を楽しむ ことができまし たいやなかなか貴重な経験をしました多分 一生に1回通れるか通れないかそのうだと 思いますさて到着しましたのが江戸城の北 の丸226事件のお話は昭和天皇が激怒さ れ団子鎮圧の姿勢を取ったというお話で 終わっていましたこうして東京には海原例 が敷かれ血気部隊鎮圧に向けて動いていき ますその鎮圧の拠点となったのがこのすぐ 近くにありますここに九段会館といった 会館があるんですがこれですねえ最近 立て直されたので新刊になっちゃってけれ とりあえずこっちの方向に向かっていき ますということで北の丸をずっと北の方向 に進んでいきます北の丸にありますのが 有名な日本武道館ですどうやら今日は アーティストのライブがあるようでなんか いろんなねブースができていたりするん ですけれどま別に僕アーティストは興味 ないんでどうでもいいんですがこのね武道 館に1回入ってみたいなという気持ちは前 からありますそのうち何かの機械で入って みたいなと思っているんですがとりあえず ねま今日はそうではありませんので北の丸 を出ていきましょうさて北の丸を出まして 右の方を見たらですねあっちの方に日本風 と言いますか洋風と言いますかちょっとね 混ざったような建物がありますあちらが 九段会館です226事件当時この周辺を 兵士が警戒している写真が残っていますが 現在の建物と見比べてみても当時の風景と 同じような風景が広がっていますが実は ですねこちらは立て替えられたものです 226事件といえばこの写真も有名ですが この写真は現在僕がいる九段会館当時は 軍人会館と呼ばれていましたがこの場所今 も同じような形をとめてくれていますこの 軍人会館で参謀本部作戦課長の石原幹二が 司令部の実験を握り血気部隊の鎮圧に 乗り出していきますということで状況とし ましては血部隊が現在の国会擬似道周辺を 選挙している状況そして僕が現在います この九段会館に海原司令部が置かれそれに 対抗していくといった状況になってきます こうして海原司令部による説得が始まって いくんですそれでは説得の舞台になった 国会擬似道周辺に戻っていきましょう帰り はねもう歩いたので地下鉄を使おうか な 調しますということでため池三の駅で電車 を降りまして現在地がま見覚えがあるかな と思いますあの緑の部分が総理大臣鑑定 そしてあっちの奥にあります青い看板が ある交差点でなんか舞台が分かれましたと か話をしていた場所ですでまこっちの方で ですね血部隊が選挙しましたのでその血 部隊のえん言えばいいかな拠点になってい た場所を巡っていこうと思います僕が現在 いるこの交差点から左の方向に進んでいき ますとここにね建物があるのが見えると 思うんですよこれですが左の方向見たら 現在あのタワーがある辺りですねこちらの タワーのことを三納パークタワーと言い ますこちら2000年に三納パークタワー が進行したという風に書いてあるんですが じゃあその前は何があったのかと言います と取り壊される前 はこちら三納ホテルといったホテルがあっ たんですこのホテルですね見て分かります か226事件当時の三納ホテルという風に 書かれていまして当時ここに商工たちが 集っていったで兵たちがこのホテルを占拠 していましたタワーの麓まで移動してきた んですがここで航空写真を見てみたらです ねここに字型になっていてそのさらに 向こう側に線が通っているのこれが道なん ですけれどこの四角いのがおそらく三納 ホテルですこれが当時の三納ホテルの別 角度からの写真ですがここに友次の形の道 があってその奥に進んでいくまっすぐの道 がありで右側にホテルがあるということで 現在いるこの場所が三納ホテルの友次の 部分に当たる場所だから大体ここら辺に ホテルはあったのかなと推測できますは この辺りで兵が銃口を向けていたのかも しれませんここにある三納ホテルからもう ちょっとですね北の方向に向かっていき ますとこの辺りに後楽といった両手があり ましたということでその両手に向かって いくんですが当然ね今はありません今は 普通に歩けますが226事件が起きた当時 この周辺には血部隊がもうワンさいまして でこっちの方にはですねそれを見に来た なんて言うんですかね矢島ですかそういっ た人々がたくさんいました その両の跡地に作られたのがこちら プルデンシャルタワーですこの真下の辺り にかつて陸軍商工が拠点とした両手の後楽 がありましたおそらく両手の入り口はここ の白いぴっと飛び出している部分これが道 だと思うんですけれどもう少し歩いたら 到着するんですがもう本当にこのタワーの 真下だったんでしょうね大体この辺り で白い場所に移動してきています海原司令 部が置かれた当初血部隊はここを本部とし て抵抗しようという風に考えていました こちらがその両手の後楽ですがここにね ちょっと読みにくいな右から後楽という風 に看板で書いてありますもう現在とは全然 違いますね何も残っていないでしょう 226事件の決起に1番消極的だったのは この安藤テルゾですが彼は1度やると決め たら本当にやり通す男でしたここにあった 後楽を占拠していたのが安藤テルゾの舞台 だったんですがこの後楽がね木造建築だ から先頭には不向きだという風な理由で 先ほど僕が見てきたえ三納ホテルですね あっちは鉄筋コンクリートだからそっちに 移動していきます海原司令部としてはです ね陸軍対陸軍みたいなね日本人同士で 殺し合うみたいなそんなことはしたくない わけですよだからこんな感じでビラを配り ましたこれはね上の方に飛行機が飛んでき てで巻いたそうですま結構ねその江戸城の 堀の中に落ちてしまってあんまり効果は なかったという風に言われていますがそれ でもねこんな感じでえビラを配りましたえ 今からでも遅くないから現代へ帰れつまり 自分の体に戻って来いとそういう風に言っ てるわけですね抵抗するものは全部逆賊で あるから射殺するおおすごいなお前たちの 父や母そして兄弟は国賊となるので皆泣い ておるぞという風なお話をするわけです他 にもラジオを使ったりしてですね会司令は なんとかして基準させようという風な試み をしていきますそのような説得の買もあり ましてほとんどの舞台は基準していきます が最後まで抵抗を続けていたのが安藤大の 舞台です安藤大はここにあった三納ホテル で拳銃を使って自殺をしますしかし彼は ですね死に切れませんでした同じように 血気症候の中に自殺を試みた人物がいまし て野中史郎彼はですね軽視長を襲った人物 ですが下の方に書いてあったんですよね ここ えっとその後桜田付近を占拠しその後自決 を促され氾濫の責任をとって陸軍大臣の 官邸で拳銃自殺したそれが34歳のこと 野中史郎は自決しましたがそれ以外今回出 てきた人物たちはですね全員資材になって いますつまり死刑ですねずらっと式が並ん でいるんですがここに安藤だったり栗原 だったり中橋だったりの名前が並んでい ますそれでは今回の動画の最後に彼らの 裁判が行われた場所そして死刑が行われた 場所に向かっていき ます 方面やってきましたのが渋谷です26事件 の裁判が行われた場所そして死刑が行われ た場所ということを知ってる人は少ないと 思いますもれの東京には来ますがねこの 渋谷新宿原宿とかそこら辺の西側の方は 基本的に用事がないんですよなのでこの 辺りの地図は未だに頭の中に入っていない んですがそれでもね226事件の入れの道 は覚えていますさて見えてきました奥の方 にある茶色い建物がNHKですがその手前 にです ねここに像があるのお分かりいただける でしょうかこちらが226事件のイレ像 です上を指差していますのは観音像ですね 現在観音像があるこの一角ですねこっち側 こっち側は当時陸軍の刑務所でした当時の 航空写真を見てみるとこんな感じでえこの 辺りが陸軍の刑務所ですねでその北星の 位置に現在僕がいることが分かります そして実はですねこの北の方向を見てみ ますと大きなハラッパが広がっていまして これもまた陸軍のでここはですね陸軍の連 所なんて言えばいいかな訓練する場所でし たつまり現在の地図で確認してみると大体 この辺りが刑務所があった辺りそしてこの 北側ですのでまNHKがある辺りはかつて 連携所だったことが分かるかと思います その大部分は現在は代々木公園になってい ますここにあった陸軍の刑務所の中に建物 を立ててそこで裁判の余震が行われました そこで起訴するか訴ないかを決めると いっったものだったんですが当然ですね 起訴することになります後半も同じように この刑務所の中で行おうとしたんですが さすがにそれは後から暗黒裁判として問題 になるだろうということで刑務所と道路を 挟んだ向こう側にあった代々木連盟所の なるべく刑務所に近いところに建物を設け ましたこうして弁護人なしの軍法会議を 受け彼らは死刑の判決を受けますま要する にもう1番最初から死刑は決まっていてで その手続きのためにもうとりあえず軍法 会議しようみたいなそんな感じのスピード の判決でしたそうなると次は死刑はどこで 行うかという話になるんですが1番最初は ですねこっちの方にあった代々木連盟所で 行うという話が出てきたんですがそれは さすがにやめようという話になりますなぜ かと言いますとこのさらに奥にはですね 明治神宮といったま神聖な場所があるわけ ですということでさすがにそこでするわけ にはいかないということはやはり死刑も 刑務所で行うことになりますこの226 事件の慰霊像があるのは刑務所の北星に 当たるんですけれどまさにこの北星の方角 の片隅で処刑は行われていますえ大体です ね多分この辺りだと思うんですけれどここ の辺りに5個だったかな十字を並べまして そこに縛りつけてで向こうの方からえ10 で打つという風なそんな感じの死刑だった そうですGoogleで226事件処刑と いう風に検索するとまこれがね1番 イメージしやすいんじゃないかなと思ます これは映画の1場面だそうですがこのよう に縛りつけられたところをこちら側から銃 で打ちということが行われましたとなると ですよ絶対に銃殺の音がバーンとなるわけ ですそれをねさすがに周りの人に聞かれる のはまずいということになったので向こう の代々木連所では当時え訓練が行われてい ましたその音に紛れて処刑が行われたん ですそれではこの動画の最後に226事件 慰霊像の横にあります分を読んでみて 終わろうと思います昭和11年2月26日 未名東京エイジの歩兵第一第3連隊を死体 とする1500余りの兵力が兼ねて昭和 維新断行を起としていた野中史郎大青年 症候に引きられて決起した当時東京は番頭 にしては慰霊の大行であった血気部隊は 積雪を決て重心を襲撃し総理大臣官邸陸軍 省警視庁などを拠した斎 高橋大臣渡辺教育官はこの襲撃にあって 倒れ鈴木長は重賞を追い岡田総理大臣牧野 内大臣は危く南を逃れたこの間獣心警備の 人に当たっていた警察官のうち5名が重職 した血部隊に対する処置は4日間に音便 説得処置から右直接して強行武力鎮圧に 変遷したが2月29日軍隊相打ちは駆け られ事件は無結理に集結した世にこれを 226事件という昭和心の起とをして死亡 者中野中河野両対位は自決河田安藤対位 以下19名は軍法会議の判決により東京 陸軍刑務所において警視したこの地はその 陸軍刑務所後の1隅であり警視した19名 とこれに先立つ長田事件の相澤三郎中佐が 停止した処刑上の1であるこの因縁の地を 選び警視した20名と自決2名に加え獣心 警察官その他事件関係犠牲者1歳の例を 合わせ慰めかつは事件の意義を長く記念す べく広く有しの常在を集め事件30年記念 の費を期して慰霊像混流を発願し今ここに その春行を見た通シンで所令の明服を祈る 以上ですご視聴ありがとうございました

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提供:ナッシュ
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〇目次
00:00 広告
00:24 概要
02:40 近衛歩兵第三連隊(赤坂サカス)
09:10 高橋是清襲撃
16:35 歩兵第三連隊(国立新美術館)
27:27 鈴木貫太郎襲撃
31:26 斎藤実襲撃
35:01 渡辺錠太郎襲撃
37:50 高橋是清邸宅(江戸東京たてもの園)
43:36 二日目
46:28 竜土軒
47:39 歩兵第一連隊(東京ミッドタウン)
53:42 永田町へ
56:51 岡田啓介襲撃(首相官邸)
58:30 陸軍大臣官邸(国会議事堂)
1:00:22 陸軍省・陸軍参謀本部
1:03:50 警視庁
1:04:46 皇居
1:06:47 戒厳司令部(九段会館)
1:09:05 山王ホテルと幸楽(山王パークタワー・プルデンシャルタワー)
1:14:40 二・二六事件慰霊像(渋谷)

○参考書籍・サイト
高橋正衛著『二・二六事件 「昭和維新」の思想と行動』中公新書,1993
https://amzn.to/3RAvkGw

太平洋戦争研究会編『図説 二・二六事件』河出書房新社,2003
https://amzn.to/46TxWE7

筒井清忠編『昭和史講義 【軍人篇】』ちくま新書,2015
https://amzn.to/47xuBvX

川田稔著『昭和陸軍の軌跡 永田鉄山の構想とその分岐』中公新書,2015
https://amzn.to/3Ni3dJZ

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#観光 #歴史 #旅行

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  1. ありがとうございます。私は政治的にはどの系統にも属しておりません、ただし、磯部浅一の「獄中記」、「獄中手記遺書」などを読みました。高齢の部類になりましたが、少し前には「NHKの一角にある「226事件慰霊塔」や「安藤輝三、歩兵第三連隊」の史跡などは見学しております。実際の地理位置を調査しているのはすごいです。いつか、ご一緒できればと思います。私は仙台市に住んでいます。2.26事件の将校が仙台の陸軍幼年学校の出身者が多いのも関心を抱いた理由です。

  2. 赤坂・歩兵第1連隊跡のマンション居住で、近衛歩兵第3連隊跡放送局や代々木練兵場・銃殺刑場跡観音像向かいの放送局などの関係者、かつ軍事知識を有する者ですが、興味深く拝見しました。市ヶ谷移転前の防衛庁もよく知っていますが、現在の東京ミッドタウン商業棟ガレリアの位置写真の建物として紹介されていたのは当時の連隊本部、防衛庁時代は防衛庁共済組合でした。

  3. 高倉健さんが主演した「動乱」で青年将校が処刑された場面を描写してまいた。
    動画の最後の部分の処刑の声明を聞いてそれを思い出しました。

  4. 草なぎクンが若気の至りで泥酔してやらかした公園?出てきて吹いた 
    九段会館は3.11の人的被害でホテル廃業を余儀なくされてしまったけど保存されてよかった

  5. ロサンゼルス在住の歴史研究家です

    226の本当の黒幕はアメリカのワシントンかNYのフリーメーソンロッジで入会した皇室関係者と藤原家の一部が天皇家をそそのかして起こしたクーデターです
    青年将校だけでこれだけの部隊を動かす事は可能性ゼロです
    過去200年ぐらい世界中で起きている政変、クーデターのほとんどは英米の諜報機関
    今で言うところのCIAやモサド が裏で関わっています
    この当時、昭和天皇の弟 @@@@@@は政府関係者とアメリカ渡航時にフリーメーソンに入会し
    昭和天皇にも入るように説得していますが断られています
    その代わりに天皇は欧州の王族12名しか入れない秘密結社に入ったと言われてます
    今でもこの時代からある山王ホテルは在日米軍専用の秘密結社のホテルとして使われいます
    毎月2回、高級官僚の事務次官クラスや最高裁のトップ、東京地検の幹部などが呼び出され
    米軍トップと秘密の会合を開いています ( 米日合同委員会 )
    この会合で決まった議題は政府や国会を通さず数年以内に現実化されて来ています
    民主党の鳩山総理が現職の時に初めて日米合同委員会の存在を聞かされて、総理大臣でさえ
    内容を全く知らされていなかったと証言している動画が上がっています
    おそらくアメリカ🇺🇸は150年前から日本國を支配して、植民地にする計画をこの地で
    企んでいたと思います

  6. 非常にわかりやすく最高でした。
    丸竹さんに都内を案内してもらいたいです😂

  7. 地図を使っているのでとてもわかりやすかったです、ありがとうございます

  8. 高橋是清公園は、喫煙ブースがあるので利用しています。池のある赤坂の氷川公園は、子供の頃に釣りをしましたね。とても為になりました

  9. 昭和の終わりくらいに桧町警備、要は防衛庁の警備(陸上自衛隊では桧町駐屯地との位置づけ)で行った頃は、まだ歩兵第一連隊の本部?隊舎は健在で防衛庁共済組合の倉庫として使われており、防衛庁内では20号館と呼ばれておりました。巡察がてらに近づくと、敷地の外からは新しく作った高い壁でわかりませんが、敷地内では20号館と当時の正門と立哨が立つヤグラ跡がありました。映画226の冒頭にズームで出る時計は付いておりませんでしたね。

  10. 内容もさることながら、
    スマホで調べ物しながらそれをカメラで撮るってすごいな。

  11. @rikky2139

    0 秒前

    高橋是清邸跡横のカナダ大使館に訪問したことがありますが、そこで働く方の話で夜になるとどこからともなく軍靴や銃声が聞こえるといった噂があるようです。

  12. 素晴らしい動画ありがとうございます。自分も同じ所を歩き回ったのですがこんなにわかりやすく行けませんでしたのでこれを参考にして再チャレンジしようと思います。

  13. 勤め先の役員OBが暁星小学校2年の時「あの日は九段下の自宅へ帰れず学校に一泊した」という話をしていました。今回の動画で各部隊の動き、地理的関係が良く分かって歴史上の出来事ですが非常に現実味を感じられるようになりました。おもしろい!ちなみに現在、有栖川宮熾仁親王像は上野公園にあります。

  14. 今日は226ですが、昨日、あなたの動画を参考にして歩いてみました。国立新美術館から東京ミッドタウン、山王タワーを通り、霞が関・永田町まで、ほぼ緩やかな下りなので当時の兵士達もあまり体力を消耗せずに歩きやすかったと思います。ただ、雪道なのですっ転んだ兵士もいたでしょうが。
    ところで、東京ミッドタウン裏の歩兵第1連隊跡だけは見つからなかったです。あの池のある公園をくまなく探したのですが・・・よく見つけましたね。

  15. 感慨深いですね。
    都内で接客をしておりますが幼少期に226事件の隊列を見ましたとふいに話してくれた御婦人がいらしてその時詳しく聞きたくても知識がなかったのでとても後悔しました。防空壕があったのよ、とか昔は田舎だったとか、歴史を語れる世代との機会が減っているので貴重な出会いを無駄にしないように歴史は頭に入れておきたいと思っております。こちらの動画はとても参考になりました😊ありがとうございます。登録したので次を楽しみにしています。

  16. 凄くわかりやすです。私は、近衛師団、今工芸美術館かな?そこから、出兵したのかな?と思っていました。
    次も楽しみにしています。

  17. 想像がかき立てられてとっても楽しかったです✨
    参謀本部跡には「日本水準原点」がありますよ〜
    陸軍時代から使われていたと考えるとまた想像が膨らみます💭

  18. 二・二六事件があってもなくてもどのみち戦争回避ルートはなかったと思う…

  19. 226事件が沢山出て来ます。この番組は唯一、現在の情景と当時の様子を比べて、様々に想像させる秀逸なる作品です。臨場感をもって、重大なる歴史の出来事を、振り返ることが出来ました。有り難う御座いました、お疲れ様です。

  20. 陸上自衛隊は旧陸軍と関係がないけど 陸上自衛隊の旧陸軍出身教官をマッカーサーが連れてきた歴史がある

  21. 丸竹夷さん、ほかの二・二六動画もそうですが、まったく海軍のことに触れておられません(゚A゚)
    NHKのドキュメンタリーによりますと、海軍軍令部総長の伏見宮博恭(ひろやす)王を通じて裕仁は海軍を動かし、東京湾に軍艦を進めさせて砲口を都心に向けさせ、陸戦隊も上陸させて市街戦も辞さない覚悟で構え、さながら陸軍 vs 海軍の一触即発の内乱の様相を呈していたそうです(゚A゚;)
    海軍は、事件以前からそれが勃発するのを知っており、それをわざわざスルーし、事態を静観、それは電話盗聴や陸軍との連絡要員を用いての内偵活動の中で情報を得ていて、そのようにやっていたのだそうです(゚A゚)
    そうしますと、解説のような義侠心に厚い陸軍青年将校らによる跳ねっ返り的行為だけの事件ではなく、それを利用しての陸海軍部の主導権争いの側面もあるのだと思われます(^-^)
    しかし、政府の要人暗○が行われることがわかっていてじっと観察(¬_¬)しているとか、なかなかの悪です(^-^)
    対外戦争を始める前にコップの中で嵐を起こしているわけですね(^-^)

  22. もう、今では2.26を
    知らない世代が大半になって仕舞いましたですが
    あの=2.26事件がもし(歴史には、もしは有りませんが)成功して居れば十中八九あの痛ましい太平洋戦争は、回避できたのでは無いかと云われています
    決起に至った経緯を想いますに、大日本帝國即ち日本🗾國民の苦しみを考えてからの
    病むに病まれぬ近衛兵将校の😭

    青年日本の歌(汨羅の淵に波騒ぐ、、)
    今では学校てもあの戦中&戦前の出来事を教えませんが
    日本🗾が、今日に至った経路を知ることは絶対に必要では無いでしょうか🙇🙏

  23. 動画のクオリティが高いのはもちろん、個人でここまで出来る技術向上の時代の流れ(ネットやスマホ)もスゴイと思ってしまうアラフォーです。

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