戦争中の修学旅行と同じコースで旅行する!
なしの宣伝ですなるべく早く終わらせます 前にですね興味のある方からナッシュさん 会社の方に 質問されてる方いらっしゃいますかもし あったら寄せてくださいTwitterで お聞きしてですねその結果を限定公開の 動画で作ったので 興味のある方だけでいいんですけれども あのコメント欄のところに貼ってあります からご覧になってそして 良ければ買ってくださいありがとうござい ます 今日は東京駅から一泊二日旅行に行きます まずは皇居の真ん前のところまで出 ましょうか今日は2022年の7月17日 明日が18日海の日の3連休中日なんです けれどもこれから出かけるんですが今感染 者数がすごい増えてるこれがね今回の動画 のポイントになっていますしかもここに来 て今までにないペースで感染者が増えて しまうという話なんですけれどもまあだ から不要不急の外出自粛みたいなのも言わ れるんじゃないかとりあえずね今はやら ないようですただ皆さんにとってはもう 聞き慣れた言葉だと思いますこの外出自粛 というのを国家ぐるみでやっていたのには 何回か過去もありまして前回は太平洋戦争 の時だったららしいですこれ見てもらい たいんですけど戦争中のなされていた宣伝 なんですが 鉄道は平気だ無駄な旅行はやめましょう 当時もね外出外出というか自粛しましょう という言い方だったらしいです80年90 年ぶりに自粛がキーワードとなっている この日本社会ですがそんな時でもですね 例外的に実施している旅行というのがあり ました文部科学省のホームページ見て ください 修学旅行これについては学習指導要領に 定める特別活動の中の学校行事で子ども たちにとってかけがえのない貴重な思い出 となる有意義な教育活動であるから なるべく実施について特段の配慮をお願い したいと考えていますつまりなるべく修学 旅行は子供たちにとっても大事だからやっ てあげましょうよという方針を文科省も 出しているわけです日本オリジナルの収穫 旅行というのはですね別に今に始まった話 ではなく明治時代からあったらしいんです がそうすると太平洋戦争中もですね 旅行は自粛しましょう 修学旅行も中止しましょうみたいな感じに なるんですがでも子供たちにとって かけがえのない修学旅行はやってあげたい という価値観がね戦前にもやはり同じよう
に存在していたらしいのですそこで人々は どうやっていたかと言いますとこの 日本の国の戦争1台以上なんとかみんなで 乗り越えていくために国の精神をみんな 統一してそして小国民たち子どもたちに ですね立派な日本 臣民となってもらうことが不可欠だから そのために天皇陛下の名のもとに集まって 伊勢神宮をお祭りお参りしてそして強い 日本人となるための旅行をしようこれは 日本の戦争遂行のためにも必要なことで あると理屈をですね考えたそうなのですと いう歴史を知るために今回はですね戦前に 旅行があまりやっちゃいけないような 雰囲気になっていた時に実施していた 伊勢神宮旅行を再現して辿ってみようと 思いますここにですね近畿日本ツーリスト の社長を務めた太田隆さんという方が書い てすごい分かりやすいいい論文があるん ですけれどもここにですね 掲載されている資料として 戦前機のですね1937年もう戦争中です ねその当時の小学生たちの修学旅行の工程 が載っています 夕方の4時に学校に集合して夜行列車で 伊勢神宮に出発していくんですがまず校長 先生の話を聞いた後ここですね 休業要塞というのをやってから 修学旅行に出発していたそうなんです 球場用ハイとは何かというとこの道をです ねまっすぐ行ったところに天皇陛下をお 住まいの皇居があるんですがいわゆる皇居 に向かって敬礼というのをやっていたそう です線維工業目的としてと思われますが 戦争中はですね特にこのような感じで 皇居の方角を向いてみんなで最敬礼斜め 45度のお辞儀をするということをやって いました 昔の小学生中学生たちは学校でチャーター して学校の最寄り駅とかその近くから直接 伊勢神宮に乗りつける列車で行っていた らしいんですけど今そんなのはありません ので新幹線で行くのが定番になっています 今の時代伊勢神宮に参拝に行く修学旅行 っていうのもそんなにはないですよね [音楽] 乗ってくるお客さんはとりあえず新横浜で 終わりなわけですが車内はですね3連休の 中日ですが結構空いていますまあとはいえ それも1号車自由席に限った話でありまし て自由席でも後方の3号車とかはね人が 集まりやすいのでかなり混んでいるみたい ですこういう 村もまああることにはあるんですけれども しかしですねおかげさまで東海道新幹線
本数がたくさんあるから連休のこの タイミングでもあんまり混まずに利用させ てもらえていますその東海道新幹線の会社 のですね一番最初の社長さんにあのまあ インタビューしたことがあるんですけども 新幹線とあまり関係ないんですがこの須田 寛さんはですね1931年生まれでござい まして実際戦前に 伊勢神宮に参拝する団体旅行に行ったこと もあるそうです僕の口からお伝えするより も実際に行かれた方のお話を皆さんにお 聞きいただいた方がより実感が持てると 思います 髪を敬い先祖を尊うという何かって言うと 伊勢神宮とか橿原神宮とかそういうところ が最低限度認めますとそれ以外の観光は ダメですスイングなんですね 観光という言葉は使えない からそれが17年ぐらいまで18年になっ たら今度は一番後ろにこの1年間観光は やめ防空に生産に努めようと書いたんだ から後ろ 今の話とかねお聞きになっても多分なんと なく感じるところだと思うんですけどまあ 多分そんなみんなが天皇陛下万歳を送りの ために頑張ります欲しがりませんよ もちろん勝つまでは全然僕たちいい子にし ますみたいなそういう感覚ではなかったと 思うんですよ むしろなんかこんな戦争なんかやってる から旅行も行けないよとかもうなんか 色んなところが閉まっちゃってみたいな風 に思ってる人もたくさんいた模様ですまあ 天皇陛下は多分今よりも相当の 尊敬とか 威風を集めてたっていうのは多分そうだっ たんだろうと思うんですけどするとこれ どういうことになるかというとですね 列車もうじき熱海を通過するところなん ですけれどもまあ熱海というのは戦前から ですねもう大温泉地として人々の関心を 集めてお客さんがいっぱいいたところだっ たんですが 鉄道にそのお客さんがいっぱい乗るとよく ないから東京熱海間の普通乗車券は発売 制限をして 遊びで行く人には買わせないということを やっていたそうですしかし客の方も客で 考えてですね あそうか熱海で買えないんだったら分かり ました 熱海へ切符が買えなくなったお客さんたち はどうしたかというとなんと名古屋までの 切符を買ってそれを熱海駅で途中下車扱い してですねそっから先は全部もう捨てて
しまうという権利放棄をやってそれで みんな熱海温泉旅行をやりまくっていた そうですそれも結構問題視されたらしいん ですけれども結構そこまでしてでもですね 規制を買いに来るというような人は結構 多かったみたいなのですつまりみんなそれ だけですね内心としては戦争なんかよりも 旅行遊びに行きたいよというような人も たくさんいたらしいのですもちろん人に よると思いますまたさらにここにですね 伊東線という路線がありまして来宮という 駅を今横で通過しているところですがこの 伊東線もですね戦時中に開通した路線です Wikipediaを見るとですね 1935年から38年にかけて 完成していったということがわかります 満州事変が1931年ですから戦争中にも 工事を続行していたということがわかる わけですこれはですねついこの間たまたま ブラタモリでやってるのを目撃して知った んですけれどもここに書いてあります 鉄道が戦時中にもかかわらず 伊東まで開通した理由は温泉まるまると 書いてありますがちょっとですねこの番組 のネタバレになるから言わないでおこうと 思いますがすごい ざっくり言うと 伊東線によって 温泉地へお客さんを誘うことによって人々 の 健康とかを養ってそれが日本の戦争に 結びつくのだから伊東線は戦争に必要な 路線であるみたいですね結構無茶苦茶な 理屈をつけて 伊東線を管制にこぎつけるみたいなことも したらしいですその他ね伊東温泉のお客 さんが増えて実際としてはありがたいわけ ですから今列車が通り抜けた新丹那 トンネルこれすらですね戦前に建設が 始まっていたんですがこの新幹線も戦争を 前から作るつもりではあったんですけれど もしかし こんなもん作っても戦争にはもっと他に 必要なものがあると言って色々なものが 潰されていった時代に伊東線は何とか完成 させることができたのでしたこちら 移動中のおやつですなんか戦前の修学旅行 でもねおやつを買ってきて食べるみたいな のはあったらしいですそのあるよねつまり 色々な面があるわけですけれども一つには ですね 伊勢神宮というのは戦前に修学旅行をやる ためにその言い訳というか 理由付けとして使われていた面もあった ようです名古屋駅に着きました乗ってきた
この列車はよく考えたら広島行きだったん ですね今修学旅行は広島行きとかが多い ですよね 戦争の悲惨さとかの勉強にもなりますし 実際いい行き先じゃないかと思います それも一つには思想教育ということになる のかなわかんないですけど戦前の日本は 天皇 陛下のもとにみんなで集い天皇陛下の澪を お支えしましょうみたいなそんな話が結構 ね学校でもなされてたと思うんですが今 絶対そうな話ないですけど平和の大切さ 二度と戦争をしてはならないみたいな話は 結構学校でしますからね 意外と根本的なところは同じなのかなとか 思いました 根本的っていうのかなその本質とか方向性 は全然違うんですけどねなんか僕の言い たいことが伝わればと思います 参りに際してはこういう列車が走ってい ます快速列車三重号まさに伊勢参り 参宮線という名前の 路線をこれから走ることになります戦前に はですね修学旅行生とかを載せた参宮列車 が本当に参宮線をたくさん走っていたん ですけれども今の時代はですねあまり 参宮線が実際に修学旅行に使われるという ことはないと思います今 伊勢参りといえば近鉄特急で行くのが だいぶになっていますそして今日は3連休 ということですね近鉄特急の人気の火の鳥 が大阪ではなく伊勢に向かう日です本当は 大阪に行く列車なんですけれどもお客さん の多いだけです時だけですねこういう風な 特別運転をやるのですがこの列車に乗って ついに 聖地伊勢神宮の最寄り駅 伊勢市に向かうことになります 今回はプレミアム車両人気のこの デラックスの車両がなぜか空いていたので 一応これを利用することにしました 座席が1個だけ空いてましたね誰か キャンセルしたんでしょうね800円 プラスすればこんな豪華な座席になるのは すごいみんな言っていますこれに乗りまし て一路伊勢 そして三重県の県庁所在地津駅に着きます と後から快速三重号が追いかけて今 追いついてきたところですそして私のひの とり号は今日は臨時列車のためちょっと この津駅で時間調整の関係で停車するの ですが三重号は毎日走っていて高速ダイヤ が組まれているからか先に出発していく ようです だからここで快速三重号に抜かれるという
珍しい体験でした 鉄道マニア的にはね結構面白いしでもあり ます 三重号もすごくいい性能特急車両特急電車 と同じぐらいの超加速力を持ってですね 勢いよく音を立てて世紀を去っていきまし た あれに先を起こされるなんて体験は なかなかできませんよ 抜かりはしましたがひのとりの方が時間は 早く着きますなぜならば伊勢までの道のり がこちらの方が近いからです 最短距離をうまく結ぶような感じで近鉄線 は走っているんですね 聖地伊勢神宮の最寄り駅山田に到着しまし た今は伊勢市駅と呼ばれていますが元々 ここの地名は山田だそうです 古そうなホームの柱 日本が神の国とされていた当時から伊勢市 駅ホームを支えていたものでしょう写真の 人だしもうちょっと下がった方がいいな 下がりましたね [音楽] 火の鳥はみんなの人気者三連休とか特にお 客さんの多い時期中心に運転されるよう でし指定席もほとんど売り切れとなってい ました かっこいいですね 修学旅行今あれでいけたら最高だって人も いるでしょうねなんかあそこの方ちょっと 気を使ってくださったなでですねこの 伊勢市駅に到着した時にちょっと見ておき たい設備としてこれですこういう場所が あってディーゼルカーが置いてあるんです がこれはJR参宮線の車両が置いてあるん ですけどもその広大な土地がですねこの ように見渡せるようになってるんです けれども本当に広大ですがよく見ると 昔線路が引いてあったけれども今はもう 使っていない 昔はもっとすごかったんだろうなという ような雰囲気もここにあります ちなみにさっき名古屋で一度見た 参宮線の快速列車三重号もですねここに 停車していますちょうど追いついてきたん ですねさっき一度見たやつですこの大きな 土地これは何なのかというとですねまあ一 つには昔東京とか大宮とか北陸とかまあ 全国様々なところから 収穫旅行生を載せてやってきた 修学旅行用の列車を止めておくための場所 だったようです ちょうど三重もこの駅で切り離すんですね 名古屋駅からここまでは4両で来ましたが ここから先は15が大きく減るため4両
編成を2両に短くしている作業中です でも今やそういう団体列車で直接ここまで 乗りつける修学旅行もないのでこの土地も こんなに縮小されたわけですね 江戸時代から明治になって日本は神の国だ ということになり特にその中心として伊勢 神宮が機能していたわけですからここは かなり早くから開発されておりましてここ にですねなんかすごい立派な柱があるん ですけどこれ多分明治時代のやつなんじゃ ないかなこのようなあの別にここだけでは なくて東北とかですねなんか西日本とかも いろんなところにこのデザインの柱って あのあるんですけど明治時代のその鉄道車 みたいなところが作ったのがこれなんです がこれが立っているところが基本的に 古いつまりそれだけ早くから作る必要の あった重要なところだということです今も 近鉄にとって変わってますけどね近鉄特急 はこの短い間に3本も来てるからすごい ですね 到着した伊勢市駅は立派ながらも 古めかしく昔の雰囲気をとどめています ただ残念ながらですね1945年に伊勢に 大きな空襲がありましてもうこの辺りは ほとんど焼けてしまいましたこの建物も 戦後1950年に新しく建て直したもので 戦前の 姿をとどめているわけではありません そしてこの伊勢市駅は外宮の最寄り駅で ございまして現在地からですねすぐ ちょっと行ったところに 豊受大神宮外宮というお宮がありもう一つ 伊勢神宮の 重要な大宮内宮というのがあってこの2つ を今の順番で回っていくのが正式な参拝と されていますでこの山道を行くということ 自体は空襲の前も後も変わっていないん ですがこの街並みはそれで大きく変わって しまいましたこの左の このちょっと高いこの建物はもしかしたら 空襲から焼け残ったやつかもしれません けどそんなにはないですよね昔からの建物 ってもうでもその中で昔の雰囲気を留めて いる一つだけ貴重な建物がありますあそこ にある山田館ですあそこは焼けることも なくまた戦後この辺りの観光のやり方が 大きく変わったんですがそれでも営業を 続けているところです 伊勢市という言葉ができたのも戦後のこと で戦前はさっきの駅も山田駅と呼ばれてい ましたしここも山田でしただから山田館と いう名前まさにその通りの名前なんです けれども 昔の修学旅行生たちはですね遠方からやっ
てきたらまず旅館に入って 荷物を置いたりとかしてそして何をしたか 聖地に参るということで服装を正しくして ですねビシッとした格好でみんな入ってい たそうですよ僕も暑いんですけど一応こう いう格好してみました今日工程さえ許せば ですねここに 泊まってみたかったんですけれども ちょっとね今日は忙しいのでここは飛ばし てしまいます実はね戦前の修学旅行も結構 忙しかったらしいですこれその当時の写真 ですね また来た時に泊まりたいなと思いますが昔 の写真などを見せてくれてますずらっと3 階建ての旅館街になっていたそうでそれは それは凄まじい光景だったのだそうです 昭和初期のこの辺り道の幅は今と変わり ません大層 賑わっていたわけですねこれは戦後の写真 なのかなと思いますけれども 路面電車がですねこういう風に街の中を 走って伊勢の観光を助けていました日本で 3番目に開通したとても古いところです 山田駅から外宮までの間に立っていた旅館 は今2つだけ残っていてもう一つがこの 鶴屋だそうです建物は新しいものに変わり ましたがしかし今でもずっと営み続けて いるという点ではあちらの仲間他にも昔 から営業していたらしいお店はあります 若松屋というのがありますが旅館の営業は していませんもしかしたら昔は 旅館だったのかもしれないんですが 伊勢っていうのは戦前はこの辺りに宿泊 するのが相当メジャーだったんですが今は ですねもうこの辺りではなくここから南の リゾート地島の方を近鉄とかが開発し まくりましてでその 伊勢志摩と言われるその島ですねそこの ホテルが充実しているのでそっちが止まる のが普通になってきてしまっているよう ですだからもしかしたら旅館として営業し ていたけれど飲食店に鞍替えしたという ようなお店も多いんじゃないですかね そしてついに着きました外宮 ここに参らなければ 修学旅行に来た意味がないというかここへ 来るからこそ修学旅行が実施できている わけでありますから当然ここが最優先に なり皇帝でも一番最初に入ることが多かっ たみたいですそしてついに着きましたまず は外宮に参拝 皆さんここを通っていくわけですけれども 外宮ではですね左側通行ということになっ ていますでこのここでは左側通行とかです ね二礼に拍手一礼とかですね他にも様々な
この中でやることは事前に学校で練習して からどうも生徒さんたちは行っていた らしいのですまた神宮の中に入ったらば 基本的に死後現金だったそうでして今はね そんなことないんですけれどもそして皆 ですね 練習通りに更新右手左足みんなビシッと 揃えてですね 1212っていう感じですね中を 静かにまるで軍隊の行進をするかのような 形でやっていたらしいということがですね 先ほど東京駅にいる時に紹介させて いただいたこの論文に書いてありました えーこれ2日目の朝にですね夜行列車で 山田駅に着くじゃないですかでその後です ね新駅内 静粛これ何 閉塞歩調って書くのかな足並みを揃えて みんなで歩き参拝をするとのことでござい ます ということで私もここでは 静かに無言で動画も撮らずに行ってまいり たいと思います さてそれで終わりますと伊勢神宮には2つ のお宮があるということでもう一つにも 参拝する必要があるんですがもう一つの方 はですねこのようなバス三重交通のバスで 行くことになりますもともと路面電車が 走っていましたがそれは現在排出されてい ますその代わりに同じ同じ当時と同じ会社 の三重交通がバスを運行しているわけです そしてその内空と外宮の間を結んでいた 路面電車これがですね 三重交通の新都心上の都新都心と呼ばれて いたのですが現在もその名前は受け継いで おりまして 大量の参拝客を運ぶために設けられた三重 県で最初の2両連結のバスこれに新 トライナーという名前がついて特急運転を 行っています 信徒というのは今ではもう全然聞かなく なった言い方ですけれども戦前のまさに 戦争直前ぐらいの時期とかなんじゃない ですかね この 伊勢周辺のことを神の都信徒と呼んでいた そうです ちなみに今日はもう連休ということで 参拝客の数も凄まじいものになっており 内宮前行きの臨時バスがいますここに来て ますがもうやってくるのがほとんど臨時 バスあれも回送ってなってるけど本当に 買えそうなのかな今から内宮行きに変わる んじゃないですか もちろん乗るのは
信徒ライナーです 時間があらかじめ発表されていますから それに合わせて乗ることができます三重 交通の運転の技術も高く 時間通りに運転されています 世にも珍しいボックスシートですわ さっき後から来たやつも行き先を内宮前に 変えてますねさっきは回送だったやつだ バックして据え付けられるんですね ものすごい運行頻度です 2両連結のバスに乗りほとんどのお客さん が座ることができましたこの左側にですね 一瞬だけお城みたいな建物が見えるんです があれが近鉄の宇治山田駅ですこっからで はその全容分かりませんけどねまあ前紹介 したんで見ていただきたいんですが相当 立派なんですねまさに 信徒の玄関口として近鉄線が一心をかけて 建設した戦前の駅舎です車輪は片側3つ ですねものすごい台数のバスですライクの あります宇治にやってきました 今宇治って言うのかなこの辺を 昔はねあの 宇治町と山田町もしくは宇地町と山田町で 別の町だったらしいです これらのバスは路面電車を受け継ぐもので はあるんですがこの内宮の目の前にある 内宮前バス停は昔路面電車が来ていた場所 ではないそうです現在地はですね目の前の こんなもうすぐ便利なところまでバスで来 ているんですが実はここから 伊勢街道山道をずっと戻りましてここに ですね松の木が描かれていますがこの 浦田町と書いてあるバス停がありますが 元々はここが路面電車の終点のポイント だったそうです 路面電車ここからこう回ってきてですね そのまま回転して向きを変えずに逆方向に 進むことができるという仕組みになってい たらしいですだから昔はここからこの 表参道を進んでいたのですね今はそこは 通らなくなってしまったからここの山道の お店がいたちはお祓い町というそうです けどお祓い町かここの町の人たちは苦労し たんで色々と観光客を誘致するために一つ にはおかげ横丁というものを整備したりし たそうですまたちょうどこの伊勢神宮内宮 の目の前が国道23号の終点となってい ます23号というのは花の国道1号北海道 から分岐してきた伊勢街道を受け継ぐ今の 感染道路でありまして 四日市からここまで店に来るための道とし て作られてきたわけですね 外宮から内宮にやってくるとですね人が ものすごく増えているということに驚かさ
れます外宮はそこまではいなかったんです が内宮はもう人が 嵐のように大勢歩いているわけですが つまりこれは外宮には行っていないけれど 内宮だけ行ったという人が多いことが わかるわけですこれでその現象については 承知しているところではあったんです けれどもあまり深く考えたことはなくて ですねまあそれは内宮の方があの見応えが あるんですよだからまあ見応えがある方に 観光客が集まるのもそれはそうだろうなと 思ってたんですがところがこれね戦前は 外宮の方が観光客が多かったらしいんです よ観光客とか参拝客が多いこれ何なのかな と思ったらね外宮はもともと 伊勢市駅のすぐ近くにありましてアクセス が簡単です戦前の移動手段というのは鉄道 しかなかったのでそれならまあリベンの 良い方がという風になります対する現在地 内腔がですねこれだけおよそ4キロも離れ たところにありますまあ路面電車とか戦前 もありましたが来るのが大変な方がまあ 一般的に考えれば観光客が少ないじゃあ なんで今内宮の方にこんなに人が集まる ようになったのかといいますとこれはです ね 駐車場とかの関係だと思います内宮は市街 地でもないので周りに駐車場がものすごく たくさんあるしもちろんバスだけではなく てですね自動車一般の乗用車の置き場と いうのもこのようにすごいいっぱいある わけですで自動車で旅行する人はわかると 思うんですけど市街地の中心よりむしろ 郊外の方が車にとって行きやすいですよね 街中の混んでるところ進まなくていいわけ ですからつまりですねこの光景は戦前には 鉄道しか移動手段がなかったけれど戦後に はむしろ鉄道が衰退して自動車交通が流星 ってしてきたそのことがここに現れている と思われます実際そうなんじゃないですか こういうところにも鉄道が関係してるん ですよね さてこれね右側通行と書いてありますが 今度内宮が右側通行なんですが 昔の路面電車もですねこれに倣って通常は 左側通行なんですけど 複線区間では特別に右側通行で内宮に行く お客さんに同じように進んでもらっていた のだそうです戦前にはこの鳥居の内側で ブツブツ喋りながらビデオカメラ回して 進むなんてとんでもないことだったと思い ますが 今回はちょっと中でカメラも回そうと思い ます 真ん中は神の通り道ということで開けて
歩くの有名な話ですが 伊勢神宮では開けやすいようにですねその 場所の教会まで示してくれています で進んでいくとですね山道の右側が不思議 とこう広がっている場所があるんですが この場所もねまた相当大昔からこんな感じ で石とかが並べられていたらしいんですよ ほら見てくださいここら辺の石造りとかも ここ最近作ったという感じではないですよ ねなんでこここんな風に広がっていたのか というと今はですねなんか去年来た時は 確かここに菊が飾ってあったかなあの11 月にも来たんですよで色々なんかお花とか が飾ってあって見てたんですけれども今回 調べて驚いたんですがここにはなんとです ね日清戦争と日露戦争で 敵の軍からですねあの要はその取ってきた その敵の兵器がここに展示されていた らしいんですよ戦前はここにそのロシアの 大砲とかが置いてあってでここにもなんか こうあるじゃないですかこの中謎の スペースがこれもなんかあの新駅とか なんかそういう結界的なやつではなくて どうもですねここに その要は戦利品ですねそれが飾られていた らしいのですこの広くなっているこの場所 のこっち側もですねまたなんかその大砲 みたいのが置いてあったりあとここが土地 が一段ちょっと高くなってるんですけれど もここにもですねやはり戦利品が置かれて いたそうです確かにそういう風なものを 展示するにはふさわしいようなちょっと 一段高い土地にこれやっぱ土を乗ったん ですかねという風な雰囲気になっています が 歴史なんでね全然否定するとかそういう つもり全くないんですけど要は昔天皇の名 のもとに 聖なる戦い 聖戦という風にですね言いながらおそらく 日進西の戦いをやったんだと思うんですが その時にこんな風に立派に日本は勝ったん ですよこれからも天皇陛下の名のもとに 頑張りましょうという風なことをですね 活用するためにおそらくこういう風なもの を展示していたんだろうと思いますなんか 今の教育を受けてですね平和な世の中の良 さをよく知っている僕としてはやっぱ今の 価値観の方が素晴らしいなと思うんです けれども 昔の人たちもねそれはそれでそういう価値 観に基づいてやっていたことだからなんか それがあの戦争色々あったとかですねあの 天皇陛下万歳と言って戦いに行きました みたいなのをなんか僕があのなんかあれは
間違いだったとかいうことじゃないのか なって気がします昔の話だからただ当時は そういう価値観がまあ存在していてもし そういう価値観はですねみんなに思わ せようとしていたという時代だったわけ でしょ僕としてはやっぱり戦争とか行き たくないし行く人がいるのも嫌ですからね なるべく戦争残らないどうしたらいいのか ということを今後も勉強していきたいなと 感じる次第ですでまた進みますとお手洗い これより先はありませんと書いてあります 別に川柳ではないと思うんですけれども 見るとですね川がありましてその川の上に 橋が渡されてみんな向こうへ行きここで手 を清めるということになっているわけです が神道とか仏教で結構よくあるかなと思い ますけれどもこういう風な川の向こうを より神聖な場所であるという風なことが 定められているはずでして戦前の伊勢 参宮旅行に乗っ取りですねまたこの橋より も先はカメラを回さずに行ってまいりたい と思います別に撮影禁止にはなってない ですけどね ちなみにトイレというのもですね基本的に 聖域の中には設けないものなのだそうです よこうやってみるとね宇治橋のところこう 渡ってきたわけですがそこからこういう風 に進んできてさっきのこのこのちょっと 広くなっているところですね 武器とかが展示されていたんですがでも やっぱりそういう武器などが展示されて いるのもこの 聖域の外側ということになっていてこれ よりも内側のところへ入ってくるとですね まさにもう神宮の中の 重要な施設がずらっと並んでいるわけです トイレはその内側にはもちろん設けられて いません 静かに行ってまいりますということで戻っ てまいりましたここがですねまた向こう側 との戻り口 宇治橋のところでみんなここでもうすぐ 編み終わったと言って鳥をくぐって帰って しまうんですが帰る前にですね 是非ともこの宇治橋を見てから帰るべきだ と思いますもちろんみんな渡っているん ですが横からこのようにきれいに見渡せる 場所があります 修学旅行って結構記念写真を撮るんです けれどもこの場所もですね 今では記念写真スポットとしてよく親しま れているようなんですが だいたいですね写真はここら辺で撮ること が多かったみたいですこの辺ちょっとこう 広々してますから集合写真も撮れそうです
よねでここがですね 江戸時代の異世界道の 終点でありまして 映像の町民とかがここまで目指してみんな 歩いてきていたのですがものすごい人で です すごいこれが歴史的な道です マスクしないで歩いている方も多いので ちょっと感染者がどんどん増えてきました からね僕は申し訳ないけどこちらには 近寄らないでおこうと思いますいや別に マスクしないで歩いてんのは全然いいと 思うんですけどちょっと声が大きすぎるの と視聴者の方がマスクしないでたくさん やっぱ話しかけてくるのでちょっとね逃げ といた方が安全ですから僕はまずバス通り の方に抜けます 位置関係分かりません現在地がですね ちょうどこのこの横のこの道の真ん中 あたりに立っているところでして 伊勢神宮の方からですね宇治橋を渡って 戻ってきたら この 旧街道の方を抜けていくかもしくは横の この新しい道バス通りに行くかどちらかな んですけれど大阪このバス通りの方で 行こうと思います こちらは広々していまして割と落ち着いて 歩けますその代わりお店は少ないんですが でもね 注目するべき 老舗があるんですよここに瀬国屋という 名前のお土産屋さんがありまして2階は 飲食店などになっているようなんですが この感じとかから見てもわかるように やはり相当古いものだそうです要は伊勢の 国やということですね 紀伊国屋書店ってありますけどまああれ みたいな感じです ここがねお土産屋さんとなってるんですが それだけではなくこの伊勢にやってきた人 たちの修学旅行とかを取り扱う ランドオペレーターと言ってわかりますか ね地元旅行会社として昔から活躍していた そうですやっぱり色々やってたらしいん ですけど一つにはですね外宮つまり山田の 方あの伊勢市駅の方ですねここから5キロ ぐらい離れているところからこっちに電報 かなんかで連絡を取ってたんですかねで 旅館の方からですね 修学旅行の方が所々中学校何百何十名行き ましたという風な連絡をここに入れると ここでですね収穫旅行生がお昼のお弁当を 受け取れるというシステムになっていた らしいです昔バスなんですけれども路面
電車のような見た目になっていて三重交通 がかなり力を入れて開発しているバスです 戦前に修学旅行生とかを乗せてこの辺りを ぐるぐる走り回っていた大切な路面電車 新渡線それを今の時代よりも感じて もらおうということで作っているのだそう です運転の時間が決まっていてお昼の時間 は通常走っていないんですけれども今日は 混んでいるから臨時運用に出てきたんです ね リアなんかもう完全に 路面電車ですからね相当怒っています さらに実際に使うことはできないんですが あの電車ですから上野電線からですね電気 を取るこれトロリーボールっていうのかな パンタグラフじゃなさそうですねそういう 風な 電気を取るようなものまでつながってい ます今回のテーマにぴったりじゃないです か 見ることができるだけでも良かったここも すごいこだわってますよね 床下機器 瀬国屋でなんか食べていくかと思ったん ですけど今日みたいな日ですからねそんな 空いているわけありませんでしたちょっと は待つというので他にも色々見たいものが ありますからお土産だけ買って帰ることに しましたこれですねせの国は名物の神を 持ちというやつで 伊勢といえば赤福が圧倒的に有名だと思う んですがこれもすごいですよ 瀬国屋が作っている昔からの相当昔からの お土産で 昭和50年には上皇陛下もお召しになった そうですともかくですねあえて言えば ノルマクリア 伊勢神宮に参拝しなければ 旅行の大義名分を得ることは絶対できない わけですがそれは終わりましたじゃあその 後はどこに行くか次なる目的地はですね ここです 二見浦JR二見浦駅というのが近くにある ことで知られています正確な名前は 二見ヶ浦らしいんですけれども 昔はこの辺りまでですねこの伊勢神宮から 路面電車が出ていたそうですしかし路面 電車は廃線になってしまいましてまたその 代わりとなるバスも現在では存在しません 道筋をタクシーの運転手さんに頼んで辿っ てもらおうと思いますでその出発の前に ですねこの 浦田町と書いてあるこのバス停のところな んですけれども先ほど言いましたが 路面電車がぐるりんとこう展開していく
この場所ですねそこをちょっと見てから 行きたいと思いますが向こうからこのバス と同じような向きでこう入ってきてですね でここで ぐるりんとこう 展開していたのだそうです 向きはちょっと逆だったかもしれません けれども 昭和8年のなんか標辺が建ってますね 藤波長官遺跡それの意味はちょっと後で 確認してみようと思いますがこれでですね ここのところから ぐるっと奥を回ってまた一周して道が交差 するまさにその場所だということもお 分かりいただけたと思いますあそこの ロータリーのところにですね 官房長官まで修正した藤波高雄さんがあの 松を植えていたのだそうでしてそれの記念 するやつだったのかなこの辺りの地図を ですね見ていると時折こういう風な変な こう緩やかなカーブが現れるんですけど 基本道っていうのは直線的に作ることが 多いんですがカーブをもうちょっと急に なることが多いんですけどこの 妙に緩やかなこういうカーブがある時は ですね対外鉄道の配線跡となっているよう でしてこれも 元々ここに通っていた路面電車二見まで 向かっていた電車の線路のアトラそうです そこをちょっとね辿ってもらうことにし ました 今進んできた道を多分昔はこういう感じで こう曲がっていたのではないですかね 右手にある三重交通のバスの駐車場も 歴史は私ちょっとわからないんですけれど も 元々路面電車の駐車場 駐車場とか停め置き場になっていたのでは ないかと思いますがどうでしょうその駐車 場がこの家の裏にありまして向こうから今 こっちへ進んできたんですがいい場所に来 ました見てくださいこの上にですねJR 参宮線の線路が通っておりまして右手に 進みますと伊勢市駅方面になりますがこの ように不思議な感じになっています まずレンガになっていますがこのように レンガになっているというのはそれだけ 歴史が古いということでありましてつまり 伊勢は鉄道の歴史の中でも古くからですね レールを敷いておく必要があるほど日本に とって重要な場所だったということがまず 一つ分かりますそして続いてこの橋に名前 がついているんですが第2電車可動橋と 書いてありますこれ電車ってのここに存在 しないこれ
ディーゼルですからあの電車ではありませ ん何なのかって言ったらやっぱりここに ですね昔電車が走っていたのでその電車を またぐための可動橋としてこの橋は もともと作られたのでしただからここ こんな2つ空いてるんですね今もう電車は 存在しませんけれどこの橋も戦前に作られ たものがずっと使われ続けているので名前 もですね電車可動橋のまま変えられてい ないというわけなのです 昔神道伊勢を訪れ内宮の参拝を済ませた 小学生中学生たちは次にこの橋をくぐる 路面電車に乗って次の目的地二見ヶ浦を 目指していたということですねで向こうに ですねその名残と思われます バスの 駐車場もあります いいよねいい伊勢観光だよこの辺は見れば 見るほどいろいろありそうですよねこれは また古いわ中に砂利が祀られていますから 今の時代のコンクリートではありません 昔路面電車が走っていた時に使っていた ものと思うんですが何に使っていたのか わからない 昔は多分電車用が左でこっちがその歩行者 とかだったんでしょうねあまり 砂利とかも敷いていなかったんだろうなと 未放送の道だったんだろうなってもよく わかりますあとはですねすごくいいものを 見つけたんですけどここの田んぼのところ に 炭鉱と書いてあるのが見えますがこれ三重 交通ですね土地の境界ここまでは三重交通 の土地ですよというのを示すものだと思い ますここ都市の土地なのかな 要するにこの道のこの部分今は道路として 使われているところがまさに 路面電車の通り道であったという証拠の また一つが見つかったわけですこっちの 田んぼにも埋まってますね 3としか見えませんけれどもまあどう見て も三重交通の3でしょうjr東海の快速 列車 伊勢市へ向かう都賀路面電車との交差点を 渡っていきました上を走る鉄道も下を走る 路面電車もどちらもとても古く重要性の 高いものであったからレンガの兄弟橋脚が ここに生まれています これはなかなか 名誉な建築物ですよ以前にとっては ちょうどすごいもんがありましたこれ こんな 門柱が立ってますね路面電車の時のやつ ですねねえ これもそうかなビームみたいなのが
あるでそろそろですね ここで五十鈴川を渡るんですけれども渡る とまず右の奥の方に 参宮線の線路がありあとその手前のこの 辺りですね分かりますかこれ右側のところ にですねずらっと並んでいるこれが 昔の電車の線路の後ですもう海はだいぶ 近くなっていますそこでかわいそうなこと にエイがひっくり返って死んでしまってい ますねしかしまあそれなりに長生きしたん じゃないでしょうか大きな絵です 今 五十鈴川にかかっている橋を渡ってきた わけですが結構古そうな橋ですよこれも 見れば自動車用の橋がこんなに古くから 立っています 昭和10年って書いてありますなんて書い てあるのかちょっと読めませんけどもこの 向こう側ねこれがですね昔 内宮と二見ヶ浦の間を結んでいた路面電車 の通り道です 何でも木の橋がかかっていたという話なん ですけどそれをいつまでの話なのかな ずっと最初から最後までそうだった ここのところも石垣組になっていてここ から線路が渡されてですね向こう側まで 行っていたのだということがわかります 運転士さんから教えていただきましたが今 はだいぶもう二見ヶ浦というのは不便な 場所になったそうです今日相当潮が引く日 だったのか分かりませんけどあっちでも 映画干からびてしまってますよちょっと かわいそうですが そして二見浦駅まで連れてきてもらいまし たまだもうちょっとねタクシーに乗って 行こうと思うんですがちょうど電車が来て います電車じゃないディーゼルねJR 参宮線この先伊勢市方面に向かいます 観光客が大勢乗り込んでますね この近くの名所みんな二見ヶ浦を見に行っ たんでしょう神宮サイバー 参拝者は 古くからここで身を清める風習あり中に 入るのは後ほどとしますここではタクシー はもう相当貴重らしく 伊勢の街からもだいぶ離れているので なかなかですねこっちの方にタクシーを 回すのは難しいみたいです ちなみに内宮まで最短距離で行くとここ まででも3710円かかります結構遠い ですね そんなところまで昔は路面電車でやって くるぐらい大勢の観光客がごった返すよう にやってきていたそうです雰囲気はもう だいぶ違いますこれがその二見浦二見ヶ浦
を見物するための山道ということになり ます 3連休の中日ですが外宮内宮の賑わいに 比べればだいぶひっそりした感じその山道 もぜひ紹介したいところですがせっかく タクシーがいてくださってるんでね乗って きましょう 駅からの山道も運んでもらって着きました ここが二見浦もう目の前に海がありますよ 昭和平成初期ぐらいまではですねずっと ここは修学旅行の定番コースだったそう です今も来る学校はあると思いますけどね 本当はこんなカメラなんか回さないでね昔 の人たちは無言で静かに行っていたん でしょうけどこれか 夫婦岩ですね 昔はまず夫婦岩の前にここの神社に参拝し てその後夫婦岩の方ではですね天皇陛下の 方角へ挨拶を申し上げていたそうです今 ちょうど潮が引いてますわ引いてる時と 満ちてる時とどっちがいいのか分かりませ んが 毎年 怖いですよねここでまさに今日出発の時に も紹介した 球場用杯今は皇居を遥拝することをやるの だそうですこういうところに来た時に今 だったらね受験に合格しますようにとか ですねそういう風なことをやるんです けれども 元々はですね明治時代とかそういう時代の 人たちは天皇陛下のミオがとわに続き 私たちもそのもとでお力になることができ ますようにみたいなそういう願い事をする のが 模範的な国民でありますそれが当然である と 歴史上の話ですけれども 元々はそういう場所でありまして今も天皇 陛下はもちろん神道と関係が深いわけです からここでこれを眺めながらその向こうに 東京で今も我々のことを思ってくださる 陛下のお姿を浮かべるという場所なんです ね実はねお賽銭箱の横にもいいことが書い てあります私もねお賽銭1000円入れて きました言うことでまた外で出てきたん ですがこの 大きな入り口の石碑 これターミガウラ旅客作動株式会社 ロープウェイですかそういうのはあったん ですね昔の運営していた会社が奉納した そうですいつのやつなのかな裏に回っても よかろう裏に多分書いてあると思うんです よ書いてないなこっち側に書いてありまし た昭和7年そうですよねもう本当にここも
公共弱いとかやってたのもですね伊勢神宮 参拝とかがすごい 熱を持ったのも ちょうど戦争が始まるぐらいの頃なんじゃ ないですか 皇居に向かって敬礼する 球場用杯もいつぐらいから発症なのか ちょっと僕はわかんないんですけど多分 戦争中によりあれが勢いづけてやられる ようになってきてるはずなんでまああの なんかそれが正しい神社の参拝方法なのか とかねそれが伝統的なものなのかっていう のもまたちょっと僕もわからないところ ですけどね 江戸時代はもっと神社への進行がおおらか なものだったはずなんですけど明治政府の 意向でそれが厳格化されて 太平洋戦争の終戦の頃にかけてどんどん それがきつくなっていったんじゃないかな と思いますだから神社の方もまあいろいろ 政治の圧力を受けてるわけですから大変な ことが多かったでしょうね さてこの辺にですね大きな建物がずらっと 並んでいますすごいこの辺は二見ヶ浦の 旅館街ですすごいね 二見ヶ浦はもう本当に戦前の修学旅行とか やってるような頃からこんな感じの高い 建物が多かったらしいんですが 先ほど紹介したようにね伊勢市駅周辺の 旅館街はなくなってしまいましたが 二見ヶ浦周辺は建材です特にその中で 目立つのがこれですかね今国の重要文化財 になっています 品日間でいいのかな 明治時代に建てられた超デラックスな宿泊 施設でやはり 皇族方のご利用のために作られたものなの だそうです今は310円で見学できる場所 となっております 要はその資料館みたいになっていること ですね相当すごそうだ 是非見に行きたいんですけどちょっと今日 はねかなり忙しいので飛ばしながら行き ますまた伊勢の旅行はしっかりとですね より正式にやりたいと思うのでその時に もう一度来たいと思います 考えすごいねみんな同じ高さ3階建てだ 乗せてくれたタクシーの運転手さんによれ ばですねお土産物屋さんは結構閉めちゃっ てるのもあるけれど 旅館は多分1個も閉めてないんじゃないか なと言っていましたすごいですね道が広く なってからもよりすごいですそしてねここ にちょっと興味を引く看板が出てるんです が学生さんの店と書いてあります
あの看板を作るぐらいの頃まではここ修学 旅行生がものすごくたくさん来ていて特に ここに今も駐車場がありますけどもこれね あの大きなキャッスルインというホテルの 駐車場らしいんですが 元々何だったのかなやっぱそういう駐車場 みたいな必要だったと思うんですよね昭和 から平成にかけてそういう人どうか分かり ませんけれども 修学旅行授業を見越した看板が今もこの ように残っています最近はだいぶ減った みたいですね すごいですねこんな建物ばっかりですよ いや新しい建物もありますけどよくこんな に見事に残してくれてますよね 二見浦の駅まであとちょっとというところ なんですけれどもこちらにですね木造の 建物で 呉服餅なる名物を売ってるお店があります また一方でですねこちらに右側を向きます と見慣れた看板がありますここは赤福と 書いてある名物を売ってるお店があります 赤福はあの伊勢のよくお土産の定番として 売られているところで 商売がすごい有名なねあの上手な会社だと いうことも知られていますが実は呉服町も 知名度でだいぶ劣ってしまうんですけれど も一瞬なんですよね このあるんですよごめんなさい僕もよく わかってなかったあの 呉服町じゃなくて呉服町でしたねここ地区 の名前 茶屋くって言うんですねだからあんなに 色々あるんだ呉服町なり赤福なりですね こっちにも 坂饅頭がってこれまた美味しそうです大正 2年って書いてありますまあそんなに歴史 の浅い場所じゃないんじゃないか江戸時代 ぐらいからねもっと色々あったんじゃない かと思うんですけど 呉服町も買いましたちょっといろいろね 名物のお餅系は買ってるんですが今回ね 余裕自分が全くなく名古屋駅から先も 大忙しですよ特にあれかな 伊勢市についてから名物の伊勢うどんやら 伊勢のお寿司やらですねいろいろ食べませ んか松阪牛もありますといろんな店が出 てるんですが僕はお昼ご飯も全く食べずに ですねひたすら動き続けていますもう夕方 の3時になりそうですいやすいませんそこ まで行かなかった今2時25分ですね ともかくここまで来たらですね 修学旅行生昔の人たち一行はまたあそこの 二見浦駅に行ってそこから 列車に乗って次の目的地へ向かうというの
が 定番のコースであったようです私もそうし たいと思ってるんですけど今回本当に時間 がギリギリなのでちょっとね列車を待つ 時間がありませんそれよりも先にここに バスが今はやってくるようなのでこのバス に乗ってすぐの目的地 鳥羽を目指したいと思います 伊勢市駅で列車を降りてからここまでです ねとにかく暑い格好をずっとしていたん ですけれどもここでようやくですね ネクタイも外して 熱い上着も脱ごうと思います 伊勢市に着いてからはずっとね要は経審 するその工程を積んでいたわけですさっき までは天皇陛下とかそのご先祖様へお参り するということだったわけですから ちゃんとした格好しないというところだと 思うんですが今からは普通の観光みたいな モードになるんですよ だがこれで問題ありませんこれから向かう 鳥羽というところは別に天皇陛下の方角を 向いて最敬礼する場所でもないし神道の すごい聖地というわけでもありませんこれ はね要はせっかくこの伊勢とか二見がある なあたりまで来たんだしそこに鉄道も通っ てるんだからついでに参拝していき ましょうよ参拝とついでに観光していき ましょうよみたいなノリなわけです一度 ですね戦争中なわけですから物見さんで 飛ばす水族館とか行きたいな 鳥羽に行きましたというのはダメなんです けれどもしかしせっかくこの伊勢の地まで 京進水素という大切な用事のために来た からにはついでに近くにある 鳥羽という風光明媚なところにも皆の 楽しみのために寄っていくぐらいはいいん じゃないかついでの寄り道だからなるべく 見ていきましょうということでですね 行き先を付け加えるということになるわけ です だから工程も結構忙しくなりがちみたいな んですね 戦前の修学旅行の工程みたいな小学生とか のやつ結構いろいろ調べて見てみたんです けどどれもすごい忙しいんですよ私の祖母 1944年生まれなんですがあの北海道に 10泊11日で旅行 修学旅行行ったらしいんですけどやっぱ 結構ものすごくいろんなところに行った らしいんですよ今回の旅行の忙しさはそれ ちょっとイメージしているところでもある んですけどそう何度とやるわけではない 貴重な機会の旅行だから少しでも多くの ものを見ていこうというのが結構戦前とか
の旅行ではよくあったらしいです ちなみにこの道なんかこうカーブしてます けど 詳しくわからないんですよこれも多分路面 電車の廃線跡でしょうねここすぐ後ろが 三重交通の営業所ですからまあそういう風 な車両基地みたいになってたのは 想像に硬くありませんしまた地図を見てみ ますとですねこんな感じで ぐるりんとしてるような地形がまたさっき 伊勢神宮の近くにもあったものを見ます ここのねあった路面電車の駅もやっぱり こんな感じでグルーンと一回転できるよう な構造になっていたらしいですよでもね バスが15分くらい までまた超満員になっていたので乗るのは やめましたもうここまで遅れてたらこの後 にやってくる列車に乗ってもあまり所要 時間は変わらないでしょう今日みたいな日 は大変ですよね 二見浦駅にはこんな地下通路がありました けど 水にカニが来てますよ ちょっと影に隠れててあの見づらくなって ますが2つ折ります 駅のコンコースにカニが住んでるってのは 初めて見たなそして今でこそ2両とか連結 した短い普通列車しかやってきません けれども駅は相当立派で大きな屋根もあり ます 修学旅行生たちがどっさりこのホーム上で ですね多分昔はひしめき合ってここからの 列車を待っていたでしょうね すごい昔ながらのいい雰囲気の駅ですね まさに天皇を中心とした神の国としてです ね日本が本当にやっていた時代から 姿はあまり変わってないと思います横にも 昔レールを敷いていたと思われる隙間が ありますがここは何だったのかななんか 車両置き場として多分使ってたんだと思う んですけど 団体列車とかが来た時の止める場所として 使ってたとかですかですかねホーム上には すごい古いベンチがあるんですけどこれは どうコンクリートに砂利が混ざってるか どうか見ればわかるんですが 混ざってますね ということは国家新党体制の時からですね あった 古いものだと思いますよ 来ました鳥羽行き普通列車秋葉25か75 の方が好きなんですけどねこっちが75も 快適だ中でちょっとお餅とか食べる感じか どうかわかんない真ん中のドア締め切り 扱いはまだしてないです後ろ乗りでよかっ
たかな整理券は お客さんがあまりいなかったので大きな窓 を独り占めてきましたこれはいいですね これから先の景色はお客さんもみんな シャッターを押すような場所ですよ今乗っ ているこの線路はまさに90年前の修学 旅行生も走っていたその線路の上その場所 でありますまもなく景色が開けてくるはず ですそして 池之浦シーサイドという駅を通過します 実際にはもう多分この駅は存在しないはず です jr東海が発足してさっき紹介した須田 ひろしさんが社長の時代にですねここに駅 を作ったのでした まだ駅あるわ 2020年に 廃止となったのですがまだそのまま残って いましたね海水浴客の最寄り駅として利用 を見込み建設したのだそうです 参宮線はまもなく終点の鳥羽につきますが その最後の最後のところで美しい海に沿う ようにして走りますもともとここには鉄道 はこの路線しかありませんでした今は近く に近畿日本鉄道も通るようになっています 最高の景色を見て 昔の修学旅行生もね 良かったでしょう東京からずっと走ってき て 初めて見ることのできるはっきりした海 らしい海です そしてこの入谷の向こうから近鉄特急が今 近寄ってきているのも見えましたこの辺り では近鉄線とjr線はまあ結構な強豪関係 にあります来るのが見えるかな近鉄特急も 見たいけど海も見たくてですねまあ ちょっと忙しいとかですけどありました2 階建ての電車ビスタカー ここで近鉄線と並走し左手に少々海が 見えるようになります海がよく見える路線 というのが結構技術的には 低い路線なのかなと思います海の地形に 沿って進むからです 技術的に高い路線はどうなるかというと別 にわざわざそんな海岸線の複雑な地形に 沿って遠回りするようにして走らなくても トンネルを掘ったりとかですね急な坂を 建設してそこをスーパーパワーの強力な 電車でですね一気に山を登って行っちゃっ たりとかすればもっと近道をして走ること ができるのです見てくださいこの 参宮線の線路 海岸線に沿って大きくうねりながら走って いますが後から作られた近鉄線はこのよう にまっすぐな線路で直線的に走ります
列車は鳥羽にもうじき着きます 鳥羽は今でこそこんな感じでいろんな建物 が並んでいるんですけれどもともとですね 今 向こう側に見てるこのこの山の裏側かな この 山があるところを回り込んで今はホテルと かが立っているこの辺りはもともと全部海 だったそうですそれを埋め立て埋め立てを 繰り返してですね今このような土地を作っ ています 昔はもう線路のすぐ脇が海岸線だったと 言いますからね もう近鉄特急のしまかぜがおります京都 行き本当はね実はあれに乗ろうと思ってい たんですけれどもさっきちょっとバスが 遅れたりとかした関係であれに乗るのは 諦めました今鳥羽駅無人になったんですよ ねだから降りるのも全部先頭の運転手さん のところで運賃を払うのでだいぶ時間が かかって降車しました 到着した参宮線の終点鳥羽駅の屋根は 昔のレールで支えられていますがそういう 駅はすごいたくさんあるんですよフル レールを使ってですねリサイクルして屋根 を作るってのはそんなに珍しいことでは ないんですがしかしそれにしては造形が だいぶ凝っていますここまで凝った作りに なってるのはあまり見ません 多分やっぱり 観光地だからということで国鉄もいろいろ 考えて作ったんじゃないですかね 到着した鳥羽の名所といえば 道元真珠とそして鳥羽水族館もうここが 鉄板ですよねしかしどちらも戦前にはあり ませんでしたいや真珠塔あって真珠の 栽培とか作ってもいたんですけれどもただ 普通の観光客が来るところではなかった らしいんですで別のところに水族館が存在 したらしく戦前にあった水族館ってのが どこなのかわからないんですがその他に ですね 有名な鉄板観光地がありました日和山展望 広場です聞いたことないんじゃないですか 僕は初めて今回のことを調べて知りました 昔は鳥羽に来た人がですねもうみんな行く のが当たり前みたいなすごい場所だった らしいですで日和山というのはこの駅の 裏手にあるこの辺り一帯の山なんですが山 の上までみんな登ってたんですけどもまず ちょっと登ってみますあんまりちょっとね 行きたくない雰囲気なんですけれども 車で行けるのかな上まで 津波避難場所にも指定されているみたいな んですそれなりには整備されていると思い
ます 行けそうですね なんか短い距離でタクシーに乗ると悪い気 もするし歩くと発見があるかもしれない から歩いて登りますと思ったけど今は車 じゃ行けなさそうだなこれは タイで行きましょう 結構でかい ハッシュノスとかないですね 舗装されていて轍があるとはいえすごい きつい道でしたよだいぶ山頂の上の方に来 たみたいなんですが 唐突にですね階段が現れます石碑とかも 立ってまして 誰も来ない謎の場所の割には割と充実して いるんですがまあこれが要するに戦前は人 で相当賑わっていたらしいのですコンクリ も砂利が混じってますからやっぱり古いん じゃないかな なんで人が来なくなったのかということ ですよねそれを見に行きましょうきつい けど遠くはありませんでしたここが山頂 ですね 鳥羽の湾を一望することができますがまあ 景色はいいはいいんですけれどもただ ちょっと木が茂りすぎてますねそれこそ 本当に戦前の時代だったらこの木はもっと 高さが低かったと思いますからそれはそれ はすごい 景色だったでしょうで剪定すりゃいいん ですけれども特にそういう木を選定する みたいなこともやってないみたいですあと 紹介するべき文化財としてですねこういう のがありましてコンパスみたいなのがあり ます方遺跡というのなんですけどちょっと これね確認したんですがあの方位を本当に なっての固定式のコンパスでこっちが北 ですよみたいな風にね分かるようにして いるものだそうですもともと風街の港あの 自分の好みの方角に風が吹くまでここで 待つというのは鳥羽の役割だったらしいん ですけれども一旦船頭さんがこの山の上 まで登ってですね明日の天気はあこれは海 はあれなさそうだなというのを確認する ために登っていたとかで周り黒くて申し訳 なかったんですけどこの日和山で何をして いたのかっていうことなんですが 昔はここにねエレベーターがあったらしい んですよ 昭和の中頃まであったそうです最初は とんでもなく急な道だったのにいきなり ですねこんな 妙に広くて 腸がつくほど歩きやすい階段がこんな風に あるのはですね僕さっきこっちの急な車道
から上がってきてでこの階段を進んで 向こうの見晴らし台に行ったんですが こっちもともとの道ではなくて 元はですねこっちから来てこっちに エレベーターがあったらしいですあなんか そういうのもありそうな雰囲気だわ道が 全然わからないんですけどなんか怖いな 立ち入り禁止って言いながら右に矢印つけ ないでくださいと思うんですけどこっちが 立ち入り禁止ってこと誰もいませんからね でこっちが 展望広場だと言うんですけど90年前は人 でごった返していたんでしょうけどねあー ここですねここがその昔のエレベーター 乗り場だったに違いない あいいじゃないですかさっきよりも1が 一望できますよで真珠塔に行く船でしたっ けああいうのがあの立派なのがですねこう ありましてあれも近鉄グループなんで ちょっともう連想するものがあったんです けど近鉄に失礼だから言うのやめときます わでここにですねエレベーター乗り場の後 が残っています 鉄筋コンクリートですね昔の 真ん中に鉄筋が入った状態ですがこのよう に切断されていますもうエレベーターは 廃止されてしまっているのでありません このエレベーターがさっき言いましたが 戦前の家にはもうここに作られていまして ここからねなんか海の方へこう出っ張って いくような感じネットで見つけた写真なん ですがこのブラウスさんにですね掲載され ていた昔の絵はがきの写真を紹介させて いただきますとなんかこんな感じの場所 だったらしいですよこれがもう戦前の家に はあってですねえー これはあれか 日和山橋と書いてあってこっちも漢字で 日和山橋とありますがその橋のこの両側の やつだったんですねだからまさにこのこの 幅が橋の幅なんだでこの真下が鳥羽駅な わけですよあれね鳥羽駅直結の施設なん です昔はあそこ海だったわけですが 埋め立てて今こういうものを設けてるん ですね これそのエレベーターがあった時代からの やつなんじゃないかと思うんですけどどう ですかねあでもJRって書いてあるからな エレベーターが廃止された後のもんだ エレベーター時代だったら国鉄って書いて あるはずですこっからエレベーターですぐ 降りるともうすぐそこが鳥羽駅なんですよ だから僕苦労してここまで上がってきまし たけど昔だったら多分駅を出て3分でここ まで到達することもできたはずですでも
残念ながら昭和の中頃に鳥羽駅で火事が あってそれがエレベーターも焼いてしまっ てですね残念ながらそれでもう運転はやめ てしまうということになったんだそうです が 昭和中頃でこの場所の観光地としての歴史 も終わってしまったわけです明治44年の 石碑なのこれは 鳥羽鉄道開通の同時なんとかテッド馬に 鉄道が開通した時にこの場所も 物見さんのその展望台として開発しました みたいなことがここに書いてありますね ここにも大正時代のやつがあります ちょっと漢文で返す読むのは難しいんです けれども 鳥羽鉄道開通を 持ってこの木書いてありますやっぱり 開通を木としって書いてあるのか 大昔の石碑がですねあそこに1個建ってい てこれもなんか明治時代のやつでなんか みんな書いてあることは同じなんですけど 鉄道開通のなんとかそれだけ本当に 鉄道開通ってのがいかにね観光に影響を 与えてきたかってのわかるんですがこれ2 つ目あそこにも鉄道開通を機にこうなり ましたという石碑あれも戦前のやつであれ もなんか明治44年とかなんか書いてあり ましたねちょっと新しいような気がしまし たけどこの場所だけで戦前の石碑が4つ 昭和40年くらいまで超メジャーな観光地 だったそのままの姿で今に保存されている ようですあそこにまたあるんですよ石碑が さっき紹介しませんでしたけど さらにそれには飽き足らずですねまだここ にも記念碑の丘なるものがありますどん だけあるんだそして何を記念してるん でしょうまた記念碑がここにも4つ本当に 多いな本当戦前ぐらいの昔っていうのは こういう記念碑というのをよく立てていた らしいんですが結構多いのが昔のなんか メーカーはですねこのように刻んだような のが多いんですけども多分この山に ものすごいたくさん展望スポットがあるん ですよで エレベーターで上がってきてこの辺りを 散策しながら 昔の名家とかに触れてくださいねという ような場所だったんだと思いますそれが まだこのように残されていますこっちもね これ 茶店って書いてあるんですね多分ね三味線 より 騎射場道ですかおーすごいこんなもう文化 財でしょまさに何の役にも立ってないいや 立ってはいるか
昔の道案内の日ってこういう風なものを 入れることが多かったらしいんですけども 茶店がどっかあったんでしょうねで汽車場 ってない要するに 鳥羽駅じゃないですか 鳥羽駅はこっちですよともちろんですね いろんなところに交代し電荷がお越しに なってその名は預かりも限りなくみたいな いろいろそういうのもたくさん立ってるん ですけれどもあるとこもそうなんじゃない まあとはいえこの山道を歩いてですね子供 たちはただ天皇陛下万歳という風な方向性 の教育だけではなくて自然と触れたりとか 美しい海を見て多分戦前の時代だったら エレベーターというものに乗るのもまた 珍しい体験だったと思うんですよね のびのびと子供らしい旅の思い出が作れる 場所だったんじゃないでしょうかまあ当然 と言うべきか今やこんな不便な場所です からね おっまたカニがいるかな カニですねこれ 珍しいやつなんじゃないのわかりません けど山にもいるんですよね蟹って実はどっ か水が湧く場所がこの近くにあるん でしょうね そっとしといてあげましょうちょっと下る のは怖いぞ 苔がね今これ昨日の雨でじめじめしてて ツルツルなんですよ山より怖いかもしれ ないトレッキングシューズできた方が 良かったなこれ水が染み出してていいです ね子供たちもこういうところでね 普段とは違うものを見られたらいいですね 特に東京の子たちとかねこういうの なかなか 昭和戦前機でももうあんまりなかった でしょうからこの奥にカニが入っちゃった んだけどもう出てこないかな うんいるのはわかりますね 今やこの有様の日和山の展望台ですけれど もしかしですねまだ鳥羽水族館も 身元真珠ともない時代のそばでは本当に 大切な観光資源だったはずです 伊勢までやってきた人たちがじゃあついで に何か素晴らしいものに触れていこうと いう時にあのエレベーターがあったから こそ鳥羽が観光地として栄えたわけでしょ 新しい観光施設や立派なホテルに役目を 譲って今はもう本当にひっそりと誰も登っ てこないような場所になっていますが今後 も鳥羽の原点の一つとして保存されていく んじゃないかと思いますまた降りてくると ですね ちょうどまた近鉄特急のしまかぜ号がやっ
てきてるのが見えましたこの島風というの は3つ車両がありまして一つが名古屋から 一つは京都からもう一つは大阪から 毎日観光の時間のいいタイミングで 伊勢志摩方面に1往復運転されています 水曜日は走ってないことがあるみたいです 基本走ってないのかな予約も満席となるの が当たり前 いやー乗りたかったさっきもねあれの 京都行きの指定席を持っていたんです けれども いろいろ予定が変わったのでキャンセルし てしまいましたと言いたいところですが キャンセルしたら本当なんですけどまだ 大阪行きの運転が残っていますんで大阪 行きに乗って次の場所へ移動します今回は 伊勢神宮参拝の旅ということになってい ますがそれはもうねクリアしましたで さっき言いましたように伊勢神宮さえ行け ばある程度旅行はできるのです 伊勢神宮参拝をするという名目によって ですね旅行に出発することも大義名分は手 に入れましたですからせっかくその手に 入れた大義名分を使って他の場所を就業し て回ってくるということが当時の修学旅行 でもごく普通だったそうですさて ここにですねこれ なんか破壊されたような感じの金属の構造 物があるんですけれどももうお気づきの方 がね多いと思うんですがこの上が日和山で 今降りてきたところですけれどもこれも ですね日和山のエレベーターを支える構造 物その柱の一つであったそうです東京 タワーみたいな感じでここにこうボーンと ウォーキングが1個立っていたらしいん ですがこのお家とこの建物のところにあっ たのかな ちなみに今回は昔の旅行客がどういう風な 工程を踏んでいたのかというのが知るため の旅ですから別に鳥羽水族館とか当時存在 しなかったので行かないんですけれども 興味のある方ですね以前紹介しております んであの紀伊半島の動画ってありますんで それで見てもらえれば一般的な観光ルート の今の様子は知れると思いますさてこれ から乗り込みますしまかぜ号なんですが 近鉄名物の豪華な列車なんですけれども 人気がありすぎて3連休みたいな駅なんか 特に切符を買うのが大変です僕は予定が 変わったんで1時間前に空いてないかと いうのを探してたんですがずっと探してる とねキャンセルが出まして 席を1個予約できましただから予約が いっぱいだと思ってもそう簡単に諦めない 方がいいと思いますね今までこの列車が
満席で乗れなかったということ僕はあり ません じゃなくてもね 便利なんですけれど だったらこれで行きたいってのはあります よね はこんな感じに超スカスカのシートです 頭痛特急と800円ぐらいしか変わらない んですよね値段も でこれで大阪に行くわけではなく奈良に 行きます 荷物は座席ではなくて車内についている ロッカーが使えます女性の利用を見越した パウダールームとかですね こんな感じこれなんかこれ以前の石らしい んですけどすごくいい石を使ってる座席も 素晴らしいです けれども 席が閉まらないでですねとりあえずすぐに 食堂車に移動します 通路と別に区分された食堂車は2階建て です天井もすごい高さ2階建ての食堂車は やはり2階の方が人気なんですけれども1 回も空いていていいですとはいえすぐにお 客さんが大勢やってきてここも混む でしょう 真っ先に乗ったらすぐに行けばですね 並ばずに入ることができますじゃあ そろそろ行くかみたいになると行列して 通路で待たされることがあるわけです これから向かいますのは 大和八木というところですもうこの動画の 収支を知っている方だったら 八木といえば連想するものがあるかもしれ ません全然何も食べてなかったからね 疲れましたよ 列車が今日最初に降り立った伊勢市へ向け て速やかに帰っていますもっと来た道を 戻っていると言いたいところですが ちょっとそのルートは違います さっきはね昔作られた参宮線の海回りの 二見浦のあたりを通っていましたがこちら 近鉄線は景色はあまりよくありませんが その代わり山の中を走る高速道路のような 線路です 速度も全く比較になりません一瞬で伊勢市 まで戻ってしまいます またちょうどここに地図があるんです けれども今回はですねこれ名古屋から南下 してきてまず 伊勢志摩といった後その後今度は 奈良で奈良を見たらば 京都に行ってそれでね帰るという工程なん ですけれどもそういうルートの修学旅行 非常に多かったらしいんですが
修学旅行だけではなく 江戸時代にもあの伊勢参りがすごい3回 くらい流行った時期があったんですがこれ もまた同じような感じでぐるぐるっと いろんなところを見てですね周遊してから 帰るということになっていましたさっき 言ったように1回ぐらいしかねあの人生で 旅行がないという風な人も非常に多いそれ は普通ですからだから色んなところ一度に 見て帰りたいともそうなんですがあと 江戸時代ってのもまた戦争中と同じように 旅行が減速禁止だったんですねで幕府に 願い出て通行手形をもらって旅行に行ける ようになるんですがその目的というのも そう簡単には許可してもらえないんです けれども 伊勢神宮への参拝だというならば 許可が下りたのです そして 伊勢神宮に参拝に行った人はですね行く その時のルートとかについては基本的に 決まりがなかったそうですだから伊勢神宮 参拝という風にかっこつけてもちろん伊勢 参りは楽しむんだけれどもそれだけでは なく様々なところに寄り道をするというの も 大義名分を得て旅行するということですね 江戸時代からの伝統的なやり方だったそう です 伊勢神宮は結構そういうところで都合よく 使われていた側面もあるにはあるわけです ね ちょうど前方の景色をうつモードに変わり ました 江戸時代お役人さんにですねすいません 旅行に行きたいんですけど何をお前みたい なもんが旅行なんか何なの何言ってんだ お前 しかしオートの殿様でお大感謝様私どうし ても伊勢神宮に参拝してございまして何 伊勢神宮に参拝に行くなら仕方ない 殺して行ってくるようにみたいな感じです ねみんな伊勢神宮に行っていたらしいまあ 伊勢神宮の名誉のために言っておくと都合 いいシステムとして使われていた脱法神社 みたいなだけではなくて 伊勢神宮に行くこと自体も人々にといて とても大きな関心事でした 伊勢市まで来たところですね 頼んだ松坂牛カレーを持ってきてもらい ました 値段はちょっとカレーにしては高めですが 実際美味しいですしそれからこの奈良漬と かですねあとお水もついていますそれと 急に雨が降っている区間に入りまして
窓がこのように雨で濡らされ一緒に乗って いた子どもたちも大喜びしていました私は さっきから一度も雨には降られてないです からねただ全然違う世界のこと人ごとと 思ってこれを楽しみますまたさらにケーキ セットも頼みましたこの時間帯はご飯には 中途半端な時間だからか意外と空いてい ました上にグミとかが乗ったピスタチオの ケーキですがかなり美味しかったですね 順調に進んでますこういう風な案内も豊富 もうすでに天気が晴れになってきました 電車は松阪駅を通過 収益の松阪を通過する特急は1日にごく わずかです その中でしまかぜそれに入ってるんですね 続きましてまあまあの数の列車が通過する 伊勢中川 この駅を通過しますと右手に名古屋方面 左手に大阪京都方面と線路が分かれます こんな感じですね名古屋にそのまま帰って あとは東京へと戻るのではなく 寄り道をしていくむしろここから先がもし かしたら本題なのかもしれないという 面白い区間です 今夕方なんでねあの夜のご飯の時間じゃ ないから相席の皆さんもですねカフェで 済まされたそうです僕はあんま食べて なかったんでたっぷりケーキセットまで 行きましたがまあそろそろ出ようかなと 思います僕が取れた席はあの並びの席しか なくて通路側にはねあのご婦人が1名座っ てらっしゃるんですよだから相席になる からその相席のところで座るぐらいだっ たらねなんかここで飲み物でも注文し ながらなんかずっと居座ってた方がいいん じゃないかって気がするんですけどそれ やる人が多すぎて東海道新幹線の食堂車 廃止になったんで食堂車ではお金は しっかり使ってですねで用が済んだら さっさと帰るというのは徹底しないといけ ません結構座席余ってたのかなもし ゆっくりすればよかったなこれがですね 席がばらけだから変わってくるという風に 言われましてこれはラッキー一人掛けの席 で黒くことができましてございます ちなみにこの座席なんですけれども非常に 刺さり心地の良い肌触りの良い革張り シートです 2013年にデビューしても9年になるん です ただ新しいですね 座席張り替えたのかな テーブルです すごいね 列車内で赤福餅も販売していたので買い
ましたこれ2個入りですあとさっき二見で 買った 呉服町ですね赤福プリウスを楽しめます ちなみにそれぞれの会社が言うには赤福を 放映4年に創業で 福音 という所に作ったらしいですか 呉服町はできれば通常版を買いたかったん ですけれども通常版はもう売り切れて しまっていましてきなこまぶした バージョンになりましたこの2つで比べる とですね赤札の食べづらくて 瓦解してしまってですねこんな感じになっ てしまいました作り置きのやつだからって いうのもあるのかもしれないですけどねで この 呉服町のこのきなこバージョンのやつは なんかちょっとアンコウの量が少ないので 期待していたものとは違う感じがありまし ただからまあその一長一短かな 本当によくできますよ何が素晴らしい かって言うと 思いつくことは全部いややってるんですよ ね電動 窓とかですね前の座席のところにテーブル ついてますけど こっちにもありますしね コンセントも備えた電動リクライニング チェーン跡ですねあとはランパーサポー トってこの背中が入り出してくる機能が あるんですが ギーズってやつを押すとマッサージ機能に もなります結構心地いいです なんかディスプレイでこんなニュースも やってますしね あんまり儲からないんですけれどもお客 さんの魅力向上のためにですね車内販売も 実施していますワゴンで来るんですけども 近鉄ではこれが最後ですよねみんなをあっ と言わせるような驚くべきサービス技術で 速やかに奈良県まで降りてきましたここが 奈良盆地です 三重県と奈良県の間の険しい山々も一瞬 です本当に一瞬ですねこの近鉄線はですね 今の近畿日本鉄道という名前の会社になる 前から関西 急行という名前だったらしいんですけれど もそういう時代から 恐るべき国鉄を上回るサービスをやってい て実際修学旅行も一部この近鉄回りでと いうのが当時からあったらしいです今は もうもちろんですねほとんどがこちら近鉄 の修学旅行で使っています 修学旅行生たちを乗せた専用の団体列車 ですね
鳥羽二見浦伊勢市ここから 参宮線そして亀山から関西本線を通って 奈良に向かっていたんですが戦前のうちに 伊勢にもう線路を伸ばしていた近鉄は 伊勢市とかですね内山田のあたりから もっと短い経路ですねこちら大和八木とか の方に回ってきました 驚くほど濃密な1時間と20分間でした 火の鳥と並ぶんですね本当にこの近鉄線今 の会社の名前になる前から数十年も昔から ですね日本がまだ国家新党の時代であった ような頃から 国鉄線を圧倒するすごいサービスレベルと すごいスピード超高性能の電車などで 利用客を何十年も魅了し続けています まあこの 最終進化というのが分かりませんがもっと すごいのが出るんじゃないかという気もし ますがその一つの形がこの島風号なわけ ですね本当に豪華ですごいですよねさっき 乗ってきた火の鳥もそうです この着いた大和八木という場所は結構な街 です僕が思うに奈良県で2番目に大きい ところなんじゃないかと思います奈良市に 次いでそれもなんでそんな都会なのかって まあ何で都会なのかわからないですが ともかくの人の集まる場所はですねあり ました 橿原神宮というところですこれが日本の 聖地とまたされていたわけです今もそう ですかねやっぱりですね旅行するんだっ たらばある程度の大義名分が必要な時代 です この 橿原神宮というのは日本で最初にですね 天皇が天皇として即位した場所であるの です ちょうど橿原行きの電車がいますあもう出 そうだ この大和八木の駅からほんのちょっと行っ たところに 橿原神宮があります 大和八木を出ると 畝傍御陵前そしてその次がもう橿原神宮前 です駅で言えば2つしかありませんその 橿原神宮に行くんですがその前にですねお 隣のうねり5両前駅で降りました 服装を整えますそれはやりましたここの 解説によれば 畝傍御陵前駅は1939年にできたのだ そうですがこれね翌年の昭和15年 1940年がすごい大切な年なんですよ その大切な年の前年に準備のような感じで 駅舎を作りましてその駅にこういう風な 昔の古墳をイメージして作った
飾りがされていたらしいんですけれども 駅舎の外に出てきましたが相当な立派さ です1939年ですよもう第2次対戦の 始まる年ですでに日中戦争中でもあるん ですがこんな立派な駅舎を何であったのか というとこれはですね書いてありますよう こそ日本国が始まりの地橿原へとあります が初代の天皇神武天皇が即位した場所が だいたいこの辺りだとされていまして そしてどこ書いてあると思うんですけど 後々これですこれも本当にここであるか だいぶあの議論の余地があるみたいなん ですが初代の天皇天皇陛下のまさにご先祖 様であります神武天皇の 御陵がこの近くにあるのだということです であそこにある立派なその駅舎からですね 駅前の道をまっすぐ来ると ここにですね小山の麓に神武天皇の岬が あるということですこれがその岬の入り口 朝紹介した映像で須田さんもおっしゃって いたと思うんですが 伊勢神宮とか橿原神宮みたいなですね天皇 その祖先そういったところにお参りにしに 行くという経信スーツの旅行であれば実施 できるということでこれがまあ一つ 奈良にやってくるための口実にもなってい たと思いますしそれからやっぱり当時の 日本国民の 価値観すごくこれに向いているところです からやっぱり伊勢神宮のような感じでこの 先は新駅だということですね 川が設けてありましてまたこのように橋が かけられています 太古の昔からこのような場所であったのか というとそれも必ずしもそうではないと 思いますが 江戸時代ぐらいからですね神武天皇の 三篠木というのを一つちゃんと儲けようと いう流れになってきたようです 宮内庁からのお達しもあります すいません僕 敬神数詞って言いましょう敬神数その旅行 であれば 許容されるということになっていたそう ですまたあと当時の日本人は多分今よりも だいぶ皇室とかへの関心とか 尊敬の意味みたいなもうより高かったん じゃないかと思いますよさっき入り口の ところで橋を一度渡ったんですがもう一度 渡ります神社のような作りになっています があそこには鳥居もありますもともとそう ですよね 神社のトップが天皇陛下なわけですから 当然 新式のお墓お墓というか三崎になってるし
またそもそも日本神話を引き継いできた その家系が後続だとされているわけです からねちょっとその戦前の家からここに 一般の人が立ち入れていたのかっていうの はちょっと僕はわからなかったんです けれどもただやっぱり戦前の修学旅行で 奈良とかに来ると古墳がいっぱいあります からここでなくてもね他の天皇の古墳にも 挨拶をしていきましょうというようなこと はかなりやっていたらしいです 今は誰もいませんねおそらくですね昔は 修学旅行生が学校単位とかでここに並んで その 委員長とか先生とかの号令に従って 大きな声を出してか静かにかわかりません がここで皆で頭を下げていったのではない かなと思います 当たり前ですが横にある宮内庁のこの 管理事務所ですら相当いい作りですもんね 国家新党の時代からここにずっとあったん でしょういつからあるんだろうなこれも 文化財レベルの貴重さだと思いますが 具体的な説明は特に書いてありません そこからですね歩いてたら いいものを見つけました 飛行機2600年期限か 期限2600年建立と書いてありますここ 国有地で公民館が真ん中に設けられてるん ですけどもさっきの紀元2600年に建立 したという石碑はこれでしたね駐婚費と 書いてありますまあ我々今もですね紀元前 とか言い方するわけですが 紀元前って言ったらばあのキリストが 生まれるよりも前という風な感じになる じゃないですか正直和暦で例えば昭和54 年は今から何年前ですかとか言われても ですねよくわからないわけなんですけれど もあの西暦だったらば投資番号ですから 分かりやすいということでねでそれが明治 時代になって日本に西暦という便利なもの が入ってきてじゃあ日本も長く続いてる キリスト教よりも歴史の長い天皇の一族が あるわけですからそれ使ってみればいいん じゃないかみたいな感じで明治になって から特に盛んだったのだと思うんですが 歴後期何年とかですねそういうことが言わ れるようになりました明治になってから 使い始めてもう終戦はそんな多分使って ないと思うんで 結局その 攻撃というのをめちゃくちゃ使った時代 って多分100年もなかったと思うんです けどその ちょうどですねその中で唯一1回だけあっ たすごいキリのいい数字後期2600年と
いうのはですねちょっと1940年まさに 戦争がこれから激しくなるという時だった のですまだ最近では西暦2000年になる 時にですねミレニアムとか言って相当 大騒ぎしたらしいじゃないですか多分あれ みたいな感じもあれを超えてたでしょうね 戦争に向かっていく中で後期2600年と いうちょうどいい節目を迎えることにも なりまして様々な式典とかですねいろいろ 石碑を建てたりとか大きな神社を作ったり とか本当にいろんなことが行われたのだ そうです国を一つにまとめあげていくため ということですね本当にいろいろなことを やったらしいんですがその中の一つにこの 畝傍御霊前駅の建設もまあ含まれていた でしょうね これが紀元2599年もともとは神武五両 前駅という名前だったらしいんですけれど も国を挙げての一大行事を前に場所を移転 してですねこんな立派な駅舎に作り替えて 恐れ多いということか神武の名前をうねり という名前に変えました今はこんな感じで 地下に入っていくようになってますけど もともとは多分ここに改札とかがあった はずですよねこの中の駅舎はどうしたん だろう ちょうど電車が来たのであともう一息移動 します着きました今日はここまでです 橿原神宮前駅です今までですね何度もここ には来ているんですがまあ相当立派ですよ ねでこの立派な光景はね昔から変わって ないですよ 変わってないねこれで今日泊まるところは ここです大和ロイヤルホテル 橿原神宮の駅前にあるところで この辺で多分一番いいホテルですよね 今日はねもうこの辺りどこもホテルが 埋まってましてそこまで混んでるとは思わ なかったまあどっかしら空いてるだろうと 思ったんですけど全部調べてもネットで わかるようなのは空いてなくて 困ったなあと思ってとりあえず予約サイト がいっぱいでもなんか電話をかけたら開い てるかもしれないと思って聞いてみたら ですねスイートルームだけ開いています 教えていただいたんでスイートルーム高い んじゃないかと思ったら 意外とお手頃価格だったので泊まらせて もらうことにしました通常宿泊料金が 12,000円なんですけど8000円の 追加料金でスイートだそうです安くない 自転車あるそれで気になるスイートルーム に入ってきたんですがすごいわ ジュニアスイートっていう感じかな スイートルームってあのリビングとそれ
からベッドルームがあるのがまあスイート ルームの定義らしいんですけれどそれは あのなんかこう一つのですね部屋にそれは 両方あるとジュニアスイートになるそう です普通のプラス8000円で2倍ぐらい の広さになりますからすごいですよね普通 も安いと思うんですけど これつけた方が良いのかな 元々2つの部屋だったのを改造したのかな と思ったんですけどそういうわけではない みたいだなもう本当にこういう作りなんだ あそこなんか空調の吹き出し口とか見ると そんな気がしますこっちの作りと向こうの 造りが 日程 いますけどちょっと違う感じがするけどな なんかトイレもこっちにはあるけれどこれ 相当大きいのかもしかしてお風呂トイレ がまだ見てないんですよなんかすごいな なんだこれ 靴脱いでるべきかな多分そうですよね こんな 初めて来たなここがあの洗面所なんです けども多分こっちがお風呂でしょ あとすぐ広いお風呂ですねあのなんか マンションみたいですごい高級マンショ ンってなんかこんな感じのお風呂の イメージですけどこっちはトイレか そうですね別々になってるんだ特にこれ までついてるお風呂シャワー室って あんまりないですからね 充実してる感じですもうこの辺り全体が ですね宿泊が全然ホテルがもう残ってなく てあと大和八木に異質あるらしいんです けどそれがね 38000円とかだったかな1人泊まれる それよりこっちのが安いんですよねあとは 空気清浄機もありますわ つけるとねなんか 関西弁をしゃべる空気清浄機だイオン出 てるよって行きました 部屋もこんだけ充実してるんですけれども さらに大浴場もあるということですまあ それは動画ちょっと撮るとかいうことはし ないですけれどもすごいですねほんと なんかこんな高級な感じのとこへ来る つもりはなかったんですけどねどちらかと いうと昔から 修学旅行の人とか受け入れてそうなところ を選んで泊まらせてもらおうと思ったん ですちょっともうね今回は空きがなさすぎ ていろんなところがその後ですね夕飯も 食べてきましたけどここレストラン3つ あってですねコロナのこの時期ですが ホテルが満室ということもありまして全部
レストランもやっていますでそこでですね こんなあの仲介焼きそばみたいな食べたん ですけど 焼きそばどこというぐらいに具がすごく 充実していてかなり量がありました ちなみにあの結構いいところだったね 焼きそばが1,700円ぐらいの値段だっ たんですけども値段には見合っていたと 思いますただいまですねそれ食べてきまし て9時57分ですなんか今回その冒頭でも 紹介しましたこの 論文に掲載されていたですね工程表にこの しおりの内容によりますとこれ1日目の 消灯は夜10時で 翌朝の起床がですね 5時には起きてろっていう感じなのかな それ早いんですよねサンライズ 号と同じアラームですね ということでもう寝ときましょう明日の朝 も早いですから僕も早くします昔の修学 旅行ぽく行く先がお寺とかだから早朝から やってるっていうのとあとせっかくの 一世一代ぐらいの旅行なのでなるべく見 られるものたくさん見ようということで 工程もすごい朝から早くですね活動的なん だろうと思いますということでおやすみ なさいはいそして起きましたおはよう ございますね4時31分です早く日本に 早く冷めちゃいましたですね朝3時半 ぐらいには起きてたんじゃないかな そろそろ5時半というところで繰り出そう と思うんですけれどもこれは橿原神宮前駅 なんですが 昨日ここのホームに着いたんですねこれが 立派な 橿原神宮前の駅舎 例によって紀元2600円を記念して作っ たわけですねでここから歩いて行くと 向こうの山のところに橿原神宮があります 恐れ多くも高いところから見下ろしており ますがそれでも中の方は見えませんね深い 山になっています 紀元2600年となる 1940年には1000万人もここから 橿原神宮に1年間で行ったと言いますよ Wikipediaにそう書いてあったん ですけど本当に1000万人も来たんです かね日の丸を掲げるポールが立ってますわ その横にあるわなんか 令和22年は紀元2700年を迎えます これはあと20年この看板出し続けるのか な 期限2700年もなんかやるんでしょうか 橿原神宮 昨日行ったうねりの岬の道もそうです
けれど 1940年にでかい式典をやるということ でこの辺りはみんな整然と整備し直した そうです道一本ですねこれ道が三つまたに 分かれてるんですけどこっちとそれから こっちから向こうに行く人かな真ん中を あれですかあんまなんか歩かない方がいい のかなこれ神の道みたいな決まってるのか なでもまあ神様がねあれに駅を使って電車 でここが来るということもないでしょう から別に今あんま関係ない気がしますが 橿原神宮の神様というのは誰なのかと言い ますと大体の場合は日本神話の本当もう 神々されてる人とする神様を祀るらしいん ですけれどもここはですね神武天皇を祀っ ているそうです ものすごく歴史のあるところというわけで はなくてここも明治になってから作った いわば日本の国家新党体制を強めるために 作ったものなわけですよねだからまあ伊勢 神宮よりも何点ですかねよりこういう言い 方でいいのかわからないですけど人工的な 印象は受けますまあもちろん全部ね人工的 なものであるしあの神話と天皇の歴史的な DNAみたいな感じでこうほとんど表裏 一体ですから別に新しいか古いかっていう のはそんな大きな問題じゃないと思います が お水が流れていまして橋を渡ればよりこれ から先は神聖な場所となるでしょう 悪いんでちょっと一旦出てこようと思い ます出てきたなんか蛇がいますね自然豊か なところだ こんな今日大きな山があればそうですよね ちなみにもともとこの神社ができる前は何 だったかというとですねここは普通に山と いうかその人が住んでいるような場所でも あったらしいですその人たちにちょっと どいてもらってこの神社を作ったそうです ねまた大層立派な建物があります橿原神宮 町 1940年の頃に作ったやつでしょうね 多分この建物相当大きくまた横に明らかに すごい建物がありますがこれはねなんか 貴賓館みたいな名前だったと思いますが その 昭和15年1940年の 後期2600年に合わせてですね大勢出張 とかですごい国の偉い人とかそれから 皇族方がお越しになるからその休憩施設と か宿泊施設のような場所として作った らしいですだいたいそういうやんごとなき 方が来られるところの 玄関の屋根は相当立派ですよね 戦前の
国家新党体制の最も 盛んだった時頂点の時代のですね作りが まだここに残されています すごいですよね今も多分そういう風な目的 で使ってるんじゃないですか天皇陛下とか がお越しになったら今日は入るんじゃない でしょうかやっぱすごい特徴的だなと思う のは建物の前が広いことですねあそこが 車寄せにねなるんだと思うんですけど車が もう一般的になってきた時代に作ったもの だからでしょうかね 駐車場が広いです 橿原神宮すごい親切でこのね見どころの 解説があるんですけど全部興味深いです 境内には奈良の名物ため息もありまして ちょうど朝のお勤めかわかりませんが カラスが忙しそうにしています じゃあ改めて 新駅の中に戻りましょうここで改めて服装 を正しそしてこの石段を登った先 犬も入れてはいけないし乗り物も入っては いけないようなより新鮮な度合いが高い エリアにまた戻ろうと思います この門の内側のところに配置があるわけ ですけれどもこの右側に紀元2682年と 書いてありますつまり 昭和15年から82年経ったわけですね この先はここでも特に神聖な場所となり ますから 伊勢神宮でもそうしましたようにまた きっと昔の人たちも無言でただ粛々と参拝 をしてきたようにですね私もここから先は 今回も撮影を控えたいと思いますその南 新門でいいんですよね読み方はそれは入っ た後ですね 我々一般の人間はこの 外拝拝殿というのかなここからですね 奥の方へ向けて祈るということになるわけ ですが一番奥のところに一般の人は もちろん立ち入れない本殿というのがあり ましてこれはですね 重要文化財に指定されていますこれ相当 貴重な建物で 江戸時代に作られた元々は京都御所の建物 だったのだと書いてありますまたその他の 施設は概ねこのような巨大なもので特に 紀元2600年その大祭の時に相当数の人 がやってきてそれに対応できるようにと いうこともあったんでしょうとても大きな ものになっています あんまり行列しないように並べたんじゃ ないですかねあの今の時代もですね国土 交通省からの要請によりまして 鉄道事業者も心にもないアナウンスをして いてですね
外出を自粛しとは言ってませんが テレワークを推進してとかですね テレワークなんかしないで本当は新幹線と か特急とか乗って出張してくださいよ 鉄道会社を持ってるはずなんですが心にも ないような放送してますけれども戦争中も ですね 鉄道は平気であるから 旅行はやめましょう自粛しましょうみたい なことを時刻表に書くというような不条理 なこともねさせられていたらしいんです けれども 橿原神宮とか伊勢神宮に来ることに関して は例外で むしろですねお得な割引切符みたいなの 戦争中も発売していたし団体運賃も割引に なったそうです ちなみにその初代の天皇はですね宮崎から やってきてで新宮和歌山県に到着したら ですねこの 八咫烏に案内をされてここにやってきて ですねでここにまさに最初の 皇居を築いたよそして天皇になったという ことなんですですけどもその最初の即位を 記念する日が毎年2月11日の建国記念の 日となっています今本当にそういう扱いか わかんないですけど戦前はですね本当に 紀元節と言ってそういう祝日だったのです ちょっとここにですね日の丸が出ています が 毎年2月11日にここに来ると日の丸を 掲げたねあの右翼団体の人がすごい いっぱい来てて壮観な眺めですよでこんな 感じの日の丸をね右翼団体の人がくれるん ですよ僕ももう4年ぐらい前ですけどその 右翼団体の方から日の丸いただいてですね で見に行ったことあるんですがあのその 団体の皆さんが足並みを揃えてですねあの 橿原神宮の大きな広いところに行って天皇 陛下万歳すごい大きな声あげてですね万歳 三唱するという光景がその2月11日に 来ると見られますなかなか 壮観ですねさてそして午前6時40分 橿原神宮前駅に戻ってきましてそしてこれ でですねあえて言うならばならでのノルマ もクリアしたということになります 今回は決して物見さんの旅行ではなく天皇 陛下そのご先祖様への 挨拶を立てまくるそれが目的の旅行なん ですがそれは終わったのでせっかく奈良に 来たんだからじゃあついでに奈良の都も見 ていきたいなということぐらいは許して もらえるという理屈だってなわけですね 今だって私たちは別に誰に命令するわけで もなく自分の楽しみとして
伊勢神宮への参拝というのは普通にやって いるわけですからねそのことと同じかなと 思います この車両はあれですね近鉄の新しい特急だ もうデビューしてからなんだかんだ10年 は経つと思いますがACE車両ですそんな にね 20分ぐらいしか乗らないので今からの 移動別に特急じゃなくてもいいかなと思っ たんですけどせっかくいるから乗ることに しました特急料金は500円です 那覇の通勤ラッシュの時間帯かなと思った んで 特急の方がより落ち着けるんじゃない でしょうか あーでも今日休みだから通勤ラッシュとか ないか 急行にすりゃ良かったよ横見ても始発とは いえ全然乗ってないですもんねまあいいや 遊びですからね まずお手を清潔に 近鉄特急といえばたっぷり詰まってますね おしぼりです近鉄の名物 昔は特急に乗ったらですね乗った瞬間に その車内の 求人の係の方が持ってきてくれたらしい です電車はそろそろ昨日乗り換えで一度 立ち寄った大和八木駅に着きますこの電車 ただ駅に止まるだけなんですけれども ちょっと見所があるので まずですねこの大和八木駅には駅がある2 つあるんですごい変わったところなんです けどここが山と八木駅の西口方面 八木西口ででこのここからですね左手に 分かれていく線路があるんですがこれ普段 電車が走ることはないんですけれども 1940年のお客さんがものすごく増える 時期に大阪から橿原神宮に直行できるよう に線路を引いてそれが今でも残っています 走ろうと思えば走らせられるらしいです いいクライミングもかなり快適ですよく 作られてますよ前後の感覚も新幹線並みに 広いですしねそして こんなまでついています 次は 大和西大寺 西大寺です [音楽] [音楽] まもなく大和西大寺 西大寺に到着します西大寺駅に着きました ここはですね奈良の都の西側の橋にあたり ます 奈良の東大寺というお寺が有名ですけども 東大寺に対する西大寺っていうのは昔あっ
たんでしょうねということでちょっと Wikipediaとか見てみたんです けれども 元々すごく大きなお寺として新しいんです が一時期衰退してまた復活して今に至る らしいですここは奈良県におけるとても 大切な分岐点の駅となっていまして 京都大阪方面から来た線路がここから 集まりそして 橿原 奈良方面に分かれていくというところです だから駅も相当立派 奈良の交通ターミナルとしてもちろん栄え ているところで今日はですね海の日祝日 ですからバスにもこのように日の丸が挙げ られています奈良交通はそうするんですね で西大寺といえばですねちょうど1週間と 少し前になりますが 阿部さんがあそこで打たれて亡くなって しまったその現場ともなりました 今日海の日がですね最後の 献花をできる日ということになってまして 明日からこの献花台はなくなりますまだ 早朝ですからあまり人はいませんが昨日は 相当の長蛇の列になっていたそうで今日も これからそうなるでしょう 阿部さんは最後あそこで演説をしている ところですねこの右側の方から あそこに 品川工事現場とかがありますけれどもあの 方角から 打たれて亡くなってしまったそうです 警備がしやすいからということで ここで 演説されてたわけですね その現場のところに小銭がたくさん置いて ありますここ置くのはちょっと僕はどう いうことなのかわからないですけどこの 場所は今再開発整備をしている最中でして まさに工事の途中です 現場がここだったわけですけれども 将来的にここに石碑とかを建設するという こともありえると思いますしそういうこと があってもいいんじゃないかと思うんです が現場があそこで将来交差点の真ん中に なる予定ですから石碑などを建設すること はできないでしょうねまたその現場を忍び このように 安倍首相に思いを馳せることもですねこの 景色からではもうそう遠くないうちにでき なくなるはずですこの場所の雰囲気が全体 的な構造が変わりますからまあ残念です けどなくなってしまうと僕は人はそこで 終わりなのかなと思うので特に僕としては 県下とかはするつもりはないんですがただ
やっぱりこう来て思うのがねああいう場所 に行くんだったらこれちゃんとした格好 するべきだなっていうのは思いますし テレビの人とかね仕事なんて必要だろうと 思うんですけどあんまり近くでなんか ズームしたりとかねまじまじと撮影するっ ていう風な気分にはなれないですよね 阿部さんというのはもう極めて 政治的な人物だったわけですけど別になん か私たちは政治権力に対してね穴を手向け なさいとか言われてるわけでもなければ 安倍さんの 家をするような場所ではちゃんとした行い をしなさいとか全く強制されてません けれどもまあ自然にそういう気持ちになっ てくるもんじゃないですか多分戦前の伊勢 神宮とか橿原神宮の 参拝とかの時もですね今でもそうです けれどもみんなそういう気持ちだったんだ と思いますよもちろん政府とかね学校とか からちゃんとしなさいとかいうことも言わ れてはいただろうと思うんですがしかし 岐阜の念とか経緯とかですねそういった ものは各々が自然に持っているものでも あったと思いますまたこの西大寺駅は こんな悲惨な事件があった場所というだけ ではなくてですねこれすごい面白いところ でありまして線路がこのように非常に複雑 に絡み合った 変わった光景が楽しめる場所です 右手昔から方面左手奈良方面とあとは車両 基地がある関係で日本でもここだけなん じゃないですかねものすごく複雑に 絡み合った線路の 網の目のような景色が見られます また左手はこのように今何もない土地が ありまして地下は浅く掘っているのが わかりますがこれはね遺跡の発掘をして いるはずです これ産業廃棄物云々かこの辺りはもう奈良 の都の 橋の方に入ってきてると思います だから工事をするのも大変でしょうね 様々な方面からやってくる線路分が 列車の便利な乗り換えも実現していますし 近鉄ならではの直通運転もできるように なっています2 階建て特急ビスタカーですね昨日島風に 乗れなかったらこれに乗ってこようと思っ ていました が4両編成でまいります 危険ですから 黄色の点字ブロックまでお下がりください 奈良に着きました立派な地下の駅です昔は 路面電車みたいな感じで地上そのまま走っ
ていたらしいです 綺麗な景色がありますこれ奈良の景色では ありません 京都にお出かけしましょう近鉄からの メッセージかな これ南北逆ですけれども 奈良の街はこんな感じになっていますここ がですねJR奈良駅昔は大体修学旅行は 国鉄線で来ていたのでここから奈良の街中 へ繰り出していたようですが東大寺とかが あるこの辺りと比べると少し隔たりがあり ますで近鉄駅の方がですねそこには近い ようになっていますこのjr駅と近鉄駅の 間のところに開花天皇と昔の天皇の岬 古墳がありましてこれは本物のようです 昨日から時折紹介している戦前の修学旅行 の一つの例の工程なんですが 奈良にね11時ぐらいに到着している3 時間ほど観光したようですその最初にここ 見てください開花天皇陵と書いてありまし てやっぱここね三崎にまず行ってるらしい んですねでこれは何で言ってるかっていう と多分近くてあるからせっかくあるんだ から 寄っとくかみたいなテンションだったん だろうと思います要はあそこにJRの駅が あって昔の修学旅行生たちもこの道をね 歩いて行ったんだと思うんですよでこれを 進むと向こうに奈良公園あるわけじゃない ですか その通る道沿いに 天皇陛下のご先祖様の岬があるというのに ご挨拶申し上げるとは何事だみたいな多分 そういう価値観があったでしょうそんな昔 のいたかどうか確認も取れてないマイナー 天皇のお墓みたいなところばっか見ても しょうがないじゃないかみたいなねいや もちろんね大切な昔からの 文化を伝えてくれる場所なんですけれども それはよくわかってるんですがずっとこれ をずっと戦時中続けてたらほんとうんざり してる人もいたと思いますよしかしそれ さえ終わればあとは本当にお楽しみです 子供たちにとってもね修学旅行の定番奈良 公園の鹿がこの先におりますで改めてここ でですねこの修学旅行の昔の工程を見ると 開貨天皇の身捧げを過ぎたあとサルサワ 一覧する写真を撮って鹿を見てお昼ご飯を 食べて 春日大社手向き山八幡平は国際山にも行っ て東大寺のあたりもお店さらに 興福寺これは何て言うの何円堂ってのある のかなで奈良駅前に戻るのがですねわずか やっぱ3時間ですよね 今その昔の修学旅行にも組み込まれていた
猿沢池まで来ていますがJRの奈良駅から ここまで往復するのにも30分ぐらい かかるんですよお昼ご飯を 急いで食べて30分で終わらせるとしても この興福寺の石段下で写真撮影をする時間 なども考えると2時間 徒歩だと思うんで2時間で今の工程を全部 行かなきゃいけないそんなできんのかなと いうことで今からですね2時間で奈良の 観光ができるのかやってみようと思います [音楽] [音楽] こうやって脇芽も振らずにずっと歩き続け てると修学旅行本当に思い出しますね ほんとクソな旅行列車よ気になるものが あってもそれに目を向けたりとかねあの 看板は何て書いてあるのかなとか言って 読む時間ももらえず前の人に続いて歩か なければならないなんでそんなものに対し て金払わなきゃいけないから収穫旅行も これも勉強ですからとか先生は言ってます けどならじゃあ普通教育なんだったら金 出せよって話で普通教育ではないないと 思うんですけどねまあ楽しい思い出も もちろんありましたけど行かずに済むん だったらやっぱ行かないに越したことは ないかなって今でも思いますねまあ僕が 個人的に思うだけですけど僕は修学旅行 って大嫌いですけどまあしかし僕の学校も 結構自由をね私たち生徒に与えてくれよう としてくれていたし 昔から 修学旅行を大切な思い出として残している 人もたくさんいると思うのであんなもん なくしちまえとは思わないですけどね いやまだ山道続いてますよね大丈夫か回り きれるのかな 平安時代の終わりに作られた立派な回廊が ありまして 重要文化財なんだそうです中にですねこの 内側のところ回れるような場所もありまし て500円お支払いすれば今は行けるん ですけれどもおそらくなんですが戦前は ここは入れなかったんじゃないかな今ここ 観光客がね入ってみんな目の前を歩いてる んですがですからここは行きません行か ない分の時間を見ていかないと多分 間に合わない 続いて本日は9時35分から4時歯科寄せ がありますあれですねもうすでに寄って ますが 修学旅行生たちもこれを見たらしいです あの楽器を持っている方がいらっしゃい ますけどもあの方がですね西洋楽器の ホルンを吹いてそうすると鹿が集まってき
て 鹿たちはどんぐりをもらえるのだそうです [音楽] [音楽] すごいな 3分ぐらいかかりましたよ この速さで走ってきて3分かかるような 遠いところから来てるんですね [音楽] 走るパーティーとあまりそうじゃないのが いるみたいですけどまだまだ [音楽] すごいね 群れで情報も多分共有されるでしょうから ね 誰か1頭が覚えるとだんだんそれが他の鹿 にも伝わってこんな風になったんじゃない かと思いますがどうでしょう [音楽] まだ [音楽] 遅いのはあんな奥にまだまだいますからね 道草食いながら 向こうから連れてきてんのかな そういう感じでもないな 勝手に来てるみたいですね [音楽] このでかいオスが最後みたいな それ集まってきた後はどんぐりを食わして もらうわけですね 僕ちょっと奈良公園で過去に好き勝手 やらかしまくってるんでこれを実施してる 奈良のしか愛護会の皆さんからどう思われ てるかちょっと自信がないんですけれども そこで鹿せんべい持ってるわ ゆっくり見ていきたいところですが時間が なさすぎるのですぐさま次は東大寺に 向かいますその手前右手に若草山が見え ます大和三山の一ついい眺め 上から見ればもっと素晴らしいですが歩い て登ると片道1時間かかりますからさすが に行くのは無理でしょう 校庭では若草山に訪れることになっている のですがおそらくですねこれは下から 眺めるという意味だと思います 時間ないから立ち止まらずに一周しよう 大仏もすごいですけど 大仏を入れてるこの建物もすごいですよね 大仏殿こんなに大きな仏教建築なかなか ないそうですよ 仏教建築じゃない木造建築ね 東大寺の名物は大仏だけではなく2月草と かそういう建物もありますまた東大寺の 敷地のすぐ大人というかほぼ一体化して たぬき山八幡宮山神社がありますがこれは
ですねもともとは神仏習合だったので 東大寺と一体していたのは明治時代に政府 の制作によって神社であるとはっきりと 区分けさせられたものであります 元々のお互いにバランスよく組み合ってい たんですけれども 神道は日本のもので 仏教というのは海外からやってきたもので あるから神道の方を日本は大切にするべき なんだ天皇陛下の 源でもあるわけだしみたいな感じですかね 大仏のところからこうちょっと来てるわけ ですけどたむ系も八幡宮ここでこっちが2 月堂とか3月堂とかですから実質もほぼ 一緒なんですよね我々が観光する時の感覚 としては 収穫力の皇帝にも乗っていた大きな 鐘を見てみましょう戦争中の金属回収から も逃れて今でも昔の姿をとどめてくれてい ます きつい 主演は山ですからね明るい時間に来たの 初めてだなここが東大寺の2月堂です すごい立派ですよそしてここで目立つのは お金を納めていった人たちのこの建てた 石碑ですけれどもたまにですねすごい古い やつがあります 期限2600年記念と書いてありますね 200円とか300円とか今から考えると 明らかに小さい金額のやつがだいたい全部 そうでしょう ほんと2600年の頃は すごかったらしいですよ奈良井の観光客数 が ちょうどこれより山になるというような 場所に立地している2月堂は ここから奈良盆地を見渡せるような場所に なっています 大都会なら そしてここでちょうど時間切れになりまし たもうですね出発から2時間経ってしまい ました早いですよこの猿沢駅を出発して ですね大急ぎで春日大社の賛同を上がり そして神社を見た後今度はここで時間に 合わせて視界を見てそれからすぐに東大寺 に移動して東大寺のまた諸々を見てですね たむけ山に登ってきているところでこれで も時間切れですまあそんなもんですよね なら観光してたらしかし本当はまだですね ここからあと2km離れたこのサルサワ駅 のところまで戻ってしかもさらに興福寺の 見学とかですねこの何円堂とかこの辺も見 てそれでようやく2時間ですどう考えても 時間が足りないと思うんですけど 昔の小学生たちはもっと超スピードで軍隊
のように速やかに移動していたのかなバス とかを使ったんですかね一応ねバスあった らしいんですけどこれがね奈良交通さんの 方で保管されている1940年頃の 奈良市内のバスの姿で確かになんか女学生 とかですね学生の人も乗ってはいるようん ですが韓国バスってのあったけどバスも 当時多分まだやり始めたばっかりです そんなにね台数もたくさんないしねでき なかったと思うんですよね団体旅行とか いわゆるバス旅行ってやるようになったの は昭和中頃になってからですもんね 昔の小学生中学生がどうやって回っていた のかいやほんと信じられないことですよ えっとねここにですね 司会をせ昼食っていう風に書いてあるんで 昼食の予定とかまで全部決まってるって事 で多分自由行動みたいなものなかったと 思うんですよね本当に全部言ったん でしょうね多分僕だったらあと1時間は もらわないと回りきれないですし普通の 小学生が回るんだったらあと3時間はない とやっぱりこの工程を全部歩いて回る なんて無茶だと思うんですけどなんで そんな無茶苦茶な工程踏んでたのかやっぱ 多分ねあの行かなきゃいけないところが あるじゃないですかその三崎にお参りし なきゃいけないとかどうしても橿原神宮は 外すわけにはいかないみたいなとあったと 思うのでその残された時間の中で 寄り道としてなるべく許容される時間内で 入れられる限りの予定を詰め込みたいって のがあったんだと思いますよせめて多感な 子供時代に一つでも多く見せてあげよう みたいな考えだったのではないでしょうか この 過酷な道中を歩いて全部回ったんだとし たら 尊敬しますわもみじの錦神のまにまにで 知られる手向山八幡宮 奥の方にも色々ありますが一般の人は入る ことはできません 春日大社なら今は入れるんですよね 500円納めすればこの手向山八幡宮にも 宝物庫というのがありましてここにあるん ですがこれ国宝に指定されているそうです 見覚えのある作りですよね学校で教わった 校倉造り 高床式になっています 奈良時代の作りだそうです有名な正倉院も できれば見ていきたいんですが時間がなさ すぎるので今回は行きませんもう疲れ切っ てしまったんでバスで戻ろうと思います 乗れるならね大勢います乗れましたですぐ 着いたんですけどもうクタクタですよ
レストランでも入って休憩したいがこの後 の工程が目白押しだから無理です次の目的 地は京都 ホームに来ると目がチカチカします予定し ていた列車の出発まであと5分ですね全て がギリギリだ 柿の葉寿司を買ってきました 忙しすぎるよ乗るのはこれですまあ期待さ れた方もいらしたんじゃないかと思うん ですが近鉄電車の再建デビューした新しい 特急ですね青鬼をしいというのがありまし て 奈良と京都大阪の間で走っていますしま かぜひのとりあをによしが今お客さんから よく注目されていると思います全部の座席 がこんな感じの2人掛け仕様になってい まして一人用の席というのはないんです けれどもしかし一人でですね2人分払うと 言いますかあの子供の分の特急料金を追加 で払えば二人席に1人でも乗らせてもらう 結構ね優しい仕様です洗面台もすごいいい もの使ってますよね これね12時10分発の 京都駅特急 青森発車です 通過いたします左側には3号右側 にはご覧ください ありがとうございました 想像以上に沿線の人たちが注目度合いが すごくてですねなんか駅にも普通の人が いっぱい写真見に撮りに来てる見に来たり してます一瞬で寿司は食べてしまいました がもう疲れ切ってますからもっと食べて おかないとダメですね売店でなんか物を 売ってると放送していますお 求めのお客様はお気軽に2号車販売 カウンターまでお越しくださいませ ちょっと値段するんですけどねアイス コーヒーとバターサンドのセットで 1000円でしたでも飲み物とセットとは いえこの大きさで1000円というのは どんなのかなと思ってたんですけど金粉と か塗ったりとかですねだいぶ高価な感じ ですわ 値段には見合ってるかな 足実際美味しいですよお皿に乗せて コーヒーもねグラスに入れて出したらね 1500円は取れる味してますねこれ なんか 既製品みたいな雰囲気なんでまあ既製品 じゃ既製品ですけどちょっとなんかそこが ね なんか別に悪く言うわけじゃないですけど そこちょっともったいないのかなって気が するんですが味はいいわ
京都のこの列車の一つ手前の停車駅近鉄 丹波橋駅で降りました 布で一旦改札を出てですねずっと出られた な出て またすぐ入ります 遊びで京都に行くなんて 戦争中には許されないでしょうじゃあ何の ために京都に行くのかと言いますともう ここは京都府に入っているんですが目的地 は1個手前のここです 桃山御陵前駅戻るために1回改札を出たん ですね運賃払い直さないといけないです から 一つお隣の桃山御陵前駅に着きました普通 電車で1駅を隣の桃山御陵前駅は明治天皇 のお墓のあるところです いやここに戦前は特にお墓参りに来てたん ですね 特急電車今は通過しますがもし今でも戦争 前の状態だったら 停車していたかもしれませんよ ちょうど特急が行き違いますわ 両方ビスタカーだしかも2階建て この路線も橿原神宮の参拝授業を見込んで 作ったやつらしいですね一部分は TOTO戦前は需要があったらそうです ここ4年ぐらい前に来たことあったな夜に ここ通った時にここにある神社の入り口の 灯篭が公道の方まで出っ張ってるんでね すごいなあと思ってこんな感じでビデオ カメラを回してたらですねいきなり後ろ から肩を叩かれて目つきのやばいお兄さん にですね本当にやばい人だったの覚えて ますけども 警察行きますかみたいないきなり声かけ られて何事だと思ったんですけど僕はここ で一人でブツブツ喋りながら動画撮ってる のその人に見つかったもんだから僕が不審 人物として通報するぞみたいな風にですね なんかいきなり言われて逆にこっちが怖い から是非交番にご投稿を願いたいと言って 一緒にですね交番に行きました 普段からなるべく人目につかないようにし てこうやって撮ってるんでそんな問題に なることはないんですけどでも5年ぐらい やっててマジでやばそうな人に絡まれたな その1回だけでしたねお巡りさんの中その 人が動画消してくださいっていう風に交番 に僕に言ってね消してくれると助かるん ですけどみたいな感じで言って 結局なんかその時は動画消したの覚えて ますね そんなことしてその人が何で喜んだのか謎 ですけど本当は近鉄の駅から5分ぐらい 進んだところにあるこのJR桃山駅の方が
もっと三篠木には近いんですけどね もう奈良市街のアクセスは断然近鉄がいい のでまあどっちもどっちとかな 宮古島快速ですね これは通過なんだ 近鉄は急行が止まります その桃山駅の山側駅舎とは反対側ですね 街とは反対の側に来てるんですけれども なんかですねこう意味はありげなこんな柵 があったりとかですね でかいカナブンが飛んできてるなあとは こんなJRの 謎の施設が何かあるんですけれども現在地 ですねこんな感じの青い マークのついてるところなんですがこれが 戦後すぐぐらいどうだったかというと こんな感じでしてなんかねそこら辺住宅地 が多分なくて全部広場だったんですよね そしてこの辺り全体がですねもう車寄せれ あったりとかまあお土産屋さんであったり とかそういうのはものすごく 並んでいる賑わった場所で 桃山 園の参拝を玄関となっていたらしいんです が今はもうそういう感じではありません今 の皆さんにとって天皇陛下っていうと誰を 思い浮かべません僕はあの 秋人さんって言っていいのかなあの今の 上皇陛下がやっぱ天皇陛下のイメージなん ですけど視聴者の方の年代だと多分昭和 天皇を思い浮かべる方もやっぱまだまだ 多いんじゃないかと思いますまあなんか僕 としてもね昭和天皇の時代は知らないです けれどもあら人が見るとされていたという 2台前の天皇陛下のなんか色々とまあ すごかったんだろうなっていう風な感じだ ね思うわけですが明治天皇がですね近代的 な神格化が始まって最初の天皇でバチバチ に本当に尊敬を集めまくっていた実際 なんか素晴らしい人だったって話は伝わっ てるわけですがだからもうここも相当の人 が来たんだそうですよいやーでもすごい ところですけど 全然人がいませんねちょっとありますけど ね 石垣がありますね 宮内庁から教えてくれてますが 伏見城に使われていたと思われる石材と 書いてありましてカットした時の跡なども ありますが 元々ここはですね 豊臣秀吉が政治の拠点として作ろうと実際 作って活動していた伏見城というのがあっ た場所でしたその一角にこれも作っている んだそうです明治天皇の遺言で京都にお墓
を作ることになったんですが 京都の街中にお墓を作れる場所はないから ねちょっと離れたお城の後のところに土地 を用意したんでしょうやっと 奥まで行きました小学生の子供たちは死後 も禁止で皆足並みを揃えてザッツァと奈良 の過酷な工程をこなした後ここまで来たり してたの大したもんだ 例によって偉い人を迎え入れるのであろう 車寄せ付きの 休憩室みたいなのがあります すごいこれはすごいわ 古墳の規模はもうなんか普通じゃないです もんねわかりますか めちゃくちゃしっかり土を持っているし しかもその様子がわかるように周りもよく 手入れされています 白い土地ですね確かになんかこれみんなで 整列できそうな場所がありますけどここに みんながおそらく並んでですね明治天皇へ 最敬礼して行ったんだろうと思いますで もちろんと言うべきなんでしょうが明治 天皇のお墓のところが一番土地が高くなっ ていてそこの横にですねだいぶ一気に土地 が下ったところに見えてきましたここです ねここが正絹交代号明治天皇のですね要は 奥さん 皇后陛下のお墓だそうですとはいえ 皇太后陛下のお墓も相当ですけどね 昔は参拝客が 絶えなかったんでしょうここに交代後のお 墓があってこの高いところですね天皇のお 墓があるわけなんですけどちょっと場所が あの平行とはいえだいぶ離れてると 来て上皇陛下のお墓はこんな風にするそう ですよその土地の中で言ってる動画を出し てねYouTubeにアップロードできて しまうのはまさに今の時代という感じがし ていいですわ 戦前のYouTubeでそんな生きてる 皇族のお墓がどうこうという話してたら 多分一発で大炎上だと思いますからね 明治天皇のお墓のところから続く階段 めちゃめちゃ長いですよ こんなにある 怖いぐらい 見たことないっすよこんな景色 [拍手] 戦前日本を一つにまとめ上げるための中心 として天皇をいかに権威づかせるかこう いうのいろいろやってたんですね ちなみにここにですね古墳が築かれたのが 1912年明治天皇がなくなった年のこと だそうなので今から110年前ぐらいに こんな感じのが作られ始めたのだそうです
アラームがまもなく2時ですねともかく この階段は本当にすごいんで 京都観光の一部に組み込んでも全然いいと 思いますよこれを見に来るために 一応参考までお伝えしておくと駅からこの 西参道をまっすぐ上りながら上がってきて 着いたんですけれどもでその後 皇后陛下のところも行ってまた戻ってきた んですが 階段はこっちですね帰りはこうやって帰り ます そして帰り道の途中にまた神社があります この神社は乃木神社ですこれもセットで 寄っていくのが当然だったそうです 乃木マリスケという人はですね明治時代の 軍人でありましてすぐ大変だったそうなん ですけれどもあの旅順という日露戦争の 激戦地で戦争をおよそ1年間にわたって 率いましてそれで勝利を収めたということ で日本人から英雄として尊敬されていた そうです明治45年に明治天皇が崩御され てその後体操の例というのがしばらくして から行われたんですが葬儀が行われたん ですがそれを見届けた乃木将軍は自分は 明治天皇に仕えてきたのだということで 嫁さんと一緒にですねあと追って 殉死したのだそうです中はですねちょっと 撮影したらまずそうなので 撮影しなかったんですけど入り口に なかなかいい感じの看板が書いてありまし て 乃木大将は明治国家建設の潮流にあって拳 のごとき質実剛健その後ちょっと飛ばし ますがその最後は明治天皇に今日見いだし 静子夫人と共に衝な殉死をかけられここ からですね天皇の忠誠には1個の命にも 勝る尊い価値があるということを見守った ように示されました当神社では乃木大将が 体現された明治の精神と後に偉業を国民に 伝えて明治の世の終焉とともに引きした死 が 功を凌駕せんとする 兵法を一新し同義国家回復の一助となり うるに違いもないものと確信しています つまりあの乃木神社のお考えとしては日本 は今同義国家ではないから昔の日本のよう な道義的な国家に戻すために何か力になり たいっていうふうなことが入り口のところ に書いてあったわけですあの神社の中に 入っていったらですね乃木将軍の昔の家が あってなんかこんなちっちゃい家でで伸び しろ君はあまり強い子供ではなく弱い子供 だったんだけれどもでも頑張って日本の国 を 救うような英雄になりました皆さんも今
どうか分かりませんが頑張ればこんな風に なれるかもよみたいなとかですねまさに 戦争中の修学旅行に行き先みたいな雰囲気 の場所でねそれが良かったです 別に我々も天皇陛下のもとにメッシュの 方向をいたしましょうそういう話じゃない んですけれども戦前のこういう価値観って もう戦後否定されまくって今ほとんど公に 披露されることはないじゃないですか配線 を機にめちゃくちゃ 否定され続けてきたその古い価値観がです ねなんか直に生きているその場所を見る ことができたのは結構興味深かったですね 僕は厳しすぎてそんなのはついていけない ですけど私たちは自分を大切にしましょう とかね天皇陛下のために強いんじゃなくて まずは自分が大切な世の中に行きましょう ねという風なことでずっと教育されて私も それがいいと思って生きてるんですけど 乃木神社の入り口にはそんなのはダメだっ ていうのなんか割とガチで書いてありまし たからね まあそれも程度の話でね例えばここに トイレがありますけどトイレをみんなの ために後の人のためにきれいに使い ましょうというのと国のために命も顧みず に戦いましょう」っていうのは本質的には 同じようなものなんじゃないだった気が するその場合がどの程度かっていうのが 違うと思いますがでも命はトイレと違って やり直しが効かないんでね やっぱちょっと戦前のやり方は粗末に扱い すぎたと思いますよ 当たり前っちゃ当たり前なのかな 京都に行くんだったらば明治天皇にご挨拶 しなきゃというのありますそれは終わった のである程度京都観光の待機名分も手に 入れたでしょ近鉄の 急行電車って久々に乗りましたけどそう 混んでますよ 座るところはないわ 竹田駅で前を走っていた地下鉄直通の電車 に追いつきました僕モタモタしていて結局 ノイズ乗り遅れてしまったんですけれども 次で行けばいいです 10年前の収穫旅行でも思い出しましたよ この武田で乗り換えたなここ地下鉄の終点 になるんで一瞬で次の電車が来ました こっちのがスイスでいいわ冷房も効いてる 地下鉄線に直通し 丸太町駅で降りましたここはですね三条と 四条の間もう京都のど真ん中というところ ですねいきなり 京都のど真ん中に入って来られるのは確か に便利この右手にある緑の土地は
京都御所です けど 今予約しなくて見られるらしいですね10 年ぐらい前の話ですかね予約制だったのは お巡りさんがたくさん歩 皇宮警察の方ですね 宮内庁の職員さんですね所々お見かけし ますこの 義州門になるもんは自動車が通行できる ぐらいの大きさですから実際に天皇陛下と かが今ここにお越しになる時にここに車を 持ってきて止めるとかなんじゃないですか ね車寄せみたいのがありますけどあ本当に お車寄せだったしかしまだヘンリー フォードが自動車をねバンバン売り出す ような前の時代の建物だと思います 実車みたいな牛とかに惹かれた 車で来てたんでしょうね昔から自動車より 歴史が古い建物ですよ多分この 義秀文から多分車に入ってですねでお 車寄せからこの中へ進むとでえーと 清涼殿がですね確かなんか天皇の住まいで 神殿というのが 重要な儀式とかをやる場所ということだっ たと思います 江戸時代ぐらいの建物が残されているのだ そうです全部つながってるんですね廊下で 全国に1万人ぐらい車寄せのファンが いらっしゃるんじゃないかと思うんです けど 車寄せ好きにはたまらないですよね 幕府からの使者とかですねすごい偉い人が ここへ乗り付けて 仮に雨が降っていても一切当たることなく ですね車から直接洗っていくことができる ような仕組みになってるみたいです よく見たらですね新大車というのもあり ますこれ面白そうだな車寄せに来た人たち はですねお客さんはここら辺の 待合室に通されるらしいんですけれども 位の低い人はですねここの石段から直接 上がるという仕組みだったそうです 待合室も身分によって違いがあったそう です続く新お車寄せは大正天皇の即位の 時点で馬車を止めるために作ったという ことなんですがこっちの方が入りやすそう ですよねこの壁がないからさっきの車寄せ とか客が来る方向はこっちの方なんです こっちからお客さん入ってくるらしいん ですけれども先ほど紹介した建礼門はです ねあそこにありまして天皇だけはここから こう南向きに入ってくるということで天皇 陛下のために作られた 門と入り口ということですから南向きに 立っているのがどうも特徴らしいですここ
にこう書いてありますその建礼門の 裏側にありますこれが多分一番 重要な建物なんじゃないですか全部重要 ですがこれが指針でさすがに神殿には 近寄れないみたいです実際今でも 彷彿の宗教行事に使っていると思います と思ったらね横の通路紋みたいなところ からですね一部だけこのように入って死ん でんの見物写真を撮れるようにしてくれて いました作りは平安時代ぐらいから基本的 に変えていないそうですあの心電 づくりというやつでしょ こんなに大きな茅葺屋根見ないですよね中 にはこれがあってですね 昭和つまり 1926年まではこれ天皇の意識をやって いたそうです続いてその神殿の裏側にも 入れてもらえて今度はですね 清涼殿 見たことがありません日本の宮殿ですよ これが神殿なわけですがここは儀式の場所 なのでいつも生活しているわけではなく そこと繋がったこちらの 清涼殿が普段の生活の場だそうですこの ように一段高くなっていてですね地面と ぴったりとくっつくことはないというよう な構造になっていますがこの清涼殿の天井 に登る権利のある人たちを天井日だと昔は 呼んでいたそうですつまり 帝の 身近に近寄れるかどうかということですね 明治時代になるとそこら辺がね 普通の 薩摩藩出身の武士とかで天皇の近くで仕事 したりとかできるわけですからずいぶんな 変わりようです続きましてまさに心電 づくりという感じのこの場所はこれはそう です保護書会議という皆さんご存知ですか 大政奉還はした徳川慶喜の領地も全部 召し上げてまた徳川慶喜も政治の舞台から 退場させようということを決めた会議の 行われた場所ですまあ今の日本の政治の 基本が決まった場所と言ってもいいんじゃ ないですかね 徳川慶喜の政治から明治天皇中心の政治に 改めようということを当時考えたわけです けれども実際として明治天皇がまだ中学生 ぐらいの5年齢でしたからね ちなみにここですね 蹴鞠というのやっていたんだそうでして今 でもコロナにできる人がいるんですけれど も 藤原氏の人とかそういう進化がやっている のを天皇がここから見たという記録もある と書いてありますその建物はというところ
でここで1867年に王政復古の大号令が 発されたと書いてあります 王制服の号令ってサーチまた天皇が政治を やる時代に戻しますよ平安時代ぐらい戻す ということですね実際には平安時代に戻し てはいますが 明治の元勲とされた 元 武士たちがね自分たちで政治をやっていっ たわけですその一つの言い方としてそれを 使ったっていう点もあったと思います 他にもオツメン御殿とかですね天皇の生活 環境として使われた場所があったあるん ですけれどもなるほど確かに井戸みたいな のも 蓋をされて残っていますが 今はね天皇陛下が京都のお越しになった時 は御所にお泊りになるんですがそんなこれ なんか安土桃山時代とかのやつらしいん ですけど安土桃山時代とかの建物止まっ てるのかなったらこの 京都御所の敷地はもうほとんど今宮内庁の 公式の行事に使うことはないそうですね まあなんか人が住むような環境ではない らしいですどの程度なのか分かりませんが そんなに冷暖房とかですね電気とかもそこ までは充実していないらしいのです天皇 陛下は大宮町というところに泊まるそう ですあの建物使ってる時に日本の政治は 摂政関白と征夷大将軍でやってたんですよ ね割と最近の話ですよ 出てきましたけどねこれすごいものを売っ てたんですよこれなんか 御書グッズみたいなお土産を休憩所売っ てるんですけど中身はネクタイピンなん ですがこの菊の菊の紋章のついたネクタイ ピンなんかちょっと逆に 恐れ多いっていうかねちょっと使いづらい よこいつ調子乗ってんじゃないかみたいな 気もするんですけどまあ別に誰でも使って いいものなんでこんなのこういうの ちょっと買ってみたんですが2100円 だったんですがだからこれねそう めちゃくちゃ物がいいんですけど安いん ですよねちょっと安すぎるなと他のなんか ね 川の財布みたいなやつに菊のゴムが入って 900円とかで売ってるんですよ自分の 金銭感覚が信じられなくなって売店の人に これなんかとんでもなく安いですよねって 聞いたらやっぱそうでね 収益事業利益事業ではないのでほとんど 儲けが付け足されてないらしいですよ要は 宮内庁の売店ですからねこの足立区の小 学校の工程表を見るとどういうところに
行ったのかと言うと結構普通に京都のね 色んな名称を単純に観光してるのかなと いう感じですが一部戦前ならではの行き先 がありますねまずこの烏丸通をこのまま 進んで 護国神社というところへ向かいます場所 ちょっと想像しづらいと思うこんな感じ ですね 奈良から今北上してきてで京都のですね 京都駅よりまただいぶ北の 御社の横のここにここにですね護王神社が ありますあと200mぐらい着きました 午後神社ここはですね大昔奈良時代ですね 皇室を救ったヒーローとされている人がい ましてここに書いてあると思うんですが 名前は書いてないのかな戦前のお札に顔が 乗っているこの人を祀ってるんですけども この 肖像はわけの清麻呂ですここに書いてあり ます 聖武天皇の次の台の天皇らしいんですが あの聖徳天皇という女性の天皇がいまして でその人がですね道教というお坊さんと 異常に年頃に中が良くなりましてついに その坊さんに高速が乗っ取られるんじゃ ないかって危機的な状況まで行ってしまっ たことがあったそうですこの聖徳天皇は ですね本当に道教が大好きだったらしく あの道教ですね法王というなんか特権階級 天皇みたいな感じにしてでこれの同期を もう天皇みたいにさしてみようと思います どう思いますかみたいなのをあの宇佐八幡 で九州にあるですね天皇の地位を決める ようなすごい神社があるんですけどもここ に質問に行ったそうですそしたら宇佐八幡 はあどうぞどうぞ道教さんを天皇みたいに 扱うのがいいんじゃないですかねとお告げ を下したんだそうです 道教は今でもですね ネットですごい色々とネタにされてるんで 同居って調べると色々あると思うんですが 全然高速と関係ない人ですからねそれ そんな めちゃくちゃな話そんなやつがなんか天皇 とかになっちゃって大丈夫なのほんとマジ なのみたいに思ったわけの清麿がですね いやさすがにやべえだろうということで わけの清麻呂ももう一度宇佐八幡に行って これマジなんですかっていう風にですね 聞きに行きましたそうすると光の中から 宇佐の狼が現れ天皇の後継者には必ず後続 のものを建てなさい無動のものは早く追放 してしまいとご神託を下されましたこれで 浮気の清麿が報告するわけですね天皇陛下 私の九州の大分まで行ってきましたけど神
様は違うとおっしゃってましたよ さすがの聖徳天皇も 宇佐八幡の神々が言うならしょうがない うーんということで同郷ですね外すことに なりましてで同居はお前なんてことして くれてんだということでわけの清麻呂を 分け目の汚なまろという名前に変えてです ね憂さ晴らしをするみたいなことを最後 やったらしいですでさらにですねわけの 清原は同郷に足の筋切られてしまうという ことまであったんですがまあそれでも 皇室の安寧を守られたことを感謝するため に 宇佐八幡にご挨拶に伺うことにしたという ことですそしたらですね300頭ものに イノシシが出てきてわけの清麻呂を速やか に連れて行ってくれたのだと言いますと いうことでここの狛犬はこのような イノシシになっています またその関係で足腰のご利益があるという ことにもなっていてここにですねみんな 修学旅行で立ち寄ったのだそうですという ことで戦前の小学生中学生たちがここへ やってきて私たちも和気清麻呂様のように 一生懸命 陛下にお仕えし 陛下のよう白に宮中にさざれ石が苔が生え てくるようになるまでお守りしましょうと いうようなことを多分誓っていたんだと 思います これ相当大きいですね 撮影して結構いろいろなところにあるん ですけれども日本一と書いてありますここ に我が国の国家の解説が書いてありますが この歌こそは日本の国の精神であり国民が 心を一つにして進めば末永く平和で繁栄に 向かっていくことを意味していますとの ことなんですがつまりですね もともと君が言っているのはあの天皇陛下 の知性が長く続きますように嫌坂をお祈り するという風な歌なんですけれどもなんで そうやってるのかっていうとその天皇を 中心として 秩序だった世の中を作っていきましょうと いうことなんだと思うんですよね多分ね こう言ったらちょっと失礼な考えなのかも しれませんが 天皇というのはつまり 秩序だった国を作るための一つのシステム みたいなものだったんでしょうねあんまり やらないんですけど700円を収めてお 守りも分けてもらってみました 理念はこのようにイノシシになっており ます足って結構重要なんでね 明治時代のお札にも乗っていたイノシシ
それはまあ当時の日本だったらこういうの お札にしますよね わけの清麻呂のように天皇陛下中心の日本 をみんなでよくしていきましょうみたいな 感じの意味が込められたお札です しかもこれは 満州事変の前年1930年に発行したやつ ですけれどもこれなんか護王神社の拝殿の ところをお札にしてるんですね [音楽] また神社の一番北側上方というのかなそこ からスタートするですね優勝をよく説明し てくれるこの絵巻物巻物とか絵がこう並ん でいるんですけれどもこれが面白いいい シーンですねこの人が道教なんだでこちら がわけの清麻呂でわけの方にわしの望みが 叶ったなお前を思いやるみにしてやるから よろしく頼むもうみたいな感じで買収の ほのめかしがあったんですねでもわけの 清麿としてはですねお友達にいやあいつの 言ってる通りになったらさすがにやばい だろうみたいなことを日本のためを思って 考えてここでですね私利私欲に走らなかっ たからこそ今の天皇陛下のミオがあるの ですねという話ですねそして 宇佐八幡から話を聞いてきて道教がそれを ですねここで天皇陛下に伝える天皇陛下は 足元しか描かれていませんね道教は全部 描かれています いややっぱ 宇佐八幡の神様も同郷じゃダメだろう みたいに言ってましたよお前あの時賄賂し てやるつっただろう何やってんだお前お前 の名前は今から 汚れ こちらが天皇陛下 ただこの女帝所得天皇はですねまあ要は男 にたぶらかされて大変なやらかしをして しまったのかなと思うんですけれどもこの 一件があってからですね850年間女性の 天皇というのは現れなかったそうです そんな 午後神社からすぐのところにですね 蛤御門があります前にも紹介しましたが 京都御所広大な御所の入り口の一つです やっぱちょっとこう新生な感じなんですね お堀があるわ 固く閉ざしそう簡単には口を開けないと いうことから蛤御門とついたという説も あるそうですまた他に金門とも呼ばれて おりました 禁止するの金です 明治まで天皇陛下がお過ごしになった場所 のすぐ近くでありまして ここに穴が開いておりますが金門の辺蛤御
門の変というのですね幕末にあって聴取藩 がここを攻撃した時の 穴だと言われておりますここら辺にですね さっきの護王神社があってハマグリゴムを 入るとここがまさに金利天皇陛下が昔お 過ごしになっていたところだということ ですが逆に言うとこんなすぐ近くのところ にねさっきの護王神社があったわけです からどれだけ重んじられていたかもわかる と思います今はこの金利がひょっと御所と いうことになっていてこの令和の時代には 申し込みをすれば見学できるそうです 金利ならねそこにあるんですけれども相当 な眺めあとめちゃめちゃでかいです 元々 京都の天皇の妻っていうのはでかすぎて 困ったぐらいらしいんですが 中山道の旅で去年も来ましたからざっくり の紹介にしたいと思いますが建礼門です これが御所の正門だそうですがくぐるな とても難しく国家元首でないと通ることが できません天皇皇后かアメリカ大統領とか ですかね僕がアメリカに行って大統領選挙 で勝てばこのもんくぐれるかもしれない ですね 見学者向けの放送がかかってます ちょっとですね場所を移動してまいりまし たタクシーに乗って10分ほどですあの車 に乗せていただいたんですけれどもあの 会社はですね 八坂自動車というタクシー会社なんですが 八坂自動車なんだけど感情見たらね 弥栄自動車だったんですよじゃあこれは 古い会社ですねって聞いたらですね大正 時代の創業した会社だそうです 京都でもトップレベルに古いんじゃないか おっしゃってましたまた 八坂グループのタクシー来ましたね 八坂神社ってのも京都にありますけどあれ も弥栄っていうのが語源なのかなやっぱり 弥栄というのは天皇陛下の 規制が長く続きますようにという言葉なの だそうですタクシーで移動してきたのは ですねこの平安神宮に来るためです 御所は昔は多分誰も誰もというか一般でし た入れなかったと思いますがその代わりと いうことですね1895年に作られた平安 時代の題目殿5章模したこの神宮があり まして確か僕の間違いでなければ神宮と いうのはそう簡単に使える言葉じゃなかっ たんじゃないかな特にその昭和戦前金は今 の高速に関係のあるものが祀られている ところしか使えない言葉だったんじゃない かと思いますここはですね 泣くよウグイス平安京を始めた桓武天皇と
最後までこの京都で暮らした最後の天皇 孝明天皇を祀るところだということでその 名前を使っているみたいです ちなみにですね現在地平安神宮はここなん ですけれどもだいぶ京都の真ん中からは 離れた感じのところにありますこの辺が 京都の中心御所はここですがそれから 考えると遠いですよねやっぱり空いてる 土地がもうこの辺にしかなかったん でしょうね 京都の街中ではだいぶ外れの方になると 思います 例によって大忙しなのでどんどん次の場所 へ移動します昔は歩きと路面電車を使って たんですかね次に来たのは知恩院です中央 には僕の動画でもね何回も出してたと思う んですけどこの戦前の修学旅行の公転見て みますとですね 蛤御門とかですね平安神宮とか今紹介して きたのいる書いてあるんですけれどもその 中にですねこう知恩院も載っていますで ここはもう確かにすごい立派なんで京都に 来たらぜひ見てもらえればなと思うんです が超でかいもんがあるんですけどこれ誰が 作ったかというと徳川家が作ったんですね 寄付をしまくって何で作ったかこのすごく 高いところにまた高層の建築をしてですね でここから 御所の方を見下ろすわけですねいくら 禁中の方といえど 徳川に歯向かうと大変なことになりますよ 釘を刺しているという説が有力だそうです そんな場所をですね校庭に入れ るっていうのはちょっと変な話なんです けれどもなぜ 敬心スーツをお伊勢参り天皇陛下のご先祖 を訪ねる旅みたいな感じのやつですね こんなところ行ってんのかっていうと やっぱ単純に素晴らしいところで子供たち は是非この凄さを見ておいた方がいい だろうかなということで学校が校庭に入れ てあげたみたいな感じじゃないでしょうか 5時になってしまうとですもう門も閉まっ てしまうので中は見ませんが実際京都 忙しく見ていた収穫旅行生たちもこの中に まで入っていってどのくらいまじまじと 見る時間があったのか分かりませんがです が戦時中のそういう価値観の時であっても ですね見ておくべきだと先生方が考えた ようなところだと今や我らそういうところ で気を使うことなく気軽に見に行くことが できるわけですからぜひそのね自由な権利 を行使してね行ったらいいんじゃないかと 思います さてまた所変わってですねちょっと移動が
あまり効率的ではなかったんですがここも 修学旅行でよく来たらしいですねここは 蹴上のインクラインです 1948年まで使われていたのだそうで今 はですね配線跡となっていますこれ何かと いうとケーブルカーでしてこれを上の方に 遡っていくとですね 巻き上げ機がありますでそこから車両を 降ろしてきてでここにですね 終点の駅と言いますか止める場所がある わけですでこれは何かと言いますとこの 向こうにですね 船で持って物を持っていく仕組みになって いましたまた向こうから船がやってきて そしてここで 鉄道みたいなやつに行こうか今度乗り換え て上から引っ張り上げてもらってここを 進んでいくということです 京都は山の町ここに水の流れる場所があり ますかなり上の方から結構な勢いで 坂を下って一気に流れてきていますこの水 は滋賀県の琵琶湖からトンネルを掘って ここまで持ってきたものでありまして明治 時代になってから最新の技術力を使って 水路を開削したのでありますこっちは草が 入ってしまっていますが 元々は草なんか生えていなくてもっとです ね多分もうちょっと水が上まであったはず ですねである程度ひたひたになっていた 水路だったわけですまだまだ道路が未発達 な時代 船がですねこれ街中の物資輸送も担ってい たらしいんですけれどもその船がここから 先はどうしても結構な坂道になっていて水 をこう登っていくこともできないし 勢いも急なので上り下りのためにここだけ はこのような乗り物に乗り換えて船が進ん でいたということでございますこれ向こう の方ズームしてみると 実物の車両とか飾ってあります あそこの上にですね船を積んで 登り降りさせていたのだそうです 修学旅行生たちはここに来てその光景を 見せたんですね ちなみにこれすごい幅が広いこれこれで ですね一粒の幅ですあのここの上に ゴロゴロゴロと言っていたわけではあり ませんここに書いてあるんですけど 琵琶湖疏水の開通を天気にこの琵琶湖から 引っ張ってきてこれが開通したのを天気に 東京セント後の賃貸から蘇った京都は一層 の発展を願って近代的なまちづくりを 目指しこれを作ったのだと書いてあります これはですねここに解説掛けが書いてある んですけれどもあの
京都が首都でなくなってから 京都経済が一気に衰退してしまってほんと 明治時代の最初の京都で暗黒時代だった らしいんですがそれを何とかするために こういったことができるよう近代的なもの をここへ通してですねで実際この琵琶湖 からお水が通ってきて水の動く力というの は街を近代化させてくれるんですよね 水の流れ落ちるエネルギーを活用した発電 所もこの辺りにいくつもありますこれはね まさに 昭和戦前機今回のテーマとなっているよう な時期に作ったやつらしいんですけど もっと古いやつもありますそこにあるやつ がそうですね明治時代の終わり頃に作られ た発電所で日本でもだいぶ歴史のあるもの ですここで水が流れ落ちて水が流れてるん ですけど流れている水の力を電気に変えて その電気でですねインクラインを動かし たり路面電車を走らせたり街中に街灯を 通したり工業の源としたりしていたわけ ですしかもなんかこのインクラインは世界 一長いインクラインだった時代もあるそう であこれまさに当時のそのものの光景です ね これはすごい景色でまた日本が世界に誇る 技術力だということもあって多分ですね これを見物に来る収穫旅行生も多かったん だろうと思いますさっきのまさにやって いる時のインクラインの光景ですねこんな だったんだ 日本でそもそも開発したような技術では ないと思いますが ねまさにこれが 近代を 京都にも持ち込んできた新しい技術だった わけですよというのをまあ修学旅行生で 仕組みたらやっぱ勉強にはなるでしょうね もう動かなくなってしまったとはいえ結構 珍しいものだし日本の歴史とかですね 世の中の動きとかもよく知ることができる ものなんて今でも別に修学旅行で事前学習 とかしてもらって見に来ても勉強になって いいんじゃないかと思いますけど ちなみにこちらがその日本最初の水力発電 所ですこれより古いのもあるんですけれど もあったなんか自家発電みたいな感じに なりますねでここにですね大きな送水艦が ありましてこれがまさに中に大量の琵琶湖 から届いたお水を通してですねこれ今でも 確か発電してるんじゃありませんでしたっ け 作られたのが明治の終わり頃で奥に見えて いるあの建物は後からさらに増やされた 昭和戦前機の建物です
すごいですよ普通はねだいたい昭和戦前機 ぐらいに早いと電気が 街に通り始めていくんですが 京都は 昭和戦前機じゃなくて明治にはもう始まっ てたわけですからね なんとか新しいものを取り入れて近代化を 進めていかないと 京都は時代から遅れてしまうぞということ を相当昔はここでかなり必死になって みんな考えていたことと思います なんかその思うんですけど戦前の国家新党 的な価値観に立って考えてみてもですね もうちょっとなんかこういうその実利的な ものも見に行った方が良かったんじゃない かって気はするんですけどねこれ修学旅行 のコースにあの入っていることもあった みたいなんですけど 昔の人が過酷な工事をやって難しい技術を 外国から取り入れてそして今京都はこんな 立派な町として続いているんですよさあ皆 さんもこれから日本国を良くするために 頑張りましょうみたいなそういうあのね 古部のさせ方もあったと思うんだよな天皇 陛下万歳以外にまあそれもあったでしょう けどね向かい側にありますのは都ホテル です今は天皇陛下がお隣にもなることが あるところです戦前の時は多分御所に毎回 止まってたと思いますけどね もう本当は先生たちももっとこういう風な 実利のあるようなものも見せて教育させ たかっただろうとも思うんですけどまあ なるべくその経審するその旅の本意から それないようなところでうまくねじ込んで いったという感じなんですかね今回の見物 はだいたいこんな感じは本当は修学旅行の 人たちは他にも 清水寺とかですね金閣寺とか銀閣寺とか 北野天満宮で学問の追い抜きとか色々やっ たともやったらしいんですけどまあ今回は そこはいいでしょう一般の経堂観光という ことですからね動画の本質にもなったかな と思いますあそうあのさすがに地下鉄と新 幹線って使って帰りますけどねここの 東海道ですけど東京まで歩いて帰ろうと 思えば帰れるけど半月ぐらいかかります からね 地下鉄降りたらこんなん書いてありました 電気の礎明治機のことにおける電気普及の 先進実績って書いてありますが地下鉄が そうなのかなこれ地下鉄ってね今は地下鉄 なんですけど元々は路面電車だったのを 廃止してこれにしたんでまさにその 京都近代化の出発点を受け継ぐものですよ ねこれで京都駅まで1本か乗り換えが必要
か御池でカラスも大池で乗り換えで京都 ですねもう朝の5時から14時間も観光し てるから疲れ切っちゃってね小学生たちも よくこのハードスケジュールをこなしてた なと思うんですけどもう疲れたにパッパと なんか食べて帰ります 美味しかったと思ったな この時期にありがちなやつを注文しました とり天をトッピングしたんですけどなんか これは取り放題みたいでしたよそんな システムだったかな 映像だとわからないと思うんですけど すごいほんと今回わざと大変な忙しい工程 にしてきたんでもう疲れちゃって頭に霧が かかったようなですね頭がぼやぼやしてた んですけれどもさっきの冷たくてさっぱり 酸っぱいうどんを食べましたですね頭が 借金しまして帰りの列車に乗るまではなん とか持ちそうです帰りの列車はのぞみ50 号で今日は3連休最終日ということで混む だろうからグリーンにしましたがなんか今 グリーンハヤトコワイドっていうのができ て3日ぐらい前までに買うとですね 2000円ぐらいグリーン車に安い値段で 乗れるんですねそんなのがあるんだな 2500円ぐらい割引になるかそして帰り の新幹線はすごい頻度ですね16両持続に 185キロで走る新幹線がこの感覚で出て ますよ ちょうど戦前の国家新党の 価値観に基づいた教育を受けた人たちが これを走らせたんですよねまあでも今言っ たことですけどこの新幹線戦前の人たちが 作ったわけですからねなんか私からすると なんかちょっと戦前のなんか物の考え方 って全てが何もかも違ったような気がする んですけど実際今とそんなに違わなかった んじゃないかって気もしますよね多分そう だったんだと思いますけど のために旅行は控えようと言ってもなんだ かんだ理由をつけてやりたいとかですね 天皇陛下万歳という風な言葉も天皇陛下 自身 含めてどこまで本気で言っていたのか ちょっとわからないところではあります 是非なんかね戦前の人の収穫旅行とかその 戦前の教育とかを実際に受けた方多分視聴 者の方にいらっしゃると思うんで何らかの 方法でコメントとかでね私たちに教えて いただけると嬉しいです 一服2日すごいいい体験になりました今回 は で帰りはまた花の東海道 新幹線ができたからといって修学旅行が すぐ新幹線になったわけじゃなくて最初は
お金持ちの私立学校が一部新幹線を使い 始めるという感じだったみたいです 今は新幹線で行くのが一番合理的という ことになってます 戦前の日本では学校で鉄道唱歌とね 授業で扱って歌っていたらしいのできっと 生徒たちも学校で教わったことを実際に目 で見ていきながらの旅行となりまして結構 面白かったんじゃないかと思いますよ なんか最近の人達ってどうなんですかね チリの知識とか歴史の知識はやっぱ昔の人 と比べて大幅に少ないんじゃないかと思い ますけど例えば藤吉郎って言われて木下 藤吉郎とわからないとかですね 岡崎といって岡崎ってどこにあるのみたい なそういう人がやっぱ昔より多くなったん じゃないかなと思いますそれだけ娯楽が 増えたってことですかねだからなんか修学 旅行もねもう少し学校で教わったことと 関連してしっかり学生 らしいことが体験できるのかなとか思った んですけど僕はねすごい期待外れだなと 思ったのはなんかただ行ってみただけだっ たんですよねなんかなんと低レベルな観光 かっつったらあれなんですけど 遊びの旅行だったらねいいんですけど学校 で行くんだからもうちょっといいやり方な んじゃないかなとか思ってましたね それも世の中に娯楽が増えてですね 歴史とかを娯楽として見なさなくても もっとゲームとかいろいろできたからじゃ ないかなって気もします ゲームがダメでね 知ることはすごい高貴なことだったか別に そんなことないと思う昔の 面白くてやってただけだったと思うんで 今回の旅行はですねあの 旅行に行ってその観光地を見て楽しむと いうよりも 昔の人はこうやって旅行していたんだって いうようなことを見に行くその 旅行の歴史を知るための 旅行みたいな感じです皆さんと一緒に 楽しんでいただけたら何よりでした高齢者 超ついてますよ全然回る人いないうどん なければちょっと足りませんのでねさらに 変えました 王様寿司大忙しで鱧とか食べてる時間が なかったのでね 京都名物のサバを使ったお寿司を食べよう と思いましたもう相当大昔から京都の名物 なんですよね福井から運ばれてきた鯖これ はあれか 柿の葉寿司の会社なんだね 美味しければいいです
工夫された放送であまり水っぽくならない ようになってます これが時代が時代だったら 伊勢神宮橿原神宮へのお参り以外は皆様お 控えいただきますようにお願いいたします 車内放送がかかるところだったかもしれ ませんよ 通勤やテレワークを積極的に行って いただき感染拡大防止にご協力をお願い いたします 続いてjr東海からお客様にお知らせ いたします 私は1872年に日本で鉄道が開業して から150年の使命を迎えます JRグループではお客様への感謝の気持ち を深めて 鉄道開業150年キャンペーンを実施して おります 鉄道のご利用を楽しんでいただける様々な 企画をご用意しておりますので 詳細は 高尾150年 キャンプサイトをご覧ください1940年 が後期2600年で日本中でお祭りが 繰り広げられたそうですけど今年はまさに 造150年 鉄道の世界ではお祭り騒ぎの都市です [音楽] そういえば京都で祇園祭り屋さんですよね 全然見ないで帰ってきてしまいましたが あの 疫病退散のお祭りを3年ぶりに 疫病を流行中なんですけれどもやるという ことになってまして行っても良かったけど なまあでも大変そう戦争中はねあの日米 開戦後はやってなかったはずなんであと 応仁の乱の時もなんかやってなかったって なんか書いてありましたね 今回の旅行も終わりですご視聴いただき ありがとうございました最後に紹介するの があの玄関であれば天皇陛下がお使いに なるためのみたいですね話しましてもいい んですけれどもうしなくていいんじゃない ですか 今はね日本も自由な国になりましたこれ まっすぐ行ったところですね天皇 陛下が今も昔と同じようにお住まいです けども 今はですね天皇陛下の名のもとのご命令 みたいな 詔でですね絶対ワクチン打ちなさいとか 絶対旅行行っちゃいけませんとかですね そういうこともだいぶ起こりにくくなり ました 強制されないというのがいいことなのか
悪いことなのかっていうのは人の価値観に よると思いますが僕みたいにいいことだと 考える人が今多いんだろうと思います こんな感じですかねじゃあ戦前の修学旅行 を感じてみる1泊2日の旅行でございまし たこれ一泊二日で行くと多分旅行という よりも観光とかじゃなくてねもうほんと 修行みたいな過酷な工程になると思うんで もし同じ工程を真似される方は3泊4日 ぐらいにアレンジされることをおすすめし ますありがとうございました ナッシュの宣伝ですなるべく早く終わらせ ます前にですね興味のある方からナッシュ さん会社の方に 質問されてる方いらっしゃいますかもし あったら寄せてくださいTwitterで お聞きしてですねその結果を限定公開の 動画で作ったので 興味のある方だけでいいんですけれども あのコメント欄のところに 貼ってありますからご覧になってそして 良ければ買ってくださいありがとうござい ます
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※贈り物や差し入れに関しましては、現在受け付けておりません。
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※情報の正確性について
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自粛って『自己判断』。自粛要請って日本語おかしいです。
宮内庁ってGHQがつくった、天皇をスパイ、監視する機関ですよ。もともとは宮内省です。
またまた、次々、素晴らしい企画の旅をレポートして下さってありがとう😊😂
単に紀行文でなく、内容の深さに感銘を受けます😂😊
中川デルタ線の看板に!スーツさんの顔が!🎉
若草山は大和三山じゃないですよ!
大和三山は畝傍、耳無、香久山だったような。間違ってたらすみません。
学生時代に非常勤で来ていた先生が今自分の研究室に近ツーの元社長が大学院生として在籍し戦前の修学旅行について研究していてもうすぐ論文が学術雑誌に掲載されるという話をしていた。
今回の動画タイトルを見て真っ先にその人と論文が思い浮かんだ。そして、その著者と論文こそまさに冒頭で紹介があった太田孝さんとその論文だった。
東海道の旅、中山道の旅、そのほか、スーツさんの旅動画はすばらしいものばかり。
修学旅行で北陸旅行。金沢に行った時、自由時間に友達と親戚にいったら、盛大に歓待を受け、出発時間に大幅に遅れ、全員がバスに乗り待機し、先生方はオロオロしてたのを思い出します(笑)。
スーツさん!クラッシック!渋いですよねですね…🎀🤖🌠
移動、ましてや旅行という行動が一生に有るか無いかという時代。
国家と権力の中枢である宮城と国家宗教としての神社を臣民に目に見える形で示す事は“装置”として重要であった。
これら行事を経て帝国臣民としての意識自覚を助長した。
フランス革命以降各国に普及した国民国家の概念と、その中枢としての元首。
近代国家に必須だった国民皆兵による強い軍隊には、兵卒には国民/臣民としての自覚と旗印としての貴種が必要。
西欧列強に追い付く為になりふり構わぬ明治政府はそれまで御所に篭もり顔を見せなかった天子を表に引き摺り出し地方へ巡幸までさせた。
明治維新以前はバラバラだった国民意識を世界的にも短期間で統一出来たのは、
やはり天皇という世界的にも稀有なロイヤルファミリーの存在が大きい。
一方で昨今の修学旅行については存廃も含めて見直す時期に来ているのではないか?
児童生徒のガス抜きとしての遊興や教職員による一方的な洗脳教育に基づく形骸化した”修学旅行“は「慣習として続いてきたから…」では説明出来ない。
少子化で以前ほど旨味が無いのか代理店による教職員への接待も問題視されている。
学業に直接関係が無い移動や旅行は必要とは思えない。
列車も外人さんの団体が多いですよねですね…
12:59 伊勢運輸区(海イセ)跡地ですね。国鉄時代は伊勢機関区(天イセ)でした。現在は車両管理部門は名古屋車両区(海ナコ)に組織が統合されています。
2:23:20 この頃は称徳ではなく、孝謙ですね。弓削道鏡への皇位継承はむしろ孝謙が積極的だったと言う説があります。戦前の教育では弓削道鏡は悪者として扱われてましたが、戦後は弓削道鏡の名誉回復を図る動きもあります。
2回見ました。 すばらしい作品ですね。ありがとうございます。 これからも期待しています。
なんか途中まで高校の修学旅行と同じだったなぁ…コロナの関係で何故か名古屋に行くことになり、伊勢神宮と鳥羽水族館に行った。帰りはなばなの里とかいうリア充スポットに連れてかれた。
ホテルは公立のくせにヒルトン名古屋に泊まり出禁になった(他の部屋の奴らが騒いで全方位からクレームが来た)
スーツさんも使う 流行語大賞!様々❕
…分かりきった結末でしたが
実家の近くで撮影されていて、びっくりしました。
ロープウェイですが、戦中まで内宮近くの朝熊山に設置をされていた、当時東洋一と言われていたケーブルカーだと思われます。
紹介されていた路面電車も麓まで来ていたと聞いています。
今でもケーブルカーの跡地や駅跡も残っていますね。
大阪市の小学生は伊勢と決まっていた
神社神道の高校に行っていたため、学校行事として伊勢神宮に参拝した経験があります。動画でも話題にあがっていましたが、私語厳禁で参拝した記憶があります。また、参拝前は御裳濯川とも呼ばれた五十鈴川で禊をし、清めてから参拝した記憶があります。当時の思い出を思い出す動画でとても楽しく拝見しました。主に禊の際に、冷たい川に浸かった思い出ですがw
神武天皇陵の整備の為に、当時の被差別部落が潰されたそうで、その反対運動の結果?日本水平社という被差別部落運動の中心団体が出来たそうな。むかしの映画「橋のない川」とかで当時のかなりの差別の様子か描かれてます。
その戦後から80年代にかけて被差別部落解放同盟などは、最初の志しを忘れ部落開放にかこつけた反社会的 勢力に染まり、いろんな問題を起こしてるだけどね。1:30頃の神武天皇陵造成の政策移転ってのはかなり強引だったて話。
1:50頃大和三山?若草山は入りません。
畝傍山、耳成山、香久山です。
大阪しまかぜ、毎週火曜日
京都しまかぜ、毎週水曜日
名古屋しまかぜ、毎週木曜日
基本運休です。
車両変更等する場合があります。詳しくは近鉄のホームページを見てください。
興味深い企画で楽しめました。
国道23号線は 名古屋からだと思われます
安倍神道⛩️が安倍晋三さんの1周忌に建設されましたので・・・安倍元総理も歴史の人物に成りました‼️
サムネ 1:34:55
今のコースとしては広島原爆資料館と呉の大和ミュージアムへ行って欲しい。
テレビなどと被らない別の視点でのスーツさんの動画は、歴史と風俗の説明にスーツさんの感性と考えが決して押し付ける感じではなく控え目に込められていて、見応えがあります。勉強になるし、その土地や歴史に興味が出てきて、世界が広がります🗾
先代伊之助さんとは少しお知り合いになり応援しており、春場所には家内と行司部屋に入れて頂いて歓談歯ておりました。真面目でお優しい方でしたし、行司の質が低下した中でとてもキビキビして素早い動きで幕内時代から名行司の兆しがお有りでした。当時のことは今でもお酒で酔われていただけで、ご自身の行司としての素晴らしい寄与に何ら関係無いし、事実誤認されているのは残念至極であります。
私の時代は修学旅行専用列車「こまどり号」に乗って名古屋から東京、箱根方面へ行きました。当時、東京は憧れの街で、数日前からワクワクして眠れなかった思い出があります。
物価が上がった分、消費税下げれば良いのだよ
こういう動画好き
タモリは地質だけが切り口だが、この人は複数のテーマを提案できて、切り口が新鮮。真似をするのは、なかなか難しいね。
伊勢出身の地元民ですが、知らないことだらけですごく楽しめました!さすがスーツさん
家族で行った鳥羽旅行を思い出しました。よい動画ありがとう。母との懐かしい思いでです。
一度行きました。よかったよ。
奈良で単身赴任時代に土日に散歩として東大寺興福寺ルートを歩いていましたが、だいたい5時スタートで8時戻りくらいでした。
結局修学旅行中止になって行けなかったなぁ😢
今のうちに、電動ユラユラ機とか自動哺乳瓶洗い機など作ってしまうのでわ
戦時中でも神宮参拝は許可されていたそうですね。