第75回 近代への「境目」:第9世伊藤伝七の道

東洋棒は140年の歴史があるんですね 渋沢市が防石業で世界を豊かにしたいと 願って育て上げた会社なん ですその心出しと技術は命を守り生活豊か にする可能性に満ちてい ますこの可能性に東洋棒は今も挑戦して いるんですねそうなんです楽しみです [音楽] ね [音楽] 皆さん こんにちはこんにちは先生よろしくお願い よろしくお願いしますさて今日ははいあの 今日はあの第九世伊藤電子がま東洋房の原 answerであるま川島防石場まここを どうして立ち上げることにしたのか あるいはこの川島地域をどうして選んだの かという視点からあの近代産業のま原と いうかい望の原産業革命のま連盟期をね 考えていきたいという風に思うんですけど ま前回はどうしてこう水力上気でなく水力 を選んだろかということについて迫って いったんですけど次もう1つ大きな問題と してどうして川島地域をねうんそうですよ 防工場に選んだのかこれもやっぱ大きな謎 であのこれまでこのYouTubeの中で もあのお話してきましたけども候補地がね いくつかあるっていう話でしたよねそう はい三川の本当にずっと上流の方のうん はいそして稲軍の石地区の方こちらも水が 豊富ということでま政府の方からも推奨さ れていた場所なんですけど第9世伊藤電子 が選んだのは川島地域だった と第10世伊藤電子は小物でね防石工場を 作ることを選んでいたにも関わらず お父さんがうんここだとそうどうやらその 理由を考えていくと第9世伊藤電子はご 自宅のある予後の村山から川島防石場まで ま自ら通っていたということなんです つまり自分が通える範囲のところで川島防 を作ったんじゃないかとまそういった話も 浮かび上がってくるんですけれど も第9聖伊藤伝承が残ってるあの彼を示す ものはあのいわゆる写真というものがなく てはいロバに乗った像が残ってるわけです よねロバに乗って彼はまヨゴから川島まで 通っていたということまで言われてると そうロバなんだバでいうことなんですよね うんまそこでね実際に我々はその川島防石 長と室山大九世伊藤電子が本当に進むこと ができたのかどうかっていうことね ちょっと考えてみたいなていう風に思うん ですよ ねみなここまででやめた川はここまでだ そう

小物の奥にするかはだいぶ遠いですからね うんま現実的には通えないですよねもう 通え ない醤油とかいろんなやってるからそう ですねだから自分の家業をやりながら防石 工事やろうと思ったら両方行けるように 距離 って今回お世話になったのもあの第九世 伊藤伝書のことを研究して50年と京都の 勝山高尾さんが川島防石場から室山の号 まで進んだ道は全部してるとその道を教え てくれるということでしたよ ね今回あの実際にあの2箇所あの案内して 一緒に歩きましたよね はい1つ目に伺ったのがこの道長いです から第九世伊藤伝承もご自身とまその一緒 にいたロバを休ませるあの旅館の方をね 最初案内してもらいまして小鮮閣という 名前の旅館があった場所に案内してもらい ましたはいはい 非常に大きなポイントになってくるのは その休憩所とこの後まあの考える場所も そうなんです一に境目というものがええ 境界線の境ですねはいはいここで道の分岐 があったんですよねありましたありました ありましたよね桂山さんの説明によると あちらの方に行くとあのいわゆる旧市街 そしてもう1つの道に行くと川島工場の方 にまっすぐ続く道なんだという話があった こと覚えておれますはい覚えてますで どちらの方に第九世が進んでいたのかと いうとまっすぐ川島工場の方に向かう道に 進んでいたという話でしたよねはいつまり 第九世伊藤電子はあの小鮮閣で休憩をして その分岐は最後はもう川島工場に行くため だけにねつまり近代産業に向かっていく ための道としてこの休憩所を利用して たっていう風に考えると金星に進む古い 街並旧来からの街並と金に続く街並その 境い目を彼は歩いてたことになるんですよ はいそうですねつまり彼自身が非常に川島 工場にかける思いというものもねあのこの 中で感じることができたと思うんですよ そしてもう1つがあの難所と言われるのが このヨゴから川島校に進まなり山があった んですよねこの山を超えるかどうかって いうのも非常に第救世にとっては特に一緒 に行くロバさんと一緒にね歩いていく時に も大事だったと思うそちらも一緒にま行き ましたよ はい実際に山の道の方を第九世伊藤に歩く ことができたのかどうかこれがおそらく第 九世伊藤電子が川島工場を自分が通える 範囲として作ったかどうかの中で大事な ポイントだったと思うんです

よ西西野西あ脳ですねこれ西野 かこっちやなあこれが 右 かしあ山山こっち村山ですねここ右て村山 でこっちやっこれいう道あっんですねここ で分岐ですわうここれム 山桂山さんからの道案内を聞いてみますと 道シビがあの確かにあって右 川島とかあるいは室山とつまり予報のあの 大九世伊東電子のあのご自宅拠点があると ことになるはい はいまその室山と川島の標識の間に立って みたにねうんまいろんなことをあの僕 感じることがあったんですけどまず川島 工場川島の方の道の方に向かっていくのは 第九政党電子にとってははい川島防石所の 方に向かう道なんですよねはいそして室山 という風に書かれた標識の方に向かう道 っていうのはご自身のま稼業に向かう道な んですよ号にうん元々されてた家業ですよ ね はいはいそれを営んでいきながら地域の中 でを蓄え地域の中で力を蓄えてこられ そして地域で育まれていきながら成長して こられたのが第九世伊藤電子なわけですよ だから逆に言うとわざわざ川島に防石の 会社を立てなくても自分の生活がったわ です成り立ってたっていうことですもんね そうですですからご自身の室山での拠点の 中での鍵を営んでいくという人生の道も あったわけです しかし山を超えて川島の方に向かっていく のは近代産業に向かっていく道でもある わけですよつまり僕たちが立っていたあの 川島と室山という道支の間に立ってるこの 場所っていうのは近代と金星の境目なん です よつまり第9世伊藤電子地は確かに室山 から川島の間を往復していたわけですけど あの山の頂上に来た時に彼はうんの家業の 営みから近代人の近代企業化への転換点 さめを超えてたことになるわけなんです そして降りていった先に旧市街の方に 向かわずにまっすぐ川島の方に向かって いくというのは彼自身は山を越えた後は まっすぐ近代人として道を歩んでいたこと になると思うんですよ ね自分の足でたどり着ける範囲の中でやり たかったんでしょうね川島というところで あるもっと言えば第10伊藤電子がこの後 四日市の沿岸部の方で三重防石四日市工場 1886年作ることになるんですけどこれ は故郷の予行からすると大きく離れてるん ですよつまり金星の稼業から近代産業人 企業人として大きく飛躍したことになるん

ですよ飛び出していたことになると思うん ですよねしかし第9世伊藤電子はどちらも しってるんですよ うんつまり金星人である第九世伊東電子は 金星人である自分というものを持ちし ながら川島工場に進んでいくつまり2つの 金星と近代と生きしながら川島防石に 向き合う人だったっていうことになるん ですこれは第9世伊藤電子王が金星人とし て生まれ育ってきた家業を持ってるところ があったと思うんですよねここは10世と は違うとこだったと思うんですよねでその 生きの場所というのがあの山の上でのま 室山と川島との道スベの間っていう風に 考えていくとかの第9世伊藤電子が近世 から近代と変わろうとするその営みと同時 に彼自身の持ってる矛盾なんかもね 浮かび上がってくるまそうしたあの道と いうものを僕たち自身は桂山さんの案内で 体験することができたのかなっていう風に 思うと第10世息子さんとは違った大九世 伊藤電子用の思いというものもねまっすぐ 川島に向かっていく思いっていうのも なんか伝わってくるよう な生半かな思いではなかったでしょうね うんそうですねうんそう思うと18803 年に第世伊藤伝は心出し半ばにしてあの 天井を倒することになるわけですよねその 思いたるはま無念だった部分もあるとは 思いますしであるがゆにね第10世伊藤 電子が第9世伊藤電子を見てねそこまで 気持ちを持って川島防石場に向き合って いくのであればこの川島防石場を立て直し ていこうとかあるいはここでできなかった ことをね次の授業の中でや その中で渋沢長で出会っていったという風 に思っていくとこの川島防石所と第9世 伊藤電子のあの第9世伊藤伝承の道ですよ ね我々がま汗を流しながらだったんです けどそうだったからこそ大九世伊藤伝承の この息遣いですねこれを感じることができ たというのは今回の桂山さんと案内の中で 知り得た大きな産業革命の盟期の大きな 発見なんじゃないかなていう風に思うん ですよね先生ついてきます現場にはいそう じゃないとちょっとこのテンションはね暑 さはねなかなかねうん同じ気持ちで 受け止めれないのでそうですねそしてそれ は熱く伝えていきたらそうですねはい現場 を知ることの喜びも含めて伝えていければ はいこのYouTubeはすごいですよ皆 さんチェックしてくださいね今日も ありがとうございましたはいありがとう ございまし た

東洋棒は140年の歴史があるんですね 渋沢市が防石業で世界を豊かにしたいと 願って育て上げた会社なんですその心出し と技術は命を守り生活豊かにする可能性に 満ちています楽しみですね

日本の近代化の基礎となった紡績業と、それを支えた渋沢栄一と偉人たちの物語です。
日本の近代産業研究の第一人者、慶應義塾大学経済学部橋口勝利さんをゲストに迎えて、聞き手不破縁さんで、番組を構成します。

ゲスト 橋口勝利(はしぐち かつとし)さん
1975年 大阪府泉佐野市に生まれる
1994年 大阪明星学園高校卒業
1999年 京都大学経済学部卒業
2005年 京都大学大学院経済学研究科博士後期課程修了
     京都大博士(経済学)
     京都橘女子大学文化政策学部ティーチングアシスタント
     日本学術振興会特別研究員、関西大学政策創造学部教授を経て、
2020年 慶応義塾大学経済学部教授

主要業績
『近代日本の地域工業化と下請制』京都大学学術出版会、2017年(中小企業研究激励賞準賞、政治経済学・経済史学会賞受賞)
『日本経済史』(共編著)ミネルヴァ書房、2017年
『大学生、福島を聴くー東日本大震災と「心の復興」』関西大学出版部、2020年
『近代日本の工業化と企業合併ー渋沢栄一と綿紡績業』京都大学学術出版会、2022年

聞き手 不破縁(ふわ ゆかり)さん
東海ラジオ 伝七邸100年ヒストリー パーソナリティ

伝七ステーションは三重県の魅力を「受け継がれた人の想い」と捉え、SDGsの観点から地域ならではの持続可能性を映像を通じて発信します。
〇伝七ステーション公式HP(毎週木曜日18:00に4本以上の動画を更新):https://www.den7st.net/

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